ミラは眉間に皺を寄せ、喉からくぐもった声を出す。しかし、本気で怒っているのではないとすぐに分かった。彼女は素直にお手拭きを取り、丁寧に口を拭いた。そして怪しい笑みを浮かべながら、パンケーキの皿を渡してくる。白い皿の上の、まっさらなパンケーキ。の周囲に散らばった、ジャムとクリームの残骸。

「具が何も残ってない」

 ミラは声を上げて笑い始めた。笑い事ではない。しかしハロルドは思考の隅で、家族と食べ物を分け合ったのを思い出していた。思い出は次第に大きくなり、胸を詰まらせる。母と妹も連れてきてやりたい場所だった。彼女達にも食べさせてやりたい食べ物だった。何故カニスマヨルは、自分から二人を奪って行ったのだろうか。母がいつも聞かせてくれた父親像は優しく知的だったが、実際に会ったカニスマヨルは理性がなく狂暴だ。あまりにもかけ離れている。母親が嘘をついているとは思いたくない。

 考えていると、ミラが身体に腕を回してきた。そしてハロルドを自分の方へ抱き寄せ、後頭部や肩を優しく擦るのだった。突然の抱擁を受け、ハロルドは動揺してしまう。仲間の面前である事が恥ずかしさに拍車をかける。

「な、なんだよ」

「まあ待て。大人しく撫でられていろ」

 ハロルドは思わず、向かいに座る二人の様子を窺う。スーニヤはどこ吹く風で、黙々と自分の分を食べている。アミスは視線に気づくなり、明後日の方向を向いてコーヒーを飲み始めた。気まずい。

「お前はかつて、頭を撫でてくれた。今度は私が慰めてやりたい。もし私がお前の母親か妹だったら、こうするだろうと思う」

「俺を油断させるためにやってるだろ」

「お前を食べるためにか。私も最初はそう思っていた。だが私は、最初から人間を食う必要はなかったそうだぞ」

 照れ隠しの言葉は、額面通りに受け取られてしまう。ミラの身体は死んでいるかのように冷たいので、そろそろ寒くなってきた。なのに、不思議と離れ難い。

「お前は涙を流さない。だが、お前に耳を傾ける時、いつもどこかで小さな子どもの泣き声が響いている」

 彼女の他人を気遣う心は、受け取ってやらなくてはならない。暖かい血が通っていなくても、言動に確かな変化が産まれていた。ハロルド自身も、こうしてくれる誰かを求めていたのを感じていた。ただ静かに抱き締めてくれる存在を。



「お主ら、見ない顔だな。アストラノーツ社の新入りか?」

 この場の誰でもない声がした。変声前くらいの少年、だろうか。やけに近くで聞こえたので、正体はすぐに見つけられる。いつの間にか隣のテーブルについていたのは、金髪碧眼の少年型自動人形だった。人間ではない。すぐに分かったのは、白い肌の関節部分に溝があるためだ。

 身なりは貴族のように華やかで、額に刻まれた三、という飾り文字が光っていた。優雅に頬杖などついている。一同の視線が集まると、柔和に微笑むのだった。一目で高価な身体と分かる、非常によくできた美しい人形だ。表情は人間と違って、どうしてもぎこちないものではあるが、人にはない不思議な魅力がある。ハロルドは一言謝ってから、まだ自分を抱き締めたままのミラを押しやった。

「誰ですか」

「ばっ」

 ハロルドから不躾な質問が飛び出したため、アミスが噎せてしまった。妙な声を発して以降、アミスは喋るどころではない。彼の代わりに、スーニヤが説明をする。

「このお方は、空中要塞プロメテスの中枢機人形。つまりプロメテス公爵様です」

「こんな小さい子が?」

「そうなんです。そしてなんと、プロメテス公爵は三人いらっしゃいます」

「何で?」

 ハロルドは目を丸くして、全員の顔を順に見ていく。スーニヤは明らかに面白がっているし、アミスは頭痛をこらえながら額を押さえている。プロメテスは口を開け、悠然とした笑い声を出した。

「何故ってそれは、どれもこれもが年寄りの気まぐれだな。さあ若者達よ、長くなるだろうが、昔話を聞いていけ。たったの一度しか言わない、貴重な話だぞ」

 人工物でできた少年の喉は、少し軋んだ音を立てた。自動人形の咳払いだったのかもしれない。



 我が城、空中要塞プロメテスには、とある資産家の家系が住んでいる。前頭取の名はアルフリート・フォン・ラギ=レンツィオ。彼の祖先は、空を渡る激しい冒険の末に余を見つけた者でな。長い眠りの中朽ちかけていた余を、再び目覚めさせてくれた。レンツィオ家はその功績を元手に、プロメテスの経済界を駆け上がった。

 だがアルフリートは、正統な継承者にも関わらず結婚をせず、子も望まなかった。孤独の老資産家、アルフリート・フォン・ラギ=レンツィオの遺産。誰もが狙っていた莫大なそれの、相続人という地位を受け継いだ者がいた。死去間際のアルフリート本人の強い意向によって、彼の唯一の養子になる事でな。養子になる前の過去については、誰も知らない。生前のアルフリートと懇意だった相続候補者数人ですらも、彼の素性が分からない。全く謎多き男だ。



 これが、世間に広まったレンツィオ家に関する逸話だ。誰も相槌すら打たず、静かに耳を傾けている。プロメテスは満足そうに笑み、話を続けるのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る