第七章 立冬

1 爪

十一月四日の底冷えする未明のことだ。


冬樹は激痛で目を覚ました。


目を覚ますまで、何か気がかりな夢を見ていたような気がする。


しかしその記憶も、頭が真っ白になりそうな痛みで消し飛んだ。


冬樹は悲鳴を上げ、ベッドから転がり落ちた。床や学習机に激しく身体を打ちつける。けれども、そんなものは気にならないほどの痛みが爪先から奔っていた。右足の爪先を抱え込み、身体を丸める。しばらくは涙が止まらなかったし、何も考えられなかった。


そのままの姿勢で何分か経った。


やがて部屋の扉が開いた。


「どうしたの――冬樹?」


顔を上げると、早苗が眠たげな表情をして立っていた。冬樹の悲鳴を聞きつけ、起きてきたのだろう。


気を取り戻し、恐る恐る爪先へ目を遣る。暗闇で何も見えなかった。


「か、母さん――電気、電気点けて――!」


言われるがまま早苗は照明を点ける。


白い無機質な光が降り注いだ。


爪先が顕わとなる。


左足の小指から中指までの爪が三枚、無くなっていた。


「爪が――爪が、無い!」


背中がひんやりと冷えてゆく。


早苗は訝し気な表情で冬樹の爪先へ目を遣る。そして――ああ、ないねと言った。


やはり冬樹の悲鳴で起きてきたらしく、良子が部屋の中を覗いた。


「何だえ?」


「冬樹の爪が剥がれたですって。」


「ああ、それかあ――」


それだけ言うと、良子はつまらなさそうな表情をして、去っていった。


二人の反応を目の当たりにして、冬樹は違和感を覚える。普段の二人ならば、もっと冬樹を心配するような対応を取っていたはずだ。


「救急箱持ってくるけん、待っとんなさい。」


早苗はそう言うと、眠たげに目を擦りながら部屋を出た。


底なしの不安へと突き落とされた。


自分の身体の一部が無くなっているという事実は恐ろしかった。けれどもそれ以上に、この見捨てられたような状況が理解できなかったのだ。


それからどう探してみても、冬樹の爪が見つかることはなかった。


ましてや剥がれた原因など――判ろうはずがなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る