3 見知らぬ叔父

学校を終え、美邦はいつものように総合病院へと向かう。


病院へ行く途中の交差点には、一体の黒い人影がたたずんでいた。そこでは、つい何日か前に人身事故が起きたばかりであったか。人影の足元には、薄桃色の百合の花が添えられていた。


病院へ這入り、昭の入院する病室へ向かう。


病室の扉を開けると、見知らぬ男の姿が目に入った。


ベッドの隣に彼は立っていた。美邦に気づき、振り返る。咄嗟に美邦は顔を伏せた。これこそ、初対面の人間の前で美邦がよくとる態度であった。


「大丈夫だから、こっちに来なさい。」


しゃがれた声を昭は上げる。


「この人はお父さんの弟のさとるだ。美邦が小さいころははよく遊んでもらっていたはずだ――十年振りに会うから分からんかもしらんがな。今日は谷川に呼ばれてやって来たんだそうだ。」


「谷川さんに――?」


美邦は顔を上げる。


啓と呼ばれた男は、少し戸惑ったような表情を見せた。もしも昭が健康だったならば、確かにこんな容貌をしていたかもしれない。美邦は再び顔を伏せ、ゆっくりとベッドへと近寄ってゆく。


「えーっと、美邦ちゃんですか?」


美邦の様子をうかがうように、啓は問うた。


渡辺わたなべさとるです。たった今、お父さんから紹介されたけど、美邦ちゃんの叔父に当たる人です。最後に会ったのは十年くらい前のことかな。僕のこと、覚えとる?」


「いえ、その――田舎のことは、よく覚えていなくて。」


「ああ、そうか――。美邦ちゃん、小さかったけんな。僕のほうは、美邦ちゃんのことをよう覚えとるけど――。それでも、平坂町ひらさかちょうのことは、それなりに覚えとるでないの?」


「ひらさかちょう?」


「美邦ちゃんが小さい頃に住んどった町の名前だが。」


「そうですか。――町の名前は初めて聞きました。」


啓は呆れたような表情となり、昭へと視線を向けた。


「町のこと教えとらんの、本当だっただな。」


「別に、知らなくてもいいことだったからだ。」


「知らなくてもええなんてことはないだら。この十年間――こっちが、どれだけ気にかけとったか。――」


「別に――来てもらわなくともよかったんだ。たとえ俺が死んだとしても、そっちに連絡を入れるつもりはなかった。いや、谷川が勝手に連絡したくらいだから、どうなっていたかは分からないが。ともかく――美邦をそっちに遣るつもりはないから。」


少し不安になり、美邦は啓へ視線を遣った。


それを受けて、啓は説明を始める。


「いや――ついさっきまで、お父さんと話しとっただが。もしも――もしもだけれど――お父さんの身に何かがあったら、美邦ちゃんはどうするのかって。僕自身は、こっちで引き取っても構わんって思っとるだけど。そう言ったら、お父さんから反対を受けてしまって――。僕は、美邦ちゃんの意見も聞いてみるべきだって言っただけど。」


「その――ひらさかちょうで暮らすということですか?」


「うん。」


親戚の元で暮らす選択肢があることは聞かされていた。そうでなければ、自分は施設に預けられるのだという。どちらがいいのかは分からない。しかし、「施設」という言葉が、何となく恐ろしく感じられていたことは事実だ。


俺は行くべきではないと思うがな――と昭は言った。


「あそこは岡山みたいに拓けた処じゃないし、閉鎖的で人も冷たい。近所との付き合い方も、生活の利便性も全く違う。住み慣れた土地や、こちらの友達まで捨てて、あんな処に行く必要はない。」


「あんな処――って。」


啓は呆れ顔となる。


「兄さん、自分の生まれ育った処だが? 十年前までは兄さんだって平坂町に住んどったが。僕だって今でも住んどるに――そんな人の冷たい処でも、閉鎖的な処でもあらせんが? 何で、そんなことを――」


「事実を言ったまでだ。美邦も、一度でも行ってみれば判る。」


それから、昭は溜め息を一つ吐いた。


「俺だって、是が非でも美邦を平坂町へ帰したくないというわけではない。ただ――俺は心配なんだ。今まで住んできたマンションも引き払い、こっちにいる友達とだって別れて暮らさんとならんのだぞ? はたしてこんな中途半端な時期に転校して、美邦が向こうでやっていけるかどうか――」


「だから――それは美邦ちゃんの意見を聴いてみるべきで――」


「まあ――そうだな。」


うなづいて、美邦のほうへと昭は顔を向ける。


「美邦はどう思ってるんだ? さっきから、肝心の美邦を置いてけぼりにしてしまっていたが。」


「わ――私は――」


急に問いかけられ、美邦はたじろいだ。


「そんな――急には答えられる話じゃないよ。その――向うのこととか、何も知らないし。今まで、名前すら聞いたこともなかったのに――」


それを受け、啓は妙に優しげな声で言う。


「まあ、あくまでも選択の一つというだけの話だよ。実は、家内にも娘にも、まだ何も言ってないから。一度、平坂町へ行って、顔を合わせてみてから考えるのも悪くはないと思う。」


「そう――ですね。」


美邦はうなづいた。昭はつまらなさそうに顔を窓へと向ける。彼方には、橙色に染まった空がある。


「いずれにしろ――俺はもう生きて帰ることはないんだな。」

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