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恐ろしい声は威嚇ではなく、苦しみによる呻きだと。兵器としての本能に、必死で抗っていたのだと。確かにダルクロッサの言うとおりだった。ここで自分に何かあれば、カニスマヨルを止められなくなる。分かっている。ずっとそうするべきだと思って生きてきた。
「二人とも、約束してくれ。今後私が何を言ってきても、聞く耳を持ってはいけないよ」
炎が後退る。
「嫌だ、消えるな! お前とはまだ、話さなければならない事が、沢山!」
すがりついているミラの悲痛な声で、彼女も同じ気持ちなのだと知る。ハロルドの胸中で吹き荒ぶ嵐は止まない。カニスマヨルが単なる邪悪だったなら、どんなに楽だったろうか。
すっかり濡れてしまった体を、引き摺るようにして追いかける。心ばかりが逸って速度が出ない。思わず呟いた声は、もう届かない。
「駄目ですよ、こんなの。まだ、全然、何にも、」
「すまない、こんな重荷を背負わせて。すまない……」
ダルクロッサと名乗っていた男は、カニスマヨルの人型端末は、靄となって崩れ去った。
絞り出すような声だけを、人工の楽園に残して。
ついに維持ができなくなり、本体へと帰ったのだ。
雨は止み、警報も解除され、再び静寂が訪れた。水滴にまみれた植物が、淡い光を散らしている。両膝をつくハロルドの少し先で、ずぶ濡れのミラがうずくまっている。両腕の中には、何もない。炎の欠片も、灰の一粒すらも。ハロルドの口から白い息が漏れる。
様々な感情がハロルドの中で渦巻いて、心の内側に傷をつけていく。彼が憎くてたまらない。あんな形で迎えに来た彼が。悔しくてたまらない。もっと早くに、母を連れて行ってくれていれば。何故、最後まで話してくれなかったのか。不幸な事故だったとしても、カニスマヨルがした行為は決して許されない事だ。だが無意識に子を気にかけていた事は分かっている。
彼本人ではなくとも、ずっと一緒にいてくれたものがある。竜の血が持つ情報で、剣に変化した角で、常に守っていてくれた。最後に父親として愛して欲しかった。また置いていかれてしまった。こんなはずではなかった。
機械音が耳に届く。扉のロックが解除される音だ。飛び込んで来る足音は複数。建物の警備を任されている自動人形達だろう。ならば、何が起こったか説明をしなければならない。
しかし、ハロルドの体は動かない。
「社長……!」
ライノの声。息が上がっている。
「二人とも、無事か?」
そして、セドリックの焦燥しきった声。一目で状況を把握して、二人は動きを止める。
ハロルドには、時間さえ止まってしまったように思えた。
「ハロルド……」
ミラが、自分の名を呼んだ。震える声で、初めて自分の名を呼んだ。真っ白に漂白されかけた心に、ぽつりと染みが落ちた。蚊の鳴くような声だったが、ハロルドにはしっかり届いている。心の深くまで染み込み、いるべき世界に繋ぎ止めてくれた。それで、何とか踏ん張れた。
「ハロルド……絶対、あいつを解放してやろう」
俯くミラの後頭部が、白いブラウスを着た背中が。濡れそぼった群青色の髪が揺れる。
丸みを帯びた角の先端から、ぽたりぽたりと水滴が零れている。出会った頃は得体の知れない背中だったが、今はただの小さな少女に見えた。ハロルドは頷いた。心の中で、しっかりと彼女に同意を示す。倒さなければならない存在は、最初から決まっていた。
正体が何であろうと、彼を止めなければならない。人々のためであり、自分のためであり、彼の願いでもあった。この血に流れる宿命を終わらせなければ、ハロルドは先へ進めないのだ。
カニスマヨル、赤銅色の竜。
握っていた二つの指輪が擦れ合い、ひんやりとした温度を伝えてきた。
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