「そういえば、次に会った時に何か言っても耳を貸すな、と言ってましたが」

「心配する必要はないよ。君に聞かせたくない事を言う自分は、全員殺してしまったからね」

 邪魔者はいないという事だ。彼は続ける。

「罪人は竜に食われる事で、償いを始められる……という人間の宗教思想があると聞く」

 傷だらけのカニスマヨルは、天を仰いで刹那、嘆息する。弱りきっていると思われた古代の戦闘兵器は、次に口を開けば語気を強めていた。

「竜は戦うために産まれ、戦いの中で死ぬが定めの獣だ。罪など食えるはずがない、単なる戦闘生体兵器だ。さあ、剣を構えろ。手加減は不要。この狂竜を倒してみせよ。君の、妹の、母の、人間の。目映くも当たり前の尊厳を取り戻す戦いを」

 赤銅色の竜は剣を構え、間合いを取り始めた。こちらの準備が整うまで待っている。

「今こそあなたを倒します。全力で、戦います」

 手を抜けるはずがない。ハロルドは思った。必ず倒すと約束したのだ。そもそも相手より何倍も強くなくては、意識して手加減など不可能だ。

赤銅色の竜はあまりに強く、圧倒的な力で蹂躙された記憶が今でも焼きついている。消えない炎が燻って、心の端が痛み続けている。新しく手に入れた力で、どこまでやれるだろう。

 皆が道を繋いだおかげで、ハロルドはここまで辿り着けた。真実に気づいた時には、ダルクロッサの姿は消えていた。彼の苦しみを絶ち切り、過去と決別すると誓った。赤銅色の竜を鎮めるのは、他の誰でもない。ハロルド・フォーサイスだ。



 長きに渡り、二人は剣を交えた。体感としては一週間ほどだった気がするが、大陽も時計もないので正確には分からない。ハロルドの生理的欲求は次第に薄れ、今では我慢しても問題ない程度になっていた。外部と時間の流れが違うからかもしれないし、核の存在を自覚した事でより竜に近づいたのかもしれない。白い空間はどこまで行っても白い空間で、自分達以外の何かが現れる気配はない。カニスマヨルの核なら、何らかの心象風景が少なからず転がっているはずだが。互いの姿がよく見えるほど明るいのに、二人しか存在しない不気味な空間だ。持ち主を倒すまで出られないのは確かだった。

 隠れる場所がないのは、互いにとって不利だ。しかし、ハロルドは果敢に挑んで行く。大抵は容赦ない反撃に合うが、相手が核を破壊して来ないので致命傷にならない。それなりの痛みはあっても、受けた傷は反射的に修復される。外の世界に待機している竜体が治しているのだ。ミラは、そこにいるだろうか。カニスマヨルの仕掛ける攻撃は、やはりどこなく師匠に似ていた。子どもの頃と違い、更に過酷なものだったが。ハロルドの心は何度か折れそうになった。その度に、母や妹の笑顔を思い出す。仲間達の言葉を思い出す。膝を折っても、肉体が転んでも、降参する訳にはいかない。


 何日過ぎたか分からない。ハロルドが氷の能力を使えるようになってくると、カニスマヨルも炎の力を交えて戦い始めた。気になってきたのは、残してきた者達の安否である。

だが、外部の現状を確認する術はなかった。何らかの時間稼ぎという可能性は、既に本人によって否定されている。卑怯な真似をする人物ではないと、ハロルドには分かっていた。事態の進展を信じ、戦いに専念するしかない。


 幸いこの頃カニスマヨルの体は、刻まれた傷を修復できなくなっていた。体捌きも、目に見えて鈍り始めている。もちろん、ハロルドとて疲れ果てているのだが。体の傷を治すために、鎧の修復はどうしても後回しになる。相手の鎧の大半は破壊され、もはや防具としての効力を失っているに等しい。カニスマヨルは動きの邪魔になると判断し、煙に変えて脱ぎ捨てた。露になる上半身。一際大きい胸の刀傷から、真紅の宝石のようなものが覗いていた。いつつけられた傷かは分からない。だが、宝石の方はカニスマヨルの核だ。ハロルドは確信した。

 ここは彼の精神世界なので、竜体ではなく人型端末の方に核が入っているのだ。ハロルドの核が竜体でなく自分の胸にあるのも、そういう理由だろう。既に覚悟を決めているハロルドに、迷いはなかった。ハロルドの剣は何度も相手の核を狙い、縦横無尽に駆ける。カニスマヨルは剣で、時に手足や尾までも犠牲にして防ごうとするが、状態からして時間の問題だった。左腕が裂けた拍子に、大きく体勢を崩す。ハロルドは力を振り絞って、剣の切っ先を向け、大きく踏み込み。カニスマヨルの体を、核ごと貫いた。



 カニスマヨルの手から、遂に剣が滑り落ちた。やけに大きい金属音が、ハロルドの鼓膜を突き刺す。傷だらけの剣は白い床で数度跳ね、石のように動かなくなった。

 頭上で、カニスマヨルの声がした。見上げると、彼は少し微笑んだ。はっきりと聞き取れなかったが、否定的な意味でないのは感じられた。労いだったかもしれないし、礼の言葉かもしれないし、健闘への称賛だったかもしれない。赤い剣に貫かれたまま、ぼろぼろの腕でハロルドを抱き締める。猛々しい騎士の姿は幻だったか、と思うほど力が抜けていた。

「本当は、ずっと、こうしたかった」

 喉はすっかり枯れ果てて、おまけに震えている。こんな声は初めて聞く。

「今更そんな事言われても」

 素っ気ない返事をするハロルドだったが、急いで抱き締め返す。竜の体は冷たい。初めて会った日、手袋越しに触れた手が暖かかったのは何故だろうか。

「本当は、君ともっと話がしたい」

「うん」

「皆にお別れが、言えなかったな」

「うん」

 自分が支えていないと、直ぐにでも白い床へと倒れるだろう。そうなったが最後、霞となって消えてしまう気がした。ハロルドは、引き留めたい気持ちを抑える。泣いて、叫んで、責めたい衝動を堪える。下手に長い言葉を喋ると、それが飛び出してしまいそうで怖かった。

 やり取りをしている間にも、彼の力が抜けていく。全身で寄りかかられてはさすがに重たいが、最後まで受け止めてやりたい。ハロルドは床から氷を出して、彼の両足を固める。

「アステール……ずっと待っていてくれたのかい……」

 幻覚を見ているらしい。自分の言葉は、今の彼に伝わるだろうか。息子に抱き締められている感覚が、ちゃんとあるだろうか。

「もう眠らないと」

「うん」

「愛しているよ。ハロルド」

「俺もだ。父さん」

 ハロルドの口から、自然と言葉が出てきた。今なら言った後の違和感もない。ただ、素直な気持ちだ。カニスマヨルの肉体は、音もなく赤い粒子と化していく。『剣型殺竜兵装アラストール』と共に。重さがなくなり、背中に回されていた腕が離れて行く。白い床が大陽のように輝きだして、世界をあっという間に塗り潰す。ハロルドは、あまりの眩しさに目を閉じた。





 最初に戻って来たのは、意識のみだった。すぐに、あの場所から追い出されたと気がつく。ハロルドの精神が、竜体に戻って来たのだ。暗闇の中、響く轟音。頭から足元に向かって、風が突き抜けていく空虚な感覚が続いている。自分が透明になってしまったかのようだ。


 長い戦いの中、体が負った傷は大きい。おまけに、芯まで凍りつきそうなほど寒かった。

ハロルドは、再び意識を手放しそうになる。微かな音だったが、ハロルドと聞こえた。聞き慣れた声。ミラが自分を呼ぶ声だ。気持ちを奮い立たせ、重い両目を抉じ開ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る