『ハロルド』

 唐突に、ミラが提案する。大人しいと思えば、考え事をしていたようだ。ハロルドは無言で耳を傾ける。

『やはりここだけ、私に竜体の主導権を全て渡してくれないか』

『俺が躊躇うとでも?』

『飛行中、何があるか分からない。辿り着くだけでも負担がかかるだろう。二人でひとつの体だし、とっさの時に神経系が混乱する可能性もある。あと、お前には力を温存してもらいたい』

 ハロルドは、すぐに返事をしなかった。竜が契約者から全ての主導権を奪う行為は、緊急事態のみに限られている。契約者が意識不明になったなどの理由がなければ、普通は解禁されない機能のひとつだ。だがハロルドとミラは、自由に切り替えが可能だ。同じ胎から産まれた双子だからだ。ミラは元々シェスカだった。違うのは外見と人格、そして一部の記憶。

『あいつの元に、お前を必ず送り届ける。私を信じろ。仲間を、そして自分自身を信じろ』

 ミラとハロルドは二人でひとつだった。出会った頃は物理的な繋がりだけだったが、今は精神的にも強く繋がっているのを感じる。二人は色々な経験をしてきた。理解できない事があったし、喧嘩もした。それでも、二人はひとつだった。ハロルドが自ら死ぬ事も、ミラが食べてしまう事もなく、共に戦う道を選び続けてきた。引き裂かれて再び引き寄せられた、離れがたき比翼。いつかのシェスカのように、力強く背中を押してくれる。ハロルドの足りないものを補ってくれる。

『私はずっと、お前をいつか食べてやると言ってきたが……』

『今は違う?』

『いや、恐らく最初から同じ気持ちだった。ただ、あの頃の私は心が幼かったから、お前への友愛を食欲だと誤認していた』

『なんだそれ』

 ハロルドは苦笑した。ミラの事を恐ろしがっていたのが、今となっては笑える話だ。道中を彼女に任せると決めた途端、意識が朦朧としてきた。ハロルドは瞼を閉じて、静穏な眠りにつく事にする。



 ハロルドが次に目覚めた時、白い空間に投げ出されていた。上も下も分からず、一人きりで、ミラの声さえも聞こえない。竜体化も解かれている。

恐る恐る立ち上がると、少し肌寒さを感じた。安心できる点は、ひとつ。右手にしっかりと、赤き剣『剣型殺竜兵装アラストール』が握られていた事だ。成功したのだろうか。

宛もなく周囲を見渡していると、突然男の声がした。

「よく来たね」

 聞き慣れた声だ。ダルクロッサのものに違いない。だが、少し違和感がある。

 ハロルドが思った直後、視線の先から黒い靄が溢れ出した。靄は手早く人影を形作ってしまうと、空白の中へ霧散した。

「ここはどこかって? カニスマヨルの核だ。おめでとう。君は目的地に到達した」

 おもむろに現れたのは、深紅の長剣を携えた男の姿。人間で言えば四十歳くらいだろうか。歪みや割れの目立つ赤銅色の竜を着て、汚れと傷跡にまみれ、やっとという様子で立っている。

兜は着けていなかった。どこか翳のある表情。炎のような髪は、酷く乱れている。天を向く、一対の角は赤銅色をしており、右側が大きく欠けていた。角と同色の長く強靭な尾を、今は隠していなかった。

「現れる者といえば、壊れた私自身ばかりでね。退屈で死にそうだった。最後に君に会えてよかったよ」

 落ち着いた顔つきで、過激な事を言う。ハロルドは、相手の表情をまじまじと見つめる。

 消えてしまった時は分からなかったが、ダルクロッサはこういう顔をしていたのだ。

「ダルクロッサと名乗っていた人型端末は、私そのものではない。一部ではあるがね。アステール達と暮らしたいがために作り出した、私の思う理想の人間だった」

 確かに彼は満身創痍だった。何より声が疲れきっている。しかし、ぼろ雑巾のような外見に反して有り余る力を感じる。黄金の双眸が、爛々と輝いている。すっかり小さくなったが、消えてはいない闘志の炎。

「この意味が、分かるか?」

 一段と低い声に、毛穴が締まる。考えるより先に、ハロルドは剣を両手で握っていた。

「お前の妹の方は、暴れる私を押さえ込み、胸にその剣を突き立て……すぐに疲れて眠った。産まれた時、ボロボロだったとは思えないな」

 彼はほんの少し口を歪め、不敵な笑みを浮かべた。ダルクロッサは人間の中で生きるための姿、そして心を持っていた。人間の仮面を外した彼は、どちらかと言えば、ハロルドが師匠と呼んでいたものの方に似ている。だからと言って、ハロルドのやる事は変わらない。来てしまったからには、ここで立ち止まれない。腕の震えを抑えながら、長剣の切っ先を向ける。

「さて、君はどこまでやれる?」

 言うか言わないかの内に、一息に距離を詰めてくる。あまりに速い動作だった。ろくに動けないだろうと油断をしていたが、相手は人間ではないのだった。間に合うか分からない。斬撃を何とかとらえて、剣の腹で受け止めるしかない。


 ハロルドが僅か動いた時には、既に鋭いものが体の中央を貫いていた。間に合わなかった、と考えながら下を向く。半分以上、真紅の剣が埋まっている。相手が剣を抜かないので、血はほとんど出なかった。だが、内臓が損傷した。

 灼熱感がゆっくりと、内側から広がる。意識が遠のく。



「いいや。君は死なない。私とアステールの子だから」

 離れかけた意識を、カニスマヨルがしっかりと捕まえる。ハロルドは、シェスカに言われた事を思い出していた。わたし達は竜の子だから、そうなると思わなければ、そうはならない。まだだ。ハロルドは強く思った。自分は死なない。氷竜ミラの核は、少しも傷ついていない。カニスマヨルが傷つけなかったのだから。ぎりぎりの位置で、僅かに刃が触れている。

「意識しろ。見つけるんだ。君の核は、そこにある」

 ハロルドは、間近に穏やかな声を聞いた。この一太刀が、自分を殺すためのものでないと知る。カニスマヨルが突然長剣を引き抜いたので、ハロルドは膝から崩れ落ちた。辛うじて剣は手放さなかった。死なないと確信していても、さすがに痛い。だが、血液は飛び出さなかった。

「君を殺す気はない。アステールは命を懸けて、自分の子を守ろうとした。生物の親は大抵、産まれた子を守るものなのだろう」

 上から降ってくる声は、しっかりと聞こえていた。胴体の中心にぽっかりと熱が浮いているような、不思議極まりない感覚がある。そこから拡散する何かが満ちて、傷口を修復していく。

 ハロルドは息を呑んだ。体の様子が劇的に変わったようだ。それも悪い方向ではなく、いい方向へ。防御性能の頼りなかった全身を、群青色の鎧が包んでいく。違和感は殆んどなく、体の一部という感じだ。

「殺す気はないが、容赦するつもりもない。手が滑ったら、その限りではないね」

 矛盾する言葉がかけられる。むしろ、その方がよかったのだ。詫びながら首を差し出すなど、あの日の大敵らしくない。親子として、互いに受け止め合う覚悟がなくては。そうでなければ、ハロルドの気は収まらない。彼の気持ちはどうだろうか。身体的に繋がりのあるミラと違って、殆んど感情が伝わって来ない。視覚情報と声色が全てだ。

「立ちなさい」

 ハロルドは言われた通り、白い床から膝を離した。カニスマヨルの、割れた爪先。赤銅色をした、ぼろぼろの鎧。使い古された長剣の刀身を、緩やかな光が滑って行く。長く強靭な尾、炎の髪、暗く輝く黄金の瞳。右が欠けた赤銅色の角が、視界に再び現れる。ハロルドは、己の剣を強く握り直す。

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