第十一章 大雪

1 二千年前の君

空を飛んでいた。


両腕を拡げ、うつ伏せになりながらゆっくりと落下していた。


眼前に拡がるのは、大きく湾曲した入海である。浜辺は水掻きに似ていた。沖合には、広い沙浜に囲われた扁平な島が一つある。


冬樹はその地形に見覚えがあった。いつか目にした、二千年前の平坂町の想像図と似ている。弥生時代の平坂町は、現在の中通りあたりまで海であった。あの扁平な島は、現在の入江に当たる場所だ。


地上へ近づくにつれ、入海は暗くなってゆく。日が没しているのだ。


伊吹山の麓には、宮殿のような建物や集落があった。


宮殿のような建物は、どことなく出雲大社の社殿と似ている。周囲にある竪穴式住居と比較すればやや大きいものの、実はあまり立派な建物ではない。「宮殿」があるのは、ちょうど現在の中学校の建っているあたりだ。そこから真西の沖合には、尖った形の岩礁が浮かんでいる。


冬樹は、自分の見ているものが古代の平坂町であると理解した。


屋根をすり抜け、「宮殿」の中へと着地する。


日はもう没したらしい。「宮殿」の中は真っ暗な闇に包まれている。けれどもまるで夜目が効いたように、周囲の様子ははっきりと判る。


とても殺伐とした空間だ。とばりが垂らされた玉座のような場所を除けば、ほぼ何もない。随所には、蒼い葉の付いた枝が柱に飾られていたり、茣蓙ござや土器が置かれていたりしている。それこそ神殿の中のようである。


その柱へ飾られている植物へと冬樹は目を遣る。最初は榊かと思った。実際はたぶであるらしい。尖っておらず、流線型をしている。確か、神を祀るために使われていた植物は、元々は榊ではなく、椨であったか――。


どれくらいそこに立っていたことだろう。


遠くから、クヮーンという鐘のような音が聞こえてきた。音のした方角へと冬樹は顔を向ける。再び、クヮーンという音が聞こえてくる。


導かれるように宮殿の外へ出た。扉をすり抜け、建物から降りる。


空には満天の星が輝いていた。「宮殿」は浜辺の近くに建てられており、波の音が迫る。そんな中、金属を打ち鳴らすような音は響いている。


音のする方向へ歩みを進めた。伊吹山の麓に、篝火かがりびを持つ人々の姿があった。おおよそ十人程度か。行列からは、二メートルほどの高さもある矛が二本突き出ている。矛には銅鐸が吊るされていた。行列の中の男達が矛を揺り動かすたび、銅鐸はクヮーンと澄んだ音を立てる。


一同が動きだしたので、冬樹はそれに続いた。


海から激しい風の吹き付ける中、一同は浜辺沿いを進む。


行列の先頭を歩くのは、巫女と思しき高貴な女性である。続いて、一年神主と思しき男女。矛を持った二人、供物を持った男達――。誰もが顔に刺青をしている。この浜辺は、やはり今の中通りと同じ位置にあるらしい。


青ヶ浜へと着いた。一同は沙浜の上へ祭壇を組み始める。巫女が持っていた椨の木を立て、銅鏡を据え、様々な神饌を供えた。


篝火に照らされ、巫女の顔が明るみとなる。


その姿が美邦のものであることに気づき、冬樹は驚いた。年齢は二十代後半ほどか。左眼は失明しており、顔中に刺青いれずみが施されている。しかしやはり美邦には違いない。


その顔をじっと観察していると、巫女は冬樹の存在に気づいたのか、視線を合わせた。自分の姿が認識されたことを冬樹は意外に思う。そして巫女はにこりと微笑み、海の向こうを指さす。


海へと顔を向けると、沖合には鳥居のようなものが建っていた。二本の柱の上部が注連縄でつながれ、門のような形をしている。「鳥居」の向こうには真っ黒な闇が拡がっていた。


けれどもその闇の中にこそ、冬樹は行かなければならない気がする。そもそも、ここは自分がいるべき処ではないのだから。


冬樹は弥生時代の人間ではない。かつて青ヶ浜に立ったとき、その向こうには常世の国があるような気がしていた。今は、むしろそこにこそ現世があるように思う。


冬樹は青ヶ浜から離れ、黒い波の上を飛んで行った。「鳥居」をくぐり、海の向こうへと進んでゆく。その向こうには本物の美邦が待っている。冬樹の身を案じ、覚醒するのを待っているはずだ――。

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