3 見知らぬ叔父
学校を終え、美邦はいつものように総合病院へと向かう。
病院へ行く途中の交差点には、一体の黒い人影が
病院へ這入り、昭の入院する病室へ向かう。
病室の扉を開けると、見知らぬ男の姿が目に入った。
ベッドの隣に彼は立っていた。美邦に気づき、振り返る。咄嗟に美邦は顔を伏せた。これこそ、初対面の人間の前で美邦がよくとる態度であった。
「大丈夫だから、こっちに来なさい。」
しゃがれた声を昭は上げる。
「この人はお父さんの弟の
「谷川さんに――?」
美邦は顔を上げる。
啓と呼ばれた男は、少し戸惑ったような表情を見せた。もしも昭が健康だったならば、確かにこんな容貌をしていたかもしれない。美邦は再び顔を伏せ、ゆっくりとベッドへと近寄ってゆく。
「えーっと、美邦ちゃんですか?」
美邦の様子をうかがうように、啓は問うた。
「
「いえ、その――田舎のことは、よく覚えていなくて。」
「ああ、そうか――。美邦ちゃん、小さかったけんな。僕のほうは、美邦ちゃんのことをよう覚えとるけど――。それでも、
「ひらさかちょう?」
「美邦ちゃんが小さい頃に住んどった町の名前だが。」
「そうですか。――町の名前は初めて聞きました。」
啓は呆れたような表情となり、昭へと視線を向けた。
「町のこと教えとらんの、本当だっただな。」
「別に、知らなくてもいいことだったからだ。」
「知らなくてもええなんてことはないだら。この十年間――こっちが、どれだけ気にかけとったか。――」
「別に――来てもらわなくともよかったんだ。たとえ俺が死んだとしても、そっちに連絡を入れるつもりはなかった。いや、谷川が勝手に連絡したくらいだから、どうなっていたかは分からないが。ともかく――美邦をそっちに遣るつもりはないから。」
少し不安になり、美邦は啓へ視線を遣った。
それを受けて、啓は説明を始める。
「いや――ついさっきまで、お父さんと話しとっただが。もしも――もしもだけれど――お父さんの身に何かがあったら、美邦ちゃんはどうするのかって。僕自身は、こっちで引き取っても構わんって思っとるだけど。そう言ったら、お父さんから反対を受けてしまって――。僕は、美邦ちゃんの意見も聞いてみるべきだって言っただけど。」
「その――ひらさかちょうで暮らすということですか?」
「うん。」
親戚の元で暮らす選択肢があることは聞かされていた。そうでなければ、自分は施設に預けられるのだという。どちらがいいのかは分からない。しかし、「施設」という言葉が、何となく恐ろしく感じられていたことは事実だ。
俺は行くべきではないと思うがな――と昭は言った。
「あそこは岡山みたいに拓けた処じゃないし、閉鎖的で人も冷たい。近所との付き合い方も、生活の利便性も全く違う。住み慣れた土地や、こちらの友達まで捨てて、あんな処に行く必要はない。」
「あんな処――って。」
啓は呆れ顔となる。
「兄さん、自分の生まれ育った処だが? 十年前までは兄さんだって平坂町に住んどったが。僕だって今でも住んどるに――そんな人の冷たい処でも、閉鎖的な処でもあらせんが? 何で、そんなことを――」
「事実を言ったまでだ。美邦も、一度でも行ってみれば判る。」
それから、昭は溜め息を一つ吐いた。
「俺だって、是が非でも美邦を平坂町へ帰したくないというわけではない。ただ――俺は心配なんだ。今まで住んできたマンションも引き払い、こっちにいる友達とだって別れて暮らさんとならんのだぞ? はたしてこんな中途半端な時期に転校して、美邦が向こうでやっていけるかどうか――」
「だから――それは美邦ちゃんの意見を聴いてみるべきで――」
「まあ――そうだな。」
うなづいて、美邦のほうへと昭は顔を向ける。
「美邦はどう思ってるんだ? さっきから、肝心の美邦を置いてけぼりにしてしまっていたが。」
「わ――私は――」
急に問いかけられ、美邦はたじろいだ。
「そんな――急には答えられる話じゃないよ。その――向うのこととか、何も知らないし。今まで、名前すら聞いたこともなかったのに――」
それを受け、啓は妙に優しげな声で言う。
「まあ、あくまでも選択の一つというだけの話だよ。実は、家内にも娘にも、まだ何も言ってないから。一度、平坂町へ行って、顔を合わせてみてから考えるのも悪くはないと思う。」
「そう――ですね。」
美邦はうなづいた。昭はつまらなさそうに顔を窓へと向ける。彼方には、橙色に染まった空がある。
「いずれにしろ――俺はもう生きて帰ることはないんだな。」
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