第十章 師走

1 柳田と折口

昭和二十四年、四月のことである。


石田栄一郎という新参の民俗学者の提案で、柳田國雄と折口信夫による座談会が開かれた。日本民族と日本国家の源流について、古参の民俗学者二人に語ってもらおうという試みである。


この座談会の途中、日本民族の信仰の原始形態はいかなるものであったか――という議題に石田は触れた。神の原始形態について、柳田と折口には相違があったからだ。


柳田にとって、神の原始的な形は祖先であった。


一方、折口が提唱したものは――マレビトであった。しかし、このマレビトというものが、柳田には理解できなかったのだ。


「先日、神道の原始形態に関する両先生の対談が放送されましたね。」


石田はそのように話題を振る。


「私ども比較民族学の学問をやっております者にとっては、あの短い対談の中から非常に多くの設問を提示されたように感じられました。どうかこの機会に、前の座談会と関連せしめて、その問題から何かお話して頂きたいと存じます。」


柳田は満足そうに微笑み、口を開く。


「固有信仰の問題は、今まで比較的顧みられなかったことで、最も分かり難いことでもある。しかし皆さんがそう考えておられるのなら、本懐の至りです。ではいい機会だから、折口君のマレビトというものについて考えてみようじゃありませんか。」


柳田は含むような視線を折口に向ける。


「意見が違うから触れずにおいてもいいが――貴方がマレビトというものを考えついた道筋を話してはみませんか。」


折口は何事かを考えた。


そして、動機はそう濃厚なものではございませんと答える。


「なぜ日本人は旅をしたのか――というところから始まったのだと思います。障碍の多い古代の道を歩いて、どうして旅を続けなければならなかったのか――。どうやらこれは、神の教えを伝播するために、あるいは神々そのものに扮装して歩かなければ旅はできない――というようなところから考えついたのだと思います。」


「それは今まで、私の考えつかなかったところだ。」


難しい顔で柳田は言う。


「仏教以前にも異郷の神の宣伝者があったことが、幸いにも文献に残っています。常世神が最初ですが――あれは確か、駿河でしたね。あれ以外にも、旅人が信仰を持って入って来たという事例がありますか?」


常世神とは、『日本書紀』に登場する新興宗教の神である。


「事例は様々にあったかと思います。」


折口はそう言った。


「いま急に思い出そうとすると、不自然なことになりそうですが――。ただ、そういった歴史上の類型を集め、考えあぐねていたとき、台湾の『蕃族ばんぞく調査報告書』を読みました。それが、散乱していた私の考えを纏めたのです。」


『蕃族調査報告書』は、台湾総督府が大正年間中、台湾原住民像の文化と民俗について調べ上げた報告書である。


「その中では、村が段々移動してゆく話――また、それを詳細に言い伝えている村の話――あるいは、宗教的覚醒者が村々を渡り歩いてゆく話などが載せられておりました。これらの事実が、古代日本の旅人にある暗示を与えてくれたのです。」


「私もあの報告書は注意して読みましたよ。」


報告書の内容を思い出して柳田は言う。


「あの中で最も面白いと思ったのは、台湾の東海岸でマヤの神と呼ばれているものだ。これは沖縄のほうにも存在していて、定期的にニライカナイからやって来るという。これには宣教者のような者がない。それなのにどうしてこの島に、この信仰が強く遺ったのか、私にはまだ説明ができていないのです。」


「私の考えでは、同じマレビトと申しましても、そういうふうに時を定めて来訪するものばかりではなく、流離さすらいながら来る者があったようです。中には――例えば、村八分のような刑罰によって、共同体から追放された者なども――」


「旅人か何か判らない不時の出現。それを信仰者が旅をしていると推測できますか?」


柳田のこの質問は、当然のものであったであろう。


柳田にとって、神の原始形態は祖霊なのだ。こんな訳の分からない流離人がどうして神になるのか、理解できなかったに違いない。


「ええ――例えば、不可解な経路を辿って村へ来た者がいたとしましょう。それが既に神秘的な感情を抱かせるほか、出現の時期だとか、状態だとか服装だとか、様々に神聖視される条件がある。何よりも重要なのは、この来訪者が、災害など消極的ネガティヴな効果と関連づけられることです。――このことを日本の民俗学的に整理すると、ホカイビトの原形を思わせてくる。他郷人を、他界人と考えた共同体住民の心理を思うようになったのです。」


ホカイビトは、まじないの言葉を唱えて歩いた物乞いのことである。


議論に果てがないと思ったのか、石田は次のように問うた。


「折口先生――マレビトの中には、祖霊とか祖先神とかという観念は含まれておりましょうか?」


これが最も肝心なことであった。


「それは最も整頓された形です。――祖先の魂は、常世の国という死者の島へ集まる。そこへ行けば、老若男女が一つの霊魂に帰してしまい、簡単になってしまう。それが、家々の祖先ではなくて、単に村の祖先として帰って来る。けれども家々へ来るときは、その家の祖先と考えられるのです。私は、マレビト一つ一つに祖先の個性を見い出せません。――分割して考えるのは、家々の人の勝手でしょう。」


これを聞いた柳田の心中は、面白くなかったに違いない。


「常世の国から来たと考えるか、鉢叩きの七兵衛と考えるか、それは受け方だけの事情ではなかったろうか。」


もしも村の外から来た者が神になるのであれば、神もチンドン屋も同じになってしまうはずではないか――ということである。


――そんなことで、はたしていいのか。


しかし折口の言わんとすることは、まさにそのとおりだった。たとえ異界から来た霊的存在であろうとも、鉢叩きの七兵衛であろうとも、村人の解釈次第では神となってしまうのだ。


――そんなことが、あり得るか。


柳田は生涯、折口のマレビト論を認めなかった。柳田と折口は師弟関係であり、両者ともお互いに公然と批判するようなことはしなかった。しかしこの二人のあいだに、マレビトの存在は亀裂として存在し続けた。

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