14 クラスメイトたち

一時間目の授業のあいだ、冬樹の席の背後からは、ぶつぶつと怨み言をつぶやく笹倉の声が聞こえ続けていた。


授業が終わると、教室を飛び出して笹倉はどこかへ向かった。恐らくは鳩村へ言いつけに行ったのであろう――冬樹はそれを経験的に悟った。


帰って来てからは、クラスメイト達に怨みをぶつけるのに必死だった。誰かが会話しているところへ男女問わず割り込んできて、冬樹や美邦に対するあることやないことを吹き込んで回るのだ。それが相手にされないことを理解すると、なおのこと不満を募らせた。


――鳩村先生は、あんなの相手にしたんだらぁか?


笹倉が奇行を取れば取るほど、クラスメイトは非難の視線を冬樹や美邦へ向ける。美邦に目を遣れば、ますます居心地が悪そうに縮こまっていた。


二時間目に入って以降も、冬樹の背後からは、ぶつぶつと呪詛のような言葉が聞こえ続けた。


当然、笹倉の心境など冬樹には判るはずもない。ただし、あの蒼白くなった顔や、最近になって異常性を増してきた言動は気にかかった。


――また、変なことにならなきゃええが。


それから午後に入るまで、笹倉の言動はあまり変わらなかった。


事態が変わったのは給食時間が終わったときだ。


冬樹は最近、全くと言っていいほど食慾がない。消化不良も酷い。無理に食べようとすると吐き気を感じる。それでも完食しないと叱られるため、時間内に全て食べ終えた。


食器カゴに食器を返し、図書室へ行こうとする。最近は、芳賀でさえも冬樹との付き合いに乗り気ではない。教室にはまだ給食を食べきれていない生徒達が何人かいる。美邦もその一人であった。


しかし冬樹が教室を出ようとしたとき、その前に笹倉が立ち塞がった。コッペパンを片手に握り、不愉快そうな顔で齧っている。その歪んだ真っ白な顔は、ちょうど肉まんのようであった。


「どこ行くつもりぃ?」


何と答えたらいいものか、冬樹はしばし迷う。


「図書館だが。他に行く処もない。」


「本当は、大原さんと待ち合わせしとるでないだかぁ?」


はぁ――と、思わず見下すような声が出た。


「違うよ。――図書館に行くくらい、別にいつものことだが。」


笹倉の目に憎悪の焔が宿った。


「何で藤村、いっつもそんな姫子を莫迦にした目しとるだ!?」


教室中が一斉に冬樹へと注目する。瞬時に、それは非難の眼差しへと変わった。美邦は、何か恐ろしいものを見るような目をしている。


そんな視線に気づいたのか、笹倉は離れた場所の美邦にも声を上げる。


「大原も何か言ったらどうだ、この疫病神!」


美邦はびくっと震え、申し訳なさそうに顔をうつむける。


その言葉は、冬樹にとって腹に据えかねるものがあった。


「おい――今は大原さんは関係ないだろが。」


「関係ないことないが! 私だって実相寺さんが亡くなってクラスのこと心配しとるのに、何で藤村は姫子に対して帰れなんて言っただ!? 大原も何で藤村と一緒になって姫子のこと見下して無視するだ!? 実相寺さんに一体何吹き込まれただいや!」


笹倉の声は、子供の癇癪そのものだった。しかも、冬樹はこのときになって、初めて笹倉が由香を「さんづけ」しているところを聞いた。


呆れて溜め息が出る。どう説明したらいいか分からない。


ややあって、絞り出すように、関係ないじゃないかと言った。


「たとえ俺の態度が気に喰わんかったとしても――大原さんはお前に対して侮蔑的な態度なんかとっとらんかったが。大体からして――それで一体、何で実相寺のことが出てくるだいや。それこそ関係ないが。」


「そうかな?」


配膳台のほうから、笹倉とは違う声が聞こえてきた。


幸子だった。ちょうど食器カゴに食器を返し終えたところだ。


「大原さんが神社のことになんか巻き込まなきゃ、由香も亡くならんかったでないかな? 少なくとも、私はさあ思っとるだけど。ただでさえ、この町では不審死とか行方不明が多いっていうのに。」


冬樹は言葉を失った。


なぜこのタイミングで笹倉の味方をするのだ。ここ何週間か幸子は美邦と口を利いていないとは聞いていたが、まさかそのことが理由なのか。


「神社ぁ――?」笹倉は怪訝な声で幸子へと問う。「古泉さん、一体それってどぉいうことぉ? やっぱ藤村と大原って、何か企んどったのぉ?」


別に――と幸子は言う。


「笹倉さんは深くは知らんくてもええことだとは思うけど。転校してきた日、大原さんが『この町に神社はなかった?』って、由香に訊いただが。そのことを訊きに、私と由香と藤村君と大原さんで郷土史家の家に行っただけん。けれどその郷土史家、死んじゃっただよね。――ほら、このあいだの上里の火事で。」


教室が少しだけざわつく。


「やっぱり関係のあることだがないや。」


笹倉は冬樹をねめつけた。


「だけん、神社ってどこの神社だって姫子は訊いただがんや。藤村は最近、何だか大原とこそこそやっとるが!? 大原が転校してきてから、この町では変なことばっか起こっとるがないや!」


教室中の非難の視線が冬樹に降り注いだ。


冬樹は思わず言葉に詰まる。


笹倉はさらに批判の言葉を投げかけた。


「クラスのこと話しとった癖に、何でそうまでして嘘ついて姫子のこと馬鹿にしたりのけ者にしたりするだ!? このあいだは黒板の白墨が変なことになっとったし――こんな変なことが立て続けに起こっとって、大原が無関係なんて言える? 築島先生も、大原の家の前で死んどっただし、居候しとる家の人も実は迷惑しとったりして。」


美邦はなおさら窮屈そうに身体を縮める。


冬樹はさすがに頭に血が昇るのを感じた。


「ただの思い込みじゃねえか――いい加減にしろって。」


冬樹のすぐ隣から再び批判の声が上がった。


「あんたこそええ加減にしたらどう?」


さっきから騒ぎを眺めていた田中という女子だ。由香が失踪したとき、美邦に絡んでいた人物である。


「結局のところ、クラスで起きとることについて話しとったわけだし、笹倉さんはそれについて訊いただけでしょ? 大体が、そもそも笹倉さんを除け者にするような態度を取ったあんたら二人が異常じゃん。」


「だから――何でそれが大原さんのせいだって言えるんだよ、お前は。」


「それはさっき笹倉さんが説明したばっかでない。」


呆れたような口調で幸子が言う。


「大原さんと関係を持った人達が、次々と死んでっとるんでしょ? 築島先生が亡くなる前も、何か変な物を受け取ってたし。その前は、黒板の白墨が融けたよね? 関係がないだなんて本当は思っとらんだら? 祟りが何だのかんだのとあれだけ講釈を垂れておきながら――。」


幸子の口から発せられた「祟り」という言葉が、異質な響きを放っていた。まるでクラスメイト達の不安が凝縮されたかのような言葉である。


教室中が、しんとした空気に包まれた。


冬樹はようやく反論する。


「仮に――そのことと大原さんと何かが関係があったところで、笹倉が除け者にされたとか、そういうこととは関係ないはずだ。ましてや――そんな除け者にしたとか、そういう態度を取った覚えはないし。」


言っている最中、冬樹のそばに近づいて来た者があった。


「あの――さあ。」


芳賀だった。


「藤村君さ、このあいだから大原さんばっか構っとるけど、それって何でなん? 藤村君はさ、大原さんの一体何なの? 関係がないって言ったら、藤村君と大原さんのほうにこそ、何の関係もないと思うだけど。」


冬樹は、再び言葉を失ってしまった。


「やっぱ藤村は、クラスのことについて話しとっただがんや!」


笹倉が再び金切り声を上げた。


「大原とは祟りだとか何だとかクラスのことについて話しとるのに、しかも大原に対してよくは思っとらんのは姫子だけじゃないのに、何で姫子だけ――! 大原も実相寺さんから一体何を吹き込まれただいや! どうせ姫子とは関わるなとか口を利くなとか、そんなこと言われて、真に受けたでないだか! 言ってみろ!」


笹倉は人差し指を冬樹に突き立てた。まるで勇気を奮って悪事を指摘する被害者のようだ。もし何も知らない者がこの場に居合わせたら、恐らく冬樹のほうこそが加害者に見えたのではないか。


「また、何をそんなわけの分からないことを――」


「わけが解らないとか言って異常者扱いしとるのがお前だろうが! 姫子はわけの分からないことなんて言ってません! やったことをやってないって言い続けとるお前のほうがわけが分からんわ!」


興奮してきたのか、しゃべっているうちに徐々に顔を紅潮させ、瞳に涙を浮かべ始める。やがてそれは、堰を切ったように目蓋から零れ始めた。


「そもそも藤村は小三のころからこうだったが! 普段は大人しさぁな顔しとるくせに、桜香ちぇりかがおらんようになって姫子が苛められるやぁになってからは無視し始めたでないか! それまでは姫子のこと友達だとか言って、悩んどることがあったら何でも相談してくれたらええって言っとったのに――あのときまで友達だったのお前だけだっただがんや!」


桜香とは、笹倉の妹の名前であった。どうやら笹倉は、冬樹と別の人物を混同しているようだ。ひょっとしたらそれは由香なのではないか。


「それなのに――桜香がおらんようになったあとは、いなくなって嬉しかっただろうだとか、ざまぁだとか祟りだとか何だとかと言って――! そんなお前が――お前が――祟りだなんて今さらのように言いやがって!」


ひととおり言い終えると、笹倉は小児のようにわんわんと泣き出した。


「おい何してんだお前らは!」


鳩村が教室へ這入って来た。背後には岩井の姿もある。恐らくは、騒ぎに収拾がつかないものと思って、岩井が呼んできたのであろう。


笹倉は、鳩村の胸の中へと飛びこんでいった。そして顔をうずめ、藤村が――大原が――とわめき立てた。鳩村は何かを察した顔をし、笹倉の肩を抱く。そして、外で話そうなと言い、笹倉を教室の外へ連れて行った。


教室内が、いつにもましてしんと静かになった。


岩井は唇を固く結び、きっと冬樹をねめつける。


「笹倉さんの声は教室の外にも響いていましたよ。まさか貴方があのような醜い自己弁護をするとは思いもよりませんでした。笹倉さんが今までどのような目に遭ってこられたか、貴方が知らないわけがないでしょう?」


冬樹はぎょっとした。


岩井までもがおかしくなっている。


「俺が何をしたって言うんだ。ただ笹倉が一方的に怒鳴り散らしとっただけでないか。どちらが悪いなんて、傍から話を聴いてりゃ分かるだろ。」


「傍から話を聴いていれば分かると言うのなら――こちらも全く同じことを言えるのですよ。私は小学校が別でしたので、笹倉さんに何があったのか詳しくは知りません。知っているのは、中学に入ってからクラスで孤立してきた姿だけです。しかし――そもそも笹倉さんは、なぜ今になって貴方に怒りをぶつけたのでしょうか?」


冬樹はぽかんと口を開けた。そんなことはむしろ冬樹が知りたいくらいだ。まともな回答を探しあぐね、冬樹は仕方なく、分からないと答える。


岩井は軽く溜め息を吐いた。


「それは貴方の中に、この人は嫌いだなとか、この人は厭だなとかという、そういった醜い感情があるからですよ。」


もはや何も言えなくなってしまった。


岩井は美邦の席へと近づき、そして冷淡な言葉を投げかける。


「大原さんもです。早く給食を食べ終えて下さい。当番の達に迷惑です。」


美邦は顔を俯けた。食器プレートの上には、スープだけがまだ半分ほど残っている。しかし、今は冷たくなってしまっているであろうと容易に想像がついた。

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