第五章 霜降

1 新聞記事

月曜日――美邦は憂鬱な思いを引き摺って登校した。


土曜日はあれから有耶無耶のまま解散してしまった。


平坂神社については随分と詳しいことを知られたと思う。神社など知らないと町の人々が言い張るのは、やはり無理があるのではないか。神社が倒産するまで、神祭りも御忌も続いていたらしいのだから。


では、なぜ誰もが平坂神社など知らないと言うのであろう。


しかし、町の人々が隠し事をしているとはなぜか思えなかった。むしろ、神社は「消えてなくなってしまった」ような気がする。引っ越してきたときから、この町には何かが欠けているように感じられていた。


この町には――神がいないのだ。


そんな気がしてならない。


もしそうであるのなら――。


菅野だけが神社について詳細を語ったのはなぜなのであろうか。しかも、美邦が平坂神社の宮司の家系であると知ったとき、菅野は突如として豹変した。その表情は、まるで何かに怯えているようでもあった。


中通りを東に逸れる丁字路で、美邦は幸子と合流した。しかし、いつも一緒に登校してくるはずの由香は見当たらなかった。


「――由香は?」


「ううん――まだ、来ていないみたいだけど。いつもは私より先に来ていて、ここで私を待っとるはずなだけどね。――もう少し、待ってみる? 由香だって、たまには寝坊することくらいあると思うし。」


「そう――。ひょっとしたら、風邪が悪化しちゃったのかな?」


「そうかも。ただ、今まではそんなことなかったけどなあ――」


それからしばらく、二人はその場で由香を待った。


風は少しずつ冷たくなってゆく。丁字路からは港が見えた。城壁のような防波堤の向こうから、力強く唸る潮騒が聞こえる。防波堤の先には紅い燈台が建っており、美邦はしばらく目を離せなかった。


由香がやって来たのは、それから五分ほど経った頃だ。


その顔色を目の当たりにして、美邦は驚く。


「由香――どうしたの?」


由香の顔は――誰が見ても酷いと思えるものとなっていた。頬も少し削げ落ちている。その姿は、かつて体調を崩し始めたころの昭を連想させた。


しかし当の由香は不思議そうな表情をしている。


「どうしたの――って、何が?」


「何が、じゃないでしょ、あんた。」幸子は呆れたように言う。「ちゃんと鏡で自分の顔見た? 気分悪いんだったら、今からでも家に帰ったら?」


「いや――私は元気だよぅ? 何で二人とも、そんなこと言うかなあ? このあいだから、ちょっと様子がおかしくない?」


「様子がおかしいのは、あんたのほうだから。」


「そうだよ、由香――今日は学校を休んで病院に行ったほうがいいよ。」


「そんなこと言われても――」


それから、代わる代わる由香の健康を気遣う言葉をかけたが、暖簾のれんに手押しであった。あまり長く押し問答していても遅刻してしまうので、仕方なく学校へ向かう。


教室へ這入ると、岩井が声をかけてきた。


「おはようございます、みなさん。」


おはようと、三人は異口同音に答えた。


「それより岩井さん――ねえ、見てよ由香の顔色。」幸子は由香の顔を指さす。「何だかすごく、体調が悪さぁでない? それなのに由香は、自分は大丈夫だって言っとって聞かんくて。」


岩井は訝しそうな表情で、じっと由香の顔を観察した。


「私は――別に悪そうには見えませんけど?」


当然、美邦は驚いた。


由香の顔色は明らかに変わっている。


なぜそれを岩井は理解できないのだ。


「ほら、岩井さんもこう言っとるが? みんなちょっと考え過ぎでないの? 私自身、体調も悪いとは思えんのだけど――」


はたしてそのような程度であろうか。むしろ、今すぐにでも病院へ行ったほうがいいと思えるくらいなのだが。


始業時間が近づいてきたころ、冬樹が登校して来た。廊下からまっすぐ美邦の席へと向かってくる。そして、由香の顔を目の当たりにし、怪訝な表情となった。


「実相寺――お前、大丈夫なのか?」


「もうっ、藤村君までそがなこと言うだけん。」


由香は不満そうな表情となり、今までのやりとりをつぶやいた。


「みんな気にしすぎなだが。顔色なんて、何とでも取れるし。」


「そう――なのか?」


冬樹は納得のいかなさそうな表情をした。それが当然の反応なのだろう。むしろ岩井の反応がどうかしている。ただし由香の不満そうな表情を目の当たりにしてか、冬樹はあまり深追いしなかった。


ところで、大原さん――と冬樹は本題を切り出す。


「神社のことについて、昨日ちょっと気になって調べてきたことがある。いや――本当に神社と関係があるかはよく分からないんだけど――」


そして鞄から何枚かのコピー用紙を取り出し、美邦へと差し出した。


「よかったら、みんなと読んでほしい。質問があったら、前と同じく休み時間にでも受け付けるから。」


「うん――ありがとう。」


美邦はコピー用紙を受け取る。新聞記事を印刷したものらしかった。


また何か判ったことがあるの――と幸子は問うた。


「ああ――ちょっとな。」


それだけ言うと、冬樹は自分の席へと去っていった。


読書の時間は『常世論』を横に置き、そのコピー用紙を読んだ。


最初の一枚は死亡記事を写したものであった。余白には「平成十■年一月十一日 日本海新報」と書いてある。次の一文に傍線が引かれていた。


 10日 大原糺さん(86)平坂町伊吹■■‐■


住所は平坂神社の所在地と同じものであり、日付は十年前のものである。


――私の――お祖父さん?


残る八枚の紙は、一見して関係がないように思える記事の写しであった。


最初の五枚は全て十年前の記事であった。六月一日、平坂町伊吹で自動車事故があり三人が死亡したという記事、同年七月十五日に漁船の死亡事故で二人が死亡したという記事、十月八日に上里の会社員が自殺したという記事、十一月十五日に港で男性の溺死体が発見されたという記事。


六枚目からは九年前の記事である。一月十五日に入江で火災により一人が死亡したという記事、三月一日に平坂で自動車事故により一人が死亡したという記事、五月二十五日に平坂駅で人身事故により一人が死亡、十月五日に伊吹で孤独死した老人が腐乱死体となって発見された記事。


朝からこのような記事を読まされ、美邦は少し不愉快感を覚える。


同時に、死亡者の量が気にかかった。美邦の祖父は自然死と考えられなくもない。しかし、ほかはあまり起こり得ない死だ。ここに美邦の母を加えれば、十年前には六人もの人間が普通ではない亡くなり方をしている。人口八千人程度の田舎町で、これは明らかに異常だ。


――一体、どういうことなんだろう。


しかし、心当たりがあるような気もしていた。


この町へ来てからというものの、何か不安な気持ちがしていたのだ。その正体に触れたような気がした。このまま放置しておけば、何かが起こりそうな気がする。


――何か、大変なことが。


冬樹が渡した紙は、それから昼休憩まで廻し読みされることとなった。

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