しあわせ

ひとつ前の話の、続き。

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行くあてもなかったけど、思うがままに走ってたどり着いたのは悠咲のいつもいる図書館。

こぼれ落ちそうになる涙を拭いながら一直線に向かうのは悠咲がいつも座る本棚に一番近い席。


「……ゆうさく……」

本のページをめくる音が響く部屋で、ぼそりと消え入りそうな声でつぶやくと、彼は驚いたようにこちらを見た。

「ひ、ひまり?どうした、とりあえず外で話、聞いてやる。」

やっぱりこんな時でも、彼は優しい。


場所は変わって、小さな丘の上。

暖かい木漏れ日と、さらさらと吹く風に、こころが透かされていくようだ。


「なぁ、ひま、どうしたんだ?」

悠咲は私に問う。

「否定された。伊里川ひまりを殺されそうだった。私、お医者さんにはなりたくない。その道がどんなに幸せだろうと、なりたくない。自分で決めたい。」

ピアニストの道が、どれだけ厳しかろうと、私はその道に進みたかった。


「……ひま、わかった。俺がその願い、なんとかしてやる。ひまの家行くぞ。」


こういう時は、不器用なくせに、とっても頼りになるんだから……




「すみません、結城です。少し話があって来ました。」

いつの間にか私の家へ。

いつもより低めな声で、悠咲はそう言った。


「あら、悠咲くん、どうしたの?」

「ああ、ひまりのお母さん、単刀直入に言っていいですか?」

「別に、大丈夫だけど……」

「ひまりさんを、ピアニストにしてやってくださいませんか?」


直球勝負。でも、悠咲は話をするのが上手だから、なんとかなるかなって少しの期待。


「じゃあ、ひまりがピアニストになった場合、うちの病院はどうするの?」


小さな街の、ちょっとした病院。

潰すわけにはいけないし、人が回らなくなるのもごめんなんだろう。


「貴方の優秀な息子さんがいるじゃないですか!それでも足りないというのならば、俺が彼女の代わりに医者になってみせましょう。」


え、ちょっと待ってよ、悠咲!

そこまでするくらいなら……って思ったけど、悠咲から黙って聞いてろ、の意味のアイコンタクト。


「俺は、こう見えても手先は器用な方です。それに、理系教科は苦手ですが、逆に文系教科なら、自信があります。つまり、伝えなければならないことを伝えられ、相手の気持ちもしっかりと読みとり、不安を取り除くことだってしてみせましょう。これほど言っても、彼女をピアニストの道へ、進ませてやる事はできないでしょうか?」


「そこまで言うなら、しょうがない。悠咲くんが絶対に医者になることを条件に、許可するわ。」


「ありがとうございます!」

「お母さん、ありがとう!」

お母さんでさえ、納得させてしまうなんて、悠咲はほんとすごい。


「……悠咲、ありがとうね。」

「お前がピアニストになりたいの、ずっと前から気づいていたからな。その代わり、俺にまた、勉強教えてくれよ?」

「なーんだ、そんくらい、いつでもどうぞ!」


数十年前、悠咲が親を説得してくれたから、今の私がいる。

あの時思った、「かっこよかったよ」って一言は、今も昔も、伝えてないけどね。


伊里川ひまり、いや、結城ひまり、今凄く幸せです。

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きっといつか、幸せになれる。 水篠 皐月 @SatsukiMizusino

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