5 新しいクラスメイト

朝学活は滞りなく済んだ。


岡山の中学校と同じく、朝学活の後には「朝読書の時間」が置かれていた。美邦は持参してきた本を開く。しかし、先ほどの失敗の記憶が何度も頭の中に浮かんできて、内容は頭に入らなかった。


休み時間になっても、席から立つ気力は湧き上がらない。


落ち込んでいると、声をかけてくる者があった。


「あの――大原さんでよろしいのでしたっけ?」


美邦は顔を上げる。


髪の長い少女が立っていた。どことなく日本人形を思わせる容姿だ。前髪を七三で分け、カチューシャで留めている。恐らくはクラスメイトなのだろう。しかし、美邦に対して敬語を遣ってきたことが気にかかった。


「あ――はい。」


美邦も思わず敬語で返事をする。しかし、知らず知らずのうちに顔は下を向いてしまった。


「いえ、別に大したことではありませんの。お気になさらないでくださいまし。私は大原さんと同じ班で、女子の学級委員長をしている岩井いわいと申します。鳩村先生から、大原さんのことをサポートするようおおせつかっております。何卒なにとぞこれからよろしゅうお願いします。」


「あ――はい。よろしくお願いします。」


「岩井さん、さっそく声かけとるだね。」


右隣から声が聞こえてきた。


顔を向けると、二人の女生徒が立っていた。


一人はコケシのような顔をしていた。ぺったりとしたおかっぱ頭をしているため、なおのことそう見える。声をかけてきたのは彼女であった。


もう一人は眼鏡をかけており、長い髪をポニーテイルにしていた。


両者とも前髪が切りそろえられている。


「ええ、学級委員ですから。」


岩井はおかっぱ頭の女子に手をかざす。


「大原さん――この方は、同じ班の実相寺さんでございます。社交的な方ですので、私なんかよりもよっぽど役に立つかもしれませんね。――隣の方は、その友人の古泉さん。」


「初めまして」と、おかっぱ頭の少女は言う。「私は実相寺じっそうじ由香ゆかっていうだけど、大原さんとは、席、隣だけん。これからよろしくね!」


ポニーテイルの少女も控え目に挨拶をする。


古泉こいずみ幸子さちこです。大原さんとは、席、ちょっと離れとるけど、由香とは大抵いつでも一緒におるけん。――よろしく。」


「うん――よろしく。」


相変わらず、殺伐とした声しか出てこない。


そうであるにも拘わらず、由香は構わず語りかけてくる。


「ねえねえ、大原さんは、岡山から来たんだよね? 岡山の、どこ?」


隣から幸子が注意する。


「こら、由香――いきなり話しかけても迷惑だよ?」


美邦は軽く首を横に振った。


「いや、岡山市のほうだよ。岡山市の、郊外。」


「ええなー、都会で。」


都会というその言葉が、何だかとても恥ずかしく感じられる。


「都会じゃないよ。岡山だって、そこまで栄えているわけではないから。」


「都会だよー。こんなくそ田舎に比べたら、大抵の町は都会だもん。だって、こっちにはコンビニすらあらせんだで?」


この言葉に美邦は少し驚いた。


「え――ないの? コンビニ。」


「うん――ないよ。何年か前までは駅前にあっただけど、潰れちゃっただよね。代わりに夜の八時には閉まるスーパーがあって、コンビニがあったときもなぜかそっちのほうが繁盛しとったの。」


「そう――なんだ。」


今さらになって、岡山との落差を思い知らされた気分だった。そう考えれば、自分が今まで住んでいた処は都会だったのだ。これからは、同じような落差をもっと思い知らされるに違いない。


「けれど、平坂町に引っ越して来るなんて珍しいね。出ていく人は多いけれど。こんな時期に、何で引っ越して来たん? 親の仕事の関係とか?」


「いや――その――」


戸惑いつつも、美邦は自分の置かれている境遇を説明する。その場は少し静かになった。由香は申し訳なさそうな表情で、ごめんと言った。


「いや、大丈夫。一週間以上も経てば、さすがに気持ちも落ち着いてきているから。」


話題を切り替えたいと思ったのか、今度は幸子が質問をする。


「今は、どこに住んどるの?」


「ええっと――平坂の、三区だったかな? 中通りに面した処の、渡辺さんっていうお家にお世話になっているの。私のお父さんの弟さんの家なんだけど、今は四人暮らしだよ。叔父さん夫婦と小学生の娘さんと一緒で。」


「そうなの。私の家とちょっと似とるかも。」


縁なし眼鏡を輝かせ、幸子は落ち着いた口調でこう続けた。


「大原さんは、こっちに引っ越して来て、まだそんな経ったらんだら? 岡山とこっちじゃあ、違うことのほうが多いだらぁし、分からんことがあったら、何でも訊いてもらったらええけん。代わりにこっちも、向うのこととか、色々と聴かせてくれたら嬉しいな。」


その言葉に、美邦はやや心が温まるのを感じる。


「うん――。それじゃあ、そうさせてもらう。」


由香と幸子は、前髪ぱっつんのコンビという印象を受けた。美邦も前髪はぱっつんなので、妙な親近感を覚える。しかし、由香は明るく、幸子は落ち着いた雰囲気を持っているようだ。


「やはり、こういうことは私なんかよりお二人のほうが得意そうですね。」


岩井は苦笑するようにそう言った。


そうこうするうちに始業時間が近くなった。それぞれは自分の席へ戻ってゆき、一時間目の授業の準備をする。


美邦はこのとき、先ほどよりも心が軽くなっていることに気づいた。自分はいつも考えすぎ、緊張しすぎるようだ。新しいクラスメイトと交わしたこの短い会話は、言うなれば呼び水であった。言の葉は、澄んだ水のように次第に出てきそうな気がした。


それでも岩井のしゃべり方は、しばらくは気にかかっていたが。


    *


授業は岡山の学校のほうが進んでいたため、つつがなくついてゆくことができた。班の構成は七人で、それぞれ男子が三人、女子が四人ずつ。岩井のほかにも、田中という女子がいた。


最初は美邦の内気な性格を気にしていた班の者達も、授業の合間などに徐々に語りかけてくるようになった。最初に三人が声をかけてきたことで、敷居が下がったためだろう。


怪訝に思ったことを強いて挙げるならば――四時間目の授業が終わり、給食時間の直前となったときのことだ。


美邦は手洗いに立っていた。そこには最初、自分以外に誰もいなかった。洗面台で手を洗っていると、背後から声をかけてくる者があった。


「大原さん――ちょっとええ?」


くぐもった声であった。


振り向くと、小太りで歯竝びの悪い少女が立っていた。初対面の人と話すときの癖で、美邦は視線をそっと横へ逸らす。


「えっと――何かな?」


「実相寺由香さんには近づかないでください。あの人は悪い人です。」


「えっ――?」


訊き返したものの、彼女はそれだけ言うとトイレから出ていった。


美邦はただ困惑する。彼女は、自分が何者かさえ名乗らなかった。


彼女がクラスメイトであったことに気づいたのは、教室へ戻ったときだ。まだ見分けのつかない顔ぶれの中に、彼女の姿があった。窓際の席で、陰気な顔をしてすわっていた。無論、彼女の元へ詳しい話を聴きにゆくだけの度胸など美邦にはない。


困惑したまま突っ立っていると、由香が声をかけてきた。


「どうしたの、大原さん。」


「あ――ううん、何でもない。」


そう答えると、美邦は自分の席へ着き、給食が運ばれてくるのを待った。


思えば彼女は、美邦が由香から離れるときをうかがっていたのかもしれない。転校したての美邦は、朝からほとんど由香と行動を共にしていた。


しかし、そこまでして警告しなければならなかったことというのは、一体、何なのだろうか。

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