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「今更何を。お前が父親の顔を知らないから、自分を人間だと思っていたから、この姿なんだ。産まれつき形成不全な状態で格納空間に閉じ込められていた俺は、お前と接触する度に必死だった。この体に引き継がれた情報を、お前が生きて行けるためのものだけでいいから、少しでも多く渡したかった。だがそれも終わりが近づいている」
初めて聞く単語が挟まれるため理解が追いつかず、ハロルドは黙っているしかない。それでも、彼が重要な話をしているのは分かる。
「元々俺は、骸のような体をしていた。シェスカの竜体より脆い。だから、こうなるのも仕方なかった。シェスカの意向を受け入れよう。これより俺は、氷竜ミラの体組織に吸収され補助機関として稼働する」
「あなたは何者なんだ」
「理解しているくせに聞くのか。シェスカにとっての青い女と同じだよ」
消えかかる、目の前の人物の姿。遠ざかる声。ぼろ布が翻る音。鼻先を優しく撫でる風で知る。彼がどこかへ行ってしまうのだと。恐らくこれが最期になると、ハロルドは直感していた。これだけは。そう思った言葉を必死で投げつける。
「待って、あなたは……俺の父親ですか?」
「いや。だが、父親の一部ではある。お前の父親から受け継がれた、単なる情報群に過ぎない」
振り返り様、寂しげに微笑んだ顔は、闇の中へ溶けて行った。
やけに鮮明な声だけが、置き去りにされて。
「後は任せた。お前は、飲まれるな」
息が詰まりそうになりながら、ハロルドは飛び起きる。急いで隣を見ると、ミラも同時に上体を起こしていた。カーテンの隙間から淡い光が差し込んで、空中要塞の夜明けが近いと知る。
彼女は暫くぼんやりと虚空を眺めていたが、ハロルドが起きている事に気づいてこちらを見る。驚いた顔が貼りついていた。同じような夢を見たらしい。何故分かるかと言えば、今まで通りの単純な仕組みだ。契約によって、ハロルドの端とミラの端が遠いどこかで繋がっている。ハロルドにとって便利だったが、不便や気まずい物事も発生するのは仕方なかった。こちらが何も言わない間にも、何かしら伝わっているだろう。彼女が目を伏せれば、群青色をした睫毛の細い影が落ちた。
「すまないな。私には、シェスカの自己を復元する事はできない。だが、外見を似せる事なら」
「そんな事はしなくていいし、気にする必要もないよ。ミラはミラだ」
シェスカ自体は失われたが、完全にいなくなった訳ではない。ハロルドの中で生きている。外見だけを似せる事で紛らわせるのは空疎だし、不道徳なように思えた。シェスカは命を賭してハロルドを守り、人格の残花を持った竜体が新たに自己を得た。それが彼女、氷竜ミラだ。
シェスカの覚悟を汚すべきでない。懸命に己を修復してきたミラの努力も、無下にされてはならないはずだ。今度は自分が頑張る番だと、ハロルドは思った。
「行こう。今の俺達なら、きっとまた、何度でも空が飛べる」
ハロルドはミラの手を握る。カノープスが沈む湖で、シェスカがそうしてくれたように。
朝方、プロメテス内某所。竜の契約者用訓練施設の一棟が、プロメテス公爵の許可が降り開かれた。強固な床と壁を持つ、鈍い銀色をした円柱形の空間だ。三階程度の高さまで吹き抜けとなっており、上の方に大きな窓が点々とついていた。
訓練施設内の中心には、立っている者が三人。ハロルド、隣にミラ。二人の向かいに、叩き起こされ即連行の憂き目に合ったレイチ。一方ハロルドとミラは、不思議な夢の後すぐ朝食を済ませ、真っ直ぐこの場所に来ている。つまり真剣だったが、レイチはそうでもないようだ。事の重要さが分かっていないのか、分かっているが面倒さの方が勝っているのか、たるんだ笑顔を浮かべながら頭など掻いている。半端に伸びた白髪は、いつもより適当に縛られていた。
「参ったなー。僕は今日、女の子と約束があるんだけど。ハンナちゃんっていうのよ。こっち来てるなら出て来い! 出て来ないと許さん! って熱烈なお誘いがね」
概ねいつも通りのレイチだ。二人は反応に困り、とりあえず黙って話を聞くしかなかった。
「いやいや、午後会ってちょっとお茶するだけ。ほんとに。知っての通り僕はまだ離婚してないので……一応。いくら竜の契約者が見た目歳取らないとは言えね、おじさんが学生に手を出すのは犯ざ待ってそんな目で見るのやめてくれる? 冗談だから。いや喫茶店で話す約束してるのは本当なんだけど、ハンナちゃん親戚の子だから。嫁さんの妹さんの子なんだよ、マジで、ふざけた話してすいませんね。これがめちゃくちゃいい子で、」
「御託はいいからとっとと竜装展開しろーこの甲斐性なし夫がー!」
放送機から大音量かつ鳴音混じりに響いたのは、ハロルドにとって聞き慣れない女性の声だ。三階部分の大きな窓から見下ろしているのは、兵器管理部部長、イリーナ・カセイノアリッツである。部下と思われる人間が数人控えていて、皆一様に畏れと好奇の入り交じった視線を向けてくる。初めて置かれる状況なので、ハロルドは緊張を隠せなかった。怒鳴り声に驚いたせいもあり、何となく落ち着かない。
ミラが手の甲をつついてきたので、ハロルドはすぐに握ってやる。彼女の中の、危なっかしく根拠のない自信が消えている。竜が全ての頂点ではないと、既に気づいているようだ。握られて安心したのか、ミラの手はそっと離れて行った。カセイの愛称を持つ人間の女性、もといイリーナは、己の眼鏡に触れつつ興奮気味に続けた。激しく前のめりになっている。
「いい? 私は竜と人の子が、安定状態を保って無事竜体化するところを、高性能のこいつで高速度撮影とかするの。間違っても、おじさんのお喋りを記録しに来たんじゃないの」
時間稼ぎが悟られたレイチは、しかし怯む事なく肩を竦める。
「さーすがアストラノーツ社二大竜研究狂の一柱。僕より実験の方が大事ってわけだ」
「やめてよ照れるじゃん。って言うか、あなたの能力がそれだからです。恨むならその竜を恨みなさいよ。もしミラが暴走したら、前みたいに対処して。こっちでも何とかするけど。アルコル視点からも情報記録し続けて、忘れないでね」
歯切れよく勝手な事を言いまくる女だ。研究狂の暴走眼鏡女だ。ハロルドは閉口した。遠いので表情はよく分からないが、ずいぶんと楽しそうである。
「人物情報更新。セドリックより、こいつの方がヤバい」
小声でミラが言う。苦い粉薬が口に残ってしまったような顔をしている。ハロルドはレイチの方を見る。彼は、あれを見たか、見たよな、と言わんばかりに苦笑いを浮かべていた。
レイチがごねるのは分からなくもない。この実験はアストラノーツ社のためではあるが、彼の負担は大きい。それに前回、ハロルドの暴走直後に最前線で対応せざるを得なかったのが彼だ。今回も以前のような状況に陥る可能性がある。だが、彼はこの場に来てくれた。休日だったにも関わらず、朝早く起されて、すぐに。
「レイチさん」
「何」
「俺、暴走とかしないようにしたい……いや、するので……」
ハロルドの煮え切らない言葉は、力強くミラに遮られる。
「今回は安定するぞ。何せ暴走の原因が解明され、更には綺麗さっぱり解決したからな!」
腕組みをしつつミラも続けた。出会った頃のような、自信満々高慢不遜といった顔までしている。強がりなのか本気なのか、いまいち判別がつかない。
「解決したんだ」
「いや、綺麗さっぱりかどうかは……」
再びハロルドが口ごもった直後、ミラが背中を平手打ちしてきた。痛い。無論手加減はしているだろうが、今のは効いた。分かった分かったと、ハロルドはむくれているミラを宥めた。今度はきっと大丈夫だから、必要以上に弱気になるなと言いたいのだ。気合いだけで解決できる物事などないが、最後の最後では気の持ちようが状況を左右する。
確かにこの氷竜は、出会った頃と比べれば格段に馴染んでいる。ハロルドの竜体も、今後はミラと争わず一部になると言っていた。だから、前より状況はいい。あの竜体が主導権を奪おうとしたのが、暴走の主な原因なのだから。大丈夫だ。きっと。ハロルドの心が落ち着いた頃合いを見計らって、レイチが声をかけてくる。
「いいよ。やろう。しっかり見てな。……いつも通り指定数値の障壁出すけど、もしヤバかったら独断でやるからね」
後半の言葉は、特等席のカセイノアリッツ博士に向けた言葉だ。ようやくやる気を出したレイチは、軽く肩を回し、首を回した。そして全てを白日に晒さんとする照明の下、ゆっくりと数度踵を鳴らす。彼の白眼が、漆黒に染まっていく。
花弁にも似た純白の竜外殻が次々背を破り、徐々に周囲へ展開していく。とは言え膨張は永遠に続かず、ある程度のところで途中から切っ先は内側へと向かう。同じ速度で包み込んでいく。収束の先に産まれたものは、捩れた蕾のような、不思議な繭のような物体だ。突然頂点を突き破ったのは、一本の巨大な角。
「落ち着いてやれば大丈夫。序盤の竜体を呼ぶところ、ここまではゆっくりね」
そこからは早かった。白竜アルコルの巨体が、みるみる内に現界していく。人間の背丈の何倍もある古代兵器は、ただ場に存在するだけで威圧感を放つものだ。無機質でありながら生物的な部分もある、不思議な存在。ハロルドとミラは隣り合い、真剣な顔をして純白の竜を仰ぎ見ていた。方々からの照明が反射する表面は、角度によって銀色にも見えた。竜体化をこれほど安全な状況で、落ち着いて観察できる機会はない。
「さっきはあんな風に言ったけど、何かあったら僕が止める。食堂の時みたいにさ」
一角竜の顔辺りから、よく知る人間の声が降ってくる。レイチはアルコルとなって、二人の前に立ちはだかった。と言っても、彼に攻撃の意志はない。レイチの繰る竜は偵察型。
その瞳は、細微を見逃さないために。その翼は、仲間を導くために。その両腕は、仲間を守るためにある。
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