6 不安の一夜

それから美邦はマンションへ、啓はホテルへと帰っていった。


マンションへ着き、美邦は戸棚からアルバムを引っ張り出した。平坂町にいた頃のことが、何か分からないかと思ったからだ。


しかしそこに載せられていたものは、岡山へ来て以降の写真ばかりであった。それ以前の写真はほとんどはがされている。僅かに残された写真は、美邦や母の姿が大きく写っているものであり、どこで撮られたものかは判らない。剥された写真には――恐らくは平坂町の風景や親戚の姿などが写っていたのではないか。


――お父さん、何で。


アルバムをじっくりと見たことなどなかったし、このような状態になっていることも知らなかった。父に対する不信の思いが募ってゆく。


同時に、胸を締めつけられる思いに駆られた。残された写真は、昭と過ごしてきた今までの時間をありありと思い起こさせた。父の死を目前とした今、自らの人生を振り返ることは限りなく辛かった。


美邦はアルバムをそっと閉じた。


それからパソコンを起動させ、インターネットに接続した。平坂町に神社はないのか調べるためだ。しかし平坂町に存在する神社として唯一出てきたものは、啓の言うとおり祠のようなものであった。記憶の中の神社とは似ても似つかない。


――そんなはずはないのに。


平坂町には、大きな神社が確かにあったはずなのだ。


しかしそんなものはないという。違和感は次第に奇妙な気分へと変わってきた――何かを忘れていることを思い出したような気分に。


パソコンを閉じ、自分の部屋へと向かう。


――明日は学校が終わったら、ちゃんと訊いてこよう。


なぜ昭が、平坂町について今まで黙っていたのか――を。


それから学校の課題を済ませ、風呂へと入った。風呂から上がったあとは、するべき家事も特になかったので、すぐにベッドへ入る。ぽかぽかと温まったあとだけあり、すとんと眠りに落ちた。


    *


そして美邦は夢を見た。


随分と長い夢だったような気もしたが、目覚めると同時にそのほとんどは思い出せなくなった。僅かに思い出せるものは沙浜の景色であった。


どこまでも続く広い沙浜を歩いていた。冷たい風が海から吹き付けている。深夜であるらしく、海原も空も真っ暗だ。それでも不思議と視界は晴れていた。周囲に人工物は何もなく、自然のままである。


古代の貴人が着るような白い衣服を美邦は身にまとっていた。しかしそのことは不思議とも何とも思えなかった。ただ何かから誘われるように沙浜を歩き続けている。


何者かが自分を呼んでいる。それは、海の向こうから聞こえるような気がする。歩みを進めるにつれ、はっきりと感じられるようになった。


――来い。


――こっちへ――来い。


声なき声が自分を呼んでいる。


美邦は足取りを早めた。


潮騒が少し強まる。


沙浜はどんどんと幅が拡がってゆき、半島のような形となって沖合の小島とつながった。その広い沙洲さすの向こうが、浜辺の終着点であった。


沙洲の向こう――沖合の岩礁には鳥居が建っていた。


細い二本足の鳥居が、荒波に揉まれていた。声なき声は、その向こうから聞こえている。来い――こっちへ――来い――と呼びかける。しかし沖合の鳥居は、むしろその向こうから何かの来そうな存在感を放っていた。


    *


朝起きると、美邦は制服へ着替えた。


顔を洗い、朝食のトーストを焼いた。


朝餉の席でも、先日に起きたことを気にかけていた。学校が終わったら昭の元へ行き、平坂町のことについて問い糺そうと思った。死期が近いとは言えど、まだもう少しだけ時間は残っているだろう。


電話がけたたましい呼び出し音を立てたのは、そんなときだ。


こんな時間に電話を掛けてくる者など、まずいない。


刺すような電子音が襟足えりあしを撫でる。


恐る恐る電話機に近づいた。発信者は、昭の入院している総合病院であった。踌躇ためらう美邦を急かすかのように、電子音は鳴り続ける。


ひょっとしたら、昭に何事かがあったのかもしれない。そうであれば、聞かないわけにはいかない。震える手で受話器を取り、そっと耳に当てる。


電話の主は、昭の主治医であった。


その報せを耳にしたとき、美邦は思わず受話器を落とした。あまりにも唐突にやってきた、父との別れであった。それからしばらくは、電話機の前で呆然と立ち尽くしていた。

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