第三節 竜、新星の如く

『ミラ、聞こえますか? そろそろですよ』


 女の声で、はっとする。プロメテスからの通信だ。思い返している内に、少しばかり意識が飛んでいたようだ。轟音と地響きが終了してから、どれだけ経ったか分からない。もうじき出番らしい。ハロルド・フォーサイスは、いや、氷竜ミラは両目に光を灯す。群青色の外殻に覆われた頭をもたげ、竜の巨体を震わせる。休ませていた感覚を、再び研ぎ澄ませていく。

 自分に意識を向ければ、直ぐにミラの気配を発見する事ができた。あれほど遠かった彼女が、今はハロルドを温かく包んでいてくれる。最初に竜化した時の、不安や痛みはもうない。

群青色のこの竜は自分だという、しっかりした認識が胸に満ちている。むしろ高揚するような感覚さえする。ミラも同じだった。新しく生まれ変わったこの体で、早く空を飛んでみたくてうずうずしている。外見的変化もあった。角が四本に増えて、翼はより逞しくなっていた。

 これからは、二人で協力して竜体を操るのだ。ハロルドの意識に気づいたミラが、強く頷いた気配があった。と、いうのも体の中というのは自分で見られないので、精神的な感覚からしか情報がない。氷竜ミラの制御人格は、基本的にハロルドという事になっているらしい。


 外殻より向こう、つまり体外の周囲はひんやりとして薄暗い。こちらの方がはっきり視覚的に見えている。何らかの金属に覆われた、円形の空間。等間隔の青白い光が両脇と上についており、外まで一直線に延びている。外の光が小さな点に見えた。真下には、同じく青白く光るレール。そこに自分の竜体が収まっていた。

 『殺竜兵装アラストール』を握る両腕から背中にかけて、鎧に似た謎の機械で固定してある。空戦科が言うところのアシスト装備というやつだった。目標地点まで飛行を補助してくれるとの事だが、始めて使うので緊張する。『殺竜兵装アラストール』は元々の形をほぼ保ったまま、上手く作り替えられている。ハロルドの剣だったものであり、カニスマヨルの欠けた角を改造したものだった。ハロルドにとっては握りやすい武器だ。


 目の次に耳が慣れてくると、プロメテス内外の小さな音も拾えるようになる。入り乱れる爆発、風を斬る無数の音、飛び交う専門用語、次々上がる誰かの訴え。そして、竜の狂ったような咆哮。最も聞きたくない声、そして最も追い求めていた声。カニスマヨル。その本体。

 ダルクロッサが消えて、本来の姿がプロメテスの位置を把握したのだ。そして今、接近されている。ハロルドは緊張しながらも、空気に呑み込まれる事なく冷静に言葉を返す。

『……聞こえます』

『少し練習したのでお分かりでしょうが、目の前に、緑の円がありますね』

『見えます。はっきり』

 彼女の言う通り、前方の空間に緑の丸が浮かんでいるように見える。中に十字の線が入っていた。十字線の真ん中には、小さな点がある。

『目標へ到達するまでの間、なるべく丸の中に点を納めていてください。はみ出すとその都度警告音が鳴り、線の色が黄色に。大きく外れれば赤くなります。背中の装備はあくまで補助なので、あなたの調整も必要です』

『分かりました』

『射出されたら、私の合図で翼を広げて。大丈夫、私達がついています。必ず成功させましょう。今は凪季ですが、嵐季が来てしまうと竜がこの高度で飛べなくなりますからね』

 同じように返事をする。それからハロルドは、アミスの方へと意識を向ける。ミラからシリウスへ向け、言葉を放った。

『ミラ、アミス、覚悟はいいか?』

『ああ。もちろんだ』

 ミラは力強く即答した。昨日の夜、なかなか眠れずにべそをかいていたのが嘘のようだ。

 アミスの返事も、すぐに帰ってくる。

『何故それを僕にまで聞く? お前こそ大丈夫か?』

『俺達兄妹は、カニスマヨルを倒すために命を賭けてきた。どんな事になっても、奴だけは倒さなければと。それは今でも変わらない』

『それを聞いて安心した。実のところ、僕はお前が最後の最後で、突然泣き言を言い始めるんじゃないかとひやひやしていた』

『社長が消えたって聞いて、一番取り乱してたのはアミスじゃないか』

『やめろ』

『ごめん。むしろ俺は、一発殴ってやりたくて仕方ない』

 次に話しかけてきたのはアミスではなく、レイチだ。

『殴って来なよ。皆の分までさ』

『気をつけてください』

『成功、祈ってるからね』

 アストラノーツ号第一騎竜小隊の仲間達が、口々に言葉をくれた。

『ちょっと、ちょっと。熱い友情を深めてるところすみませんけど、デネブを忘れないでくださいよ?』

 口を挟んできたのはデネブだった。

『スピカもいますので!』

 やたら歯切れがいい男の声が、後から強引に自己主張してくる。ハロルドもアミスも、スピカの契約者とは直前に会っているので面識がない訳ではない。エリオットだ。緊急事態で一度しか名乗る機会がなく、名字は忘れた。

 プロメテス側に長らく所属している、竜の契約者の一人だ。根が明るいのはいい事だろうし、友人や知人が多そうだ。必要以上の区別をせず誰にも礼儀正しい様は、貴族家系たらしい部分を殆んど感じさせない。だがハロルドに言わせると、こちらの調子が狂う類の人間だった。

『お二方、どちらもなかなか出来るとお見受けしました。この戦いが終わったら、是非とも手合わせ願いたいものですね!』

『やれやれ。どっちが戦闘種族なんだか。帰りたい』

 デネブが呆れた声を出した。やる気のみられない態度に、艦橋内のプロメテスは釘を刺す。

『勝手な行動はしないように』

『あなたの不利益になるような事はしませんよ。総司令の信用問題に関わりますからね』

 すかさずカセイノアリッツに横槍を入れられ、デネブは機嫌を損ねた。

『ほんと? マジ? 暴れない? 檻から解き放たれし血に飢えた獣のように?』

『矮小な人間ごときが、この私を程度の低い幻獣扱い! 不敬ですよ!』

 だがそれだけに終わる。総司令や竜帯の面子もあるし、そもそも一連の状況観察と人間への助力という任務でここにいると聞いた。よほどの事態が起こらない限り、人間側が不利になるような真似はしないだろう。デネブが礼節を欠いた態度で煽るかもしれず、その時アミスがどこまで我慢できるかが問題だが。なにせ二人は、以前殴り合いまでしているのだ。アミスがそうしたのは、ハロルドを守るためと分かっている。だが心配だ。ハロルドが二人の相性について考える間にも、カセイノアリッツの話は次に移る。

『前にも言ったけど、アラストールの刃部分には、暴走体カニスマヨルの角組織が使われててね。ハロルド君が持ち込んだあれよ。角から採取したカニスマヨルの竜暴食細胞を元とする人工細胞で免疫抗体を惑わせ、侵入した後は肉体崩壊を連鎖的に誘発する……簡単に言うと猛毒。攻撃能力を削って削りまくる事ができる。カニスマヨルに対してだけ、致命的な効果を与える特効兵器ってわけ。核を砕けずとも、傷ひとつつけさえすれば』

『…………なんて?』

 思わず聞き返してしまった。

『つまり、あんた達がその剣で、カニスマヨルの核を、ぶった斬ればいいって事よ! 全く社長の野郎、私にこんな事をさせるとか……船に乗らなきゃよかったような、よくないような』

 カセイノアリッツは、興奮したり嘆いたりと忙しい。さすがの彼女も、人間世界が脅かされる事態に動転しているようだ。

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