4 岩井との相談

それから二日経っても幸子は登校してこなかった。


金曜日の朝――美邦はいつもの丁字路で幸子を待った。


海から吹いてくる風が冷たい。気温は日に日に低くなっている。その風に吹かれて、民家の軒先から垂れた紅い布がそよいでいた。


今日もまた幸子は来ない。


美邦は独りで通学路を歩き始める。


学校へ着き、昇降口で上履きに履き替えようとした。


そして、自分の下駄箱に何か紙が入っていることに気づいた。手のひら大の紙が、二つ折りにして上履きの上に置かれている。


一体何なのだろうと思い、紙片を手に取り開いてみた。


――おまえのせいで実相寺は死んだ。責任をとれ。


そこには紅いボールペンでそう書かれていた。


胸の奥が疼く。


誰がこんな紙を入れたのか。


筆跡が分からないよう文字は定規を当てて書いてある。


なぜ、自分のせいで由香が死んだなどと言われなければならないのか。


美邦は紙片を握りしめ、教室へと向かった。


教室は、いつもの活気を取り戻しつつある。


教室へ這入るのを美邦は一瞬だけ踌躇う。あの紙片を下駄箱に入れた者が、この中にいるのではないかと思ったからだ。


――おまえのせいで実相寺は死んだ。


クラスメイトの全員がそう考えているのではないかという気がしてきた。もちろん、それが考えすぎだということは分かっている。心を落ち着かせ、教室の中へと美邦は這入る。


そして、由香の席のそばに何者かが立っているのが目に入った。


それはいつもの黒い人影であった。席に入れられた椅子を自分で引き出して坐ることができず、困惑しているかのように見える。ただただ、じっと目の前の百合の花をながめていた。


その人影は、遠目にはおかっぱ頭の少女のようでもあった。


美邦は思わず目を逸らす。


――幻視だ。


これは脳の誤作動が起こす幻影にすぎないのだ。


いや――たとえそうであったとしても、何と厭な幻視であろうか。


これでは、まるで――。


そこから先の考えを、美邦は振り切った。


人影から目を逸らしながら、自分の席へと着く。


いくら目を逸らしていても、隣の席が気にかかって仕方がない。それからしばらくのあいだ、胸が締められるような時を過ごした。よりによって、なぜこのような幻視を見るのか。これは左眼の視覚が遮断されていることにより、脳が起こす誤作動でしかないはずなのに。


しかし朝学活が終わるころにはそんな人影もどこかへ消えた。


    *


休み時間へ入り、岩井が声をかけてきた。


「古泉さん、今日も登校してきませんね。」


やはり学級委員長である手前、気にかかるのであろうか。


「うん――。一体、どうしたんだろうね。」


「一度、お見舞いへ行くべきでしょうか。」


岩井のその提案は、言うまでもなく意外であった。


岩井は幸子とあまり関わりがない。それでも、伊達に学級委員を務めているわけではないのだろう。


「うん――私も、できればそうしたいよ。けれども岩井さん、幸子の家の住所って知っているの?」


「いえ、私は上里に住んでおりますので、詳しくは知りませんけれども――。確か、伊吹のほうでしたっけ? 鳩村先生に訊いてみれば、教えてくださるでしょう。今日は暗くなるのが早そうですので、できれば明日にでも行ってみましょうか?」


「うん――そうしたほうがいいかもね。」


美邦は窓の外に目を遣った。空は鼠色の雲で覆われている。最近は日も短い。放課後に見舞に行くよりかは、休日の、日の高いうちに訪れたほうがいい。


「それでは鳩村先生から住所を訊くことができたら、明日のお昼にでも古泉さんの家へ行ってみましょうか。」


「うん、全然構わないよ。」


「――藤村さんも、誘いますか?」


そう言い、岩井は冬樹のほうへ目を遣った。


二人は冬樹の席へ近づいてゆく。そして幸子の見舞へ行かないかと話した。


「いや、俺はいいよ。明日は予定あるし。そういうことは、女子だけでやってくれ。」


「あら――そうですか。」


岩井は少し残念そうな顔をする。しかし、年頃の男子が女子の家へ上がるのは難しいのかもしれない。


「分かっているとは思うが、早めに帰るようにな。」


冬樹は重ね重ね、そう注意する。


美邦はうんとうなづき、視線を下に向ける。平坂町の事情を知り、由香が亡くなった今となっては、言わずとも分かり切っていたことであった。

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