3 報告

玄関から出ると、冷たい風が肌を刺した。


分厚い雲が空には乱れ飛び、裂け目からあおい色が漏れている。中国山地から吹き降ろす風が強く、天候の乱れやすいのが山陰地方の特徴だ。今日は雨が降るとのことだったので、傘を持って登校する。


声をかけられたのは、中通りを学校のほうへ曲がったときのことだ。


「おはよう、美邦ちゃん。」


振り返ると、そこには由香が立っていた。隣には幸子もいる。どう返事をしたらいいものか、美邦は少しばかり困惑する。


「あっ、あ、おはよう。えっと――」


「そこは、由香でええよ。」


「あっ、うん。おはよう、由香。」


「もう――由香ったら、少し慣れ慣れしすぎでないの?」


「あっ、いや――」美邦は軽く首を横に振る。「別に、全然大丈夫だよ。」


「――そ。」幸子はうなづき、微笑む。「それなら、私も大原さんのことは名前で呼んでええかな? 大原さんも、私のことは幸子でええし。」


「うん、分かった――幸子。」


三人で雑談をしながら通学路を進んでゆく。


学校へ着いた。二年A組の教室へ這入っても、冬樹の姿はなかった。美邦のほうが早く着いたようだ。神社のことについて何か分かっているかもしれないと淡い期待を抱きつつ、美邦は冬樹を待った。


冬樹が教室へ這入って来たのは、始業時間の直前であった。


どういうわけか、酷く眠たそうな表情をしていた。


チャイムが鳴り、朝学活が始まる。


読書の時間が終わり、十分間休憩に入った。


自分の席に着いたまま、美邦は一時間目の授業の準備を始める。


そこへ冬樹がやって来た。


「大原さん――今ちょっとええ?」


「あ――うん。」


出会って間もない人間と話すときの癖で、美邦は顔を逸らす。


「別に、構わないけれども――。何かな?」


「いや、大したことでないだけども、昨日の件で、判ったことがあって。」


「あ――判ったんだ。」


「えっ、藤村君、神社ってあったの?」


由香が身を乗り出してきた。


「ああ、あったで? もう、潰れちゃったらしいだけど。」


――潰れた?


その言葉の意味を、しばらく美邦は理解できずにいた。


先日の晩の出来事を冬樹は手短に説明する。神社が倒産したのだと理解したとき、頭の中が白くなった。同時に、宮司の家が火事になったらしいという言葉が心にひっかかる。


由香は残念そうな顔をした。


「そっかー、神社って潰れるもんなだなあ。」


「まあ、俺も知ったのは昨日のことだけどな。それで――この学校の図書室には、郷土誌が二冊置いてある。もう一つのほうは切り取られとらんのじゃないかな――って思って、朝のうちに確認してきた。けれども――どういうわけか、こっちも同じページが切り取られとったわ。ちょうど平坂神社について記してあるページが――カッターみたいなもんで。」


「えーっ、何で?」


「それが判ったら苦労ないわいな。――一体、どうなっとるのやら。」


折り畳まれた紙をポケットから取り出し、冬樹は美邦に差し出した。開いてみると、それはいくつかのウェブページを印刷したものであった。それらを指し示しながら冬樹は説明を始める。


「これが平坂神社のあった場所の地図で、こっちが例大祭と御祭神の説明。今は時間がないけん、詳しい説明は休み時間のときにでもええ?」


「うん――構わないよ。」


横から由香が声を上げる。


「私も見たーい!」


幸子もうなづいた。


「私に気にかかる。」


美邦は二人に微笑みかける。


「じゃ、後で二人にも見せたげるね。」


平坂神社の場所を示した地図を見つめた。


伊吹山の麓にピンが留められている。それが酷く気にかかった。美邦の記憶の中の神社は、山の中に参道が続いていたからだ。


それから先日と同じく、授業が始まった。


十一時に入るころ、大粒の雨が降り始めた。窓の外は白い弾幕で霞んだ。外が暗くなったためか、教室の蛍光灯が明るく感じられる。雨は容赦なく校舎の屋根に叩きつけ、ばらばらと大きな音を立てた。


    *


昼休憩となった。


美邦は由香と幸子を伴い、冬樹の席へ近づいた。そこには芳賀もいて、五竝べの準備を始めているところであった。


「藤村君――神社のことについて、ちょっといい?」


美邦がそう言うと、おう、いいぜと冬樹は答えた。芳賀は碁盤を片付け始める。それから、周囲から適当に椅子を引っ張り出してきてすわった。


冬樹が印刷してきた紙をまじまじと眺めながら、幸子は口を開く。


「とりあえず気になったのは――伊吹山の中に神社があったとなると、それは美邦の証言と一致するってことよね。あとは――このカミナメサイっていうのが、由香の言っとったお祭りなのかな?」


カンナメサイな――と冬樹は訂正する。


神嘗祭かんなめさいは十月十七日に行われる宮中祭祀だ。天皇陛下が伊勢神宮に勅使ちょくしを派遣されて、御神酒おみき神饌しんせんを供えられる。平坂神社では秋分の日に行われたというが――何でなのかは判らん。秋分の日に行われる祭りっていったら、普通は秋季皇霊祭でないかなと思うだけど。」


「へえ――」幸子は、特に興味もなさげに呟いた。「それで藤村君、このカンナメサイのことは調べてみたん?」


「そりゃ調べてみたさ。けれども――こっちも何も出てこんかったなあ。いくら十年前とはいえ、ネットも普及しとったはずだし、その当時の写真か何かでも出て来んかなって思ったけど。何も出てこなかった。」


そっか――と言い、幸子は少し残念そうな顔をする。


「そういえば――神社のことについて、お前ら家の人から何か聞けたか?」


冬樹がそう問うたとき、由香はふっと顔に陰りを見せた。


「私は親が共働きだけん、なかなか訊く暇がなかったな――」


「私は一応、お父さんとお母さんに訊いてみたで」と幸子は答える。「けど、どっちとも神社のことは知らんかったみたいだわ。由香が言っとったやぁなお祭りも、あった記憶はないだってさ。」


「僕も、全く同じかな。」芳賀も同意して言う。「上里だけぇかどうかは分からんけど、神社のことは誰も知らんかったわ。」


「そうか――ありがとな。」


「あの――一つだけ訊いていい?」


そのときになって、美邦はようやく口を開いた。


「神社は潰れちゃったとは言うけれども、神社ってそんなに簡単に潰れるものなの? 私、てっきりそういう場合は国から援助が出ると思っていたのだけれども。その――どんな神社だって、町の文化財だと思うから。」


冬樹は顎に手を当て、考え込んだ。


「援助に関しては詳しいことは分からんのだけど――やっぱ政教分離とか、そのへんの問題があるでないかなあ。ほら、政治と宗教は別々にするっていうやつ。神社がどうして潰れたのかは、とりあえず神社庁か市役所にでも問い合わせてみんと判らん。」


「そう。」


「それにさ、大きな神社だった割には、うちの婆ちゃんも覚えとらんかったわけだが。この町は少子高齢化と過疎化が激しいし――。あんま知られとらん神社で、氏子さんもいなくなって、挙句に家が火事になったなら、案外潰れることもあるでないかなあ。」


美邦はその説明に違和感を覚える。


「荒神様は覚えてるのに――」


「――えっ?」


「あっ、いや――」


つい、無意識のうちに口に出していたようだ。


「いや――その――。荒神様のことはみんな知ってるのに、あんな大きな神社のことを知らないだなんて――って思ってしまって。」


「ふむ。」


何かを思いついたように、由香が口を開く。


「そういえば美邦ちゃん――。美邦ちゃんって、今は平坂に住んどるんだっけ? 平坂のどのへん?」


「えっ? ううんと――三区、だったかな?」


「放課後は、何か予定とかある?」


「ううん、何もないけど?」


「よかった! じゃあさ――帰りがけに、ちょっとこの平坂神社があったって場所まで歩いてかん? 別に、山の中に這入るわけでもないだけど――行ってみたらみたで、何か思い出すこともあるかもしらんで? 平坂三区なら、この場所とも遠くないしさ。」


美邦は初め、その誘いに踌躇ためらいを覚えた。


特に深い理由はない。何となく、不安を覚えただけだ。けれども、神社のあった場所が今はどうなっているのか知りたい気持ちが強かった。


「うん――行く。」


「お前ら、ちゃんと暗くなる前に帰っとけよ?」


冬樹のその言葉に、由香は不満そうな顔をした。


「お前ら――って、藤村君は来んの? 神社のこと、私なんかよりよっぽど興味あるでない?」


「んなこと言ったって、俺が住んどるのは入江だが。神社の跡地とは正反対のほうだ。しかも今日は雨だけん、暗くなるのも早いで?」


それに――と冬樹は言う。


「大原さんは知らんかもしれんけど、この町は複雑な地形で、細い道が入り組んどるせいか、やたら交通事故が多いだが。だけん、あんま暗くならんうちに帰ったほうがええと思うで?」


「うん、知っている。叔母さんから聞いているから。」


「まあ私がおるだけん、大丈夫だとは思うけどね。」


「私も、ちょっとパスかな」と幸子は言う。「放課後は委員会があるし、帰るのも遅くなっちゃう。」


「僕も無理。」芳賀は素っ気なく言った。「家が遠いから。」


「えーっ、何だか連れないなあ――」


「まあ、由香――友達同士でわいわい言いながら見にいくものでもないと思うから。」


美邦はふと天候が気にかかり、窓の外へ目を遣った。


雨は収まるどころか、勢いを強めている。頭の中に、しっとりとした雨露に濡れた、円錐形の黒い山の姿が浮かんだ。その姿は、畏怖すべき威厳を湛えた、神の山であった。

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