6 詠子の苛立ち

美邦と同居し始めてから、詠子は苛立ちを感じるようになっていた。


その原因が何なのか自分でもよく分からない。ただ――美邦が引っ越してきて以来、どういうわけか家の中が窮屈に感じられるのだ。


この家は啓の両親から受け継いだものであり、三人だけで暮らすには少し広い。なので、居住者が一人増えたところでストレスにはならないはずであった。


しかしながら――増えたのは一人だけではないような気がする。感覚的に言えば、もうあと一人か二人ほどいる。最初は慣れの問題だと思っていた。それなのに、この妙な感覚はいつまで経っても消えない。


そして、美邦と詠子の相性もまた良いとは言い難かった。


何となく――距離が掴みづらいのだ。


土曜日の夕食のときもそうであった。


四人で食事を摂っている最中、啓はふとこう尋ねた。


「どうだい、美邦ちゃん――学校にはもう慣れたかい?」


「はい」と、やや俯きがちに美邦は答える。「今はもう馴染んでます。クラスでも、友達と呼べる人がもう何人かできましたし。」


「そうか――。最初は少し心配だったが、それは何よりだな。」


「私も少し驚いてます。」


「神社のことについて、調べてるんだっけ? クラスの人と。」


「ええ。――多分、意外にも早く馴染めたのは、そのことで協力してくれる人がいたからなんじゃないかなと思うんですけれども。」


なるほどなあと言い、啓は麦酒ビールをすする。


「神社については、どれくらい分かったのかな?」


「まだ――あんまりです。けれども、この町にはやっぱり神社があったみたいなんです。平坂神社っていう名前の神社が。調べてきてくれた人によれば、十年前に潰れちゃったらしいんですけれども。」


聞いていて、詠子は不愉快な思いに駆られた。


特にそれは、平坂神社という言葉に触れたとき強く感じた。かつて、家から出ることを戒められ、怯えて過ごした夜のことが頭の中に蘇った。無意識のうちに、その不快な記憶を打ち消そうとする。


啓もまた、にこりともしていない。


「そうか――倒産してしまったのか。」


「けれど、お姉さんの言うとおりだっただね」と千秋は言う。「この町に――そんな大きな神社なんてあったんだ。何でみんな忘れとるんだろう?」


耐え難いものを感じて、詠子は思わず口にする。


「美邦ちゃん、あんま変なことに手え出しなさんなよ? 何だかその――神社のことって、あまりええもんでないやぁな気がする。そもそも、もう何年もこの町に住んどるのに、神社のことを知らんだなんてことある?」


美邦は、何かを言いたげな視線を寄せる。しかし詠子と目の合った瞬間、怯えたように逸らした。それがなおのこと詠子を苛立たせる。


「実際に知らんかったでないか。」


啓にそう突っ込まれ、詠子は黙った。


しかし、それは反論ができないのではない――軽率に発言できないからだ。


この町は、他の場所とは何かが違っている。何か、危ないものの潜んでいるような気がするのだ。それに連れてゆかれるかのように、平坂町では事故や不審死も多い。


「ただな――叔母さん、心配なだが。美邦ちゃんが、何か危ないことに巻き込まれんかって。このあいだだって、日が暮れる直前になって帰ってきたが? この町は、夜中が危ないけん。何か変わったことがあったら、叔母さんらに相談しないよ?」


「はい――」


美邦はうつむき、か細い声でそう答えた。


その姿に、詠子はまたしても苛立ちを覚える。


詠子は、美邦が何を考えているのかよく分からなかった。


美邦はあまりにも大人しすぎて、詠子が何を言っても遠慮がちにうなづくばかりだ。叔母ちゃん、叔母ちゃんと言って懐いてくれた幼い頃とは、別人のようにさえ思える。その頃の美邦は左眼を失明しておらず、大きな瞳が真っ直ぐ詠子を捉えていた。


無論、子供の成長は早いので、そればかりは仕方のないのかもしれない。けれども詠子は、その不揃いな目元の奥に隠されているものが何なのか――時として分からなくなってしまうのだ。

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