ダルクロッサはいつもの事ながら、彼女の暴走に呆れてものも言えなくなる。同時に、神をも恐れぬ知的好奇心に舌を巻いてもいるのだが。安全圏からとはいえ、竜をからかって遊ぶ人間など彼女以外に見た事がない。今のところは。


 そうこうしている内に、プロメテスが戻って来た。いつの間にかライノも戻っており、ダルクロッサの側へ立つ。視線が合っても、両の口角を少しばかり持ち上げるのみだ。今日は彼の口数が少ない。思えば今朝から、いつもの元気がないようにも見えた。ダルクロッサには思い当たる節はあったが、彼自身も触れたくない事柄だったのでそっとしておく。

「作業は順調に開始したようだな。ここの設備はいかがかね、カセイノアリッツ博士」

「素晴らしいです。やはり、アステラス号の艦内設備だけでは限界がありますから」

 プロメテスの接近に気づいたイリーナは、自然な流れで握手を交わす。プロメテスは設備の具合や要望を、現場の者に直接聞いていたらしい。研究員および作業員の合流も、滞りなく完了している。プロメテス側の研究室責任者とおぼしき人間が、彼の一歩後ろに控えていた。

「では、責任者の皆さんが集まったところで。剣型殺竜兵装『アラストール』の、詳しい説明を始めましょうか。よろしいですね、社長」

 イリーナ・カセイノアリッツは、ダルクロッサの真正面に立ち言い放った。彼女の迫力にダルクロッサは、何も言葉を返せなくなる。眼鏡の奥の瞳には、過剰なまでの力強い光が宿っていたのだ。彼女が奥に押し込めた感情を、隠そうとしているのを感じる。それはダルクロッサの覚悟に対する答え。彼女の研究者としての決意だった。

 ダルクロッサはしっかりと頷いてみせた。

「ああ、始めよう」





 空中要塞プロメテスの夜は長い。事に、繁華街においては。天は真っ暗な眠りについて、球体だけが控えめな光を放っている。一方、石畳の路地には暖かい光が満ち、人や人形の往来もそれなりにあった。夜も深まる時刻なので、さすがに子どもの姿はない。箱を背負った小さな自動人形が、黙々と道の掃除をしている。闇から闇へと走り去る野良猫。飲食店の店先で、別れを惜しみ談笑する恋人達。賃貸集合住宅の外階段にて楽器を爪弾く、住人とおぼしき若い男。

 楽しく静かに夜に酔い、あるいは酒に酔う人々の姿。黒い高級スーツの仮面男が紛れたとして、優しい暗がりの中では誰も不審に思わないものだ。平穏の中における人間の営みには、かくも愛が満ちている。ひとつの街角とは言えど、失ってはいけない場所だ。こうした雰囲気を楽しみながら歩いて行くのは、アストラノーツ社社長のダルクロッサだ。足を運ぶ度に、真っ直ぐ上を向いた双角が揺れる。

 執事のライノとは、路地に入る前に別れた。彼には先にアステラス号へ帰ってもらっている。つまり、今はダルクロッサ一人だ。あまり知られていない事だが、ダルクロッサには戦闘の心得がある。万が一襲撃を受けたとしても、極力怪我をさせずに大人しくさせる努力ができる。そしてこれもあまり知られていない事だが、仮面の下には人並みの感情を持っているのだ。

 彼がライノと共に帰らなかったのには理由があった。今日の最後には、この辺りに看板を構える小さなバーにて約束がある。確かここを右だったろうか、と考えながら、角を曲がる。隠れ家に向かうような小路だ。すぐに事前に共有した情報と一致する店名を見つける。

 『深海』。



 店内に一歩を踏み入れたダルクロッサは、闇夜を思わせる寒色系の光に包み込まれる。明るい中を歩いて来たので、薄暗さが新鮮に感じられた。扉を動かした時に鳴ったのは、真鍮でできた鈴飾りだ。不思議な模様の黒い石材と人工革を基本材料に、印象の統一された調度品の数々。多様な酒の瓶が並んでいる。右手にカウンター席、左手には四人掛けのテーブル席が三卓。

 カウンター奥には、私服のセドリックが座っている。客の姿は他にない。軽い挨拶をすると、こちらに気づいて話し始めた。

「人払いは公爵に頼んでおいた。今日は平和だぜ。竜でも落ちてこない限りは……」

「酷い諺があったものだね」

「全くその通り」

 セドリックは四本の腕全てを使い、肩を竦めた。

「仮面、脱いだらどうだ。今日はずっとつけっぱなしだったろ?」

 ダルクロッサは、バーテンダーの様子を確認する。目が合った。彼は上品な身なりの自動人形で、営業用の笑顔を浮かべ会釈をしてくる。

「念のため、鍵をおかけしましょうか」

 バーテンダーは扉に近づきもしなかったが、確かな施錠音がした。本当に脱いで大丈夫だろうか、とダルクロッサは考える。彼の表の顔は、いつでもこの仮面と共にあった。自室以外の場所で本当の顔を曝すのには、どうしても神経質になる。

「安心しろ。ここはプロメテス公爵の息がかかったバーだし、バーテンダーも根っからの自動人形だ。上からの指示は絶対に守る」

 ダルクロッサは少し悩んだが、結局彼の言う通りにすると決めた。黒手袋に包まれた両の掌を、仮面の表面に当てる。すると固いはずの仮面はみるみる崩壊して、液体のようにほどけ去っていく。現れたのは、四十歳前後の男性の面。優しげな顔立ちだが、表情にはどこか翳が落ちている。そこだけならば、特に驚くべき要素はない。だが、初めて見る者は必ず息を呑むだろう。なにせ燃えるような赤い髪と赤銅色の角、黄金の瞳を持っているのだ。ダルクロッサが竜を模した仮面を被る理由は、どうにもしようがないこれらの特徴を隠すためであった。

 ダルクロッサはセドリックの手前ではなく、壁と接している奥の席に座った。全ての席が空いているにも関わらず、そのひとつへと一直線に歩いてきたのだった。

「本当は、隅が落ち着く性分なんだ」

「だろうと思って、そこひとつ空けといた」

 それきり、会話が止まる。恐らくは二人とも、同じ事を考えていた。何を話したらいいだろう、どこから切り出せばいいだろう、と。同じようにうつ向き、テーブルを見つめたまま沈黙し続ける。艶のある黒い石でできており、うっすらと二人の顔が映っていた。上からそっと置かれたのは、ダルクロッサの分のお絞り、そしてコースターだ。上品な身なりのバーテンダーは、会話が一段落したと判断し声をかけてくる。

「ご注文は?」

 ダルクロッサは角の付け根を掻いた。いつもは触れないところが痒い気がしたのだ。

それから、緩慢な動作で顔を上げる。

「何か……そうだな……お勧めの、強めのやつを」

「じゃ、俺もそれで」

 バーテンダーは二人の注文を聞くと、すぐに何かを作り始めた。店内の慎ましくも優雅な音楽と、液体や氷を扱う音が緩やかに溶け合っていく。セドリックが同じものを、と言ったのは、気分的な事情だろう。自動人形は固形物を食べられないが、液体なら飲む事ができる。ただし人間のような味覚はないし、痛んでいても腹を下す事はない。酒成分の影響も受けない。

 つまり、酒が飲めても酔わないのだ。必要とあらば人間の心に付き添うために、人型自動人形に設定されている機能のひとつだ。


「お前さん本当に、これでいいと思ってるのか」

「やれる事は試した。これ以外何があると?」

「このままあいつらと何も話さないつもりか、って言ってるんだよ」

 ダルクロッサは沈黙した。セドリックの言わんとする事は了知していたが、彼らとの関わりに関しては、どの選択が最良か未だに分からない。そうして、時ばかりが過ぎてしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る