「おい、そろそろ行くぞ。立ち止まっていたら邪魔になる」

 アミスの言葉を機に、一行も歩き出す。内部は案外明るい。天井には青空を模した模様があり、少しずつ動いている。どうなっているのだろうか。地に目を向ければ、そこには市井の光景だ。荷物を背負って歩く旅人、個人店を開いている商売人、元々住んでいるらしい軽装の住人。小さな子どもが、笑いあいながら走って行く。女王の規定を逸脱した、自由な姿の自動人形もいた。どうやらプロメテスの人形達は、生まれた時の役割に徹する事を強いられず、己らしさを求める行動がある程度許可されている。自動人形医師セドリックも、プロメテスで腕を増やしたりしてもらったのだろうか。

 歩く内にハロルドは、もうひとつ気がついた事があった。とても息がしやすい。魔霧で煙たい空気ではないし、行き交う人々の表情が全体的に明るい。前者の理由は分かる。プロメテスは宙に浮いているから、四方八方が空と直接触れている。やろうと思えばどこからでも魔霧が排出できるので、内部の空気の質を高く保ちやすいのだろう。人々の顔つきについては、もう少し現状を知ってみないと分からない。


 言われるがままアミスとスーニヤについて行くと、同じ窓が並ぶ建物が増えてきた。宿泊施設が集まった区画に入ったのだろう。ホテル・ヘイメルの佇まいは落ち着きと清潔感があり、格式も高過ぎず低過ぎず。プロメテスの庶民感覚で中の上。だがハロルドからすると、この光景もまた驚きが大きい。聖国の庶民感覚との格差について、思いを馳せてしまう。ロビーで聞こえるのも談笑くらいで、客層はよさそうだ。アミスが三人分のカードを集め、代表してフロントへ向かう。

「お腹と背中がくっつきそうです。そう思いませんか」

 腹ぺこスーニヤに、ロビー横の喫茶店へ促される。壁や窓の類はなく、背の低い敷居が飾り程度に設置されていた。床の色を変える事でロビーと区別しており、解放感に溢れている。暖かみのある照明と焦げ茶色を貴重とした、落ち着きのある内部だ。昼過ぎという事もあり、店は老若男女様々な客で賑わっていた。一方ミラは、妙なところに疑問を持つ。

「人間は腹が減り過ぎると、そこまで平たくなるのか?」

「ないよ」

 ミラが真面目な顔をして言うので、ハロルドは苦笑いをしてしまう。

「言葉のあやですね」

「あや」

 看板には可愛らしい絵が描いてある。パンに具を挟んだらしき軽食と飲み物だ。前回アストラノーツ社がプロメテスに来た時も、ここを利用したそうだ。急ぎフロントから戻って来たアミスが、ハロルドに教えてくれる。前の隊長とも来た事があるのだろうか。

「ハロルド、お前まだ無一文だったな」

「私が持つ事になっています」

 アミスの問いかけに答えたのは、スーニヤだった。

「いや、ここは僕が払おう。隊長だからな。スーニヤは自分の分だけ払えばいい」

「いいんですか」

 スーニヤの背筋が、少し伸びた。

 アミスは返事の代わりとして、口の片端を軽く持ち上げる。

「アミス、ありがとう。何度君に助けられたか」

「この間、言い過ぎてしまったしな。それに僕が新入りだった時、前の隊長に言われた事なんだが。もし新しい奴が来たら、お前も親切にしてやれ、人間はそう回るのがいい……」

「分かった」

「もちろん、全部まとめて出世払いしてくれても構わない」

 ハロルドが集団生活についての理解を深める傍ら、ミラは人間への理解を深めていた。



 食事の仕方も興味深いものだった。手頃な席について、一枚のメニュー表を四人で覗き込む。この中から好きな組み合わせを選び、周回している自動人形の店員に伝える方式らしい。

 丸みを帯びた体つきの自動人形だ。平たい鉄のお盆を、両手に持っている。つぶらな瞳がついた丸い頭が、注文を求めてくるくると回っていた。車輪のついた短い足も、静かな音を立てながらくるくると回る。奥の方にはもう一人。さまざまな飲み物を、両方の盆に二つずつ乗せて運んでいた。器用なものだ。

 ハロルドは、再びメニューに目を落とす。分類ごとに三種ほどと品数は少ないが、組み合わせる事でパターンが増える。聖国下層民だったハロルドにとっては楽しい。大抵の場合、食事は自分の意思で選べるものではなかったし、ただ生きるために摂取するものだったからだ。

 スーニヤはホットサンドと冷たい紅茶のセット。アミスはサンドイッチと冷たいコーヒーのセットに決めた。よく分からないので、アミスと同じものにしてみる。ミラはパンケーキに興味があるようだ。クリームやジャムや砂糖菓子で飾りつけられた、平たいパンのようなもの。こんがり焼き色のついたそれが、三枚重ねてある。メニューに並ぶ食べ物のなかで一番華やかで、可愛らしく、目立つ。ハロルドがパンケーキにするかと聞けば、彼女は嬉しそうに頷いた。田舎にそのような菓子はなかったので、確かに気になる存在だ。後で少し分けてもらおう、とハロルドは考える。通りかかった店員にそれらの注文を伝えると、軽快な声で復唱確認して去って行った。



 いよいよ料理が運ばれて来ると、気分が上がる。目の前に置かれたサンドイッチという軽食。ハロルドは思わず、色とりどりの断面を覗き込んだ。赤、緑、桃色。三角形の形をしているそれは、四切れ。こんがり焼かれた四角いパンが、四当分にされているのだ。

「凄い、何だこれ。生の野菜だ……こんなに水分が多い」

「こっちはふかふかだぞ! あったかくて甘い匂いがするぞ! これがケーキか!」

 隣ではミラが早速フォークを手に取り、パンケーキをつついて弾力を楽しんでいる。それに満足すると、彼女はいよいよ一枚目にフォークを刺し、持ち上げた。クリームが垂れるのに注意しながら、豪快にかぶりつく。アミスが慌てて腰を浮かす。

「ナイフを使え、ナイフを」

 ナイフを渡されたミラは、使い方が分からず首を捻る。捻っている間にも口を動かす事は忘れない。田舎者丸出しだが、ハロルドには手助けをする心の余裕はない。

「これで一口大に小さく切るんだ。全く不器用だな……」

 ミラの世話はアミスに任せた。ハロルドは今すぐサンドイッチを食べたいのだ。

「お前は子どもか!」

「仕方ないだろう、やった事ないんだから!」

 アミスがツッコミを入れている。ミラが反論する。ハロルドはサンドイッチを持ち上げ、口を開ける。前から思っていたが、アミスは意外と世話焼きだ。そう思ってからかぶりつく。

 途端に夢中になる。瑞々しい緑の葉と、薄く切られた真っ赤な甘酸っぱい果実。それから薄切りの肉。パンの内側に塗ってある辛子が味を引き締めている。黙々とサンドイッチを口に運び、コーヒーを少しずつ飲んでいたが、それも数分で一段落してしまった。向かいに座るスーニヤが、食事も疎かにこちらを呆然と見ている。早く食べ過ぎた。

「えーと……凄く美味しい。こういうの、初めて食べた」

 スーニヤの返事はない。まだ勢いに呑まれているようだ。

「おい、私の分も少し取っておいてくれよ」

 ミラが横から身を乗り出してくる。口にクリームがついているのに気づいていないらしい。契約者が食べたものだから何となくは伝わっただろうが、やはり実際口に入れてみたいのだろう。ハロルドが皿に目を落とすと、なんとひと欠片しか残っていなかった。胃に入れたものは戻って来ないので、静かに状態を呟くしかない。

「一口しかない」

「何だと。私は最後の一枚を取っておいてやったのに」

「ごめん。あと口にクリームがついてる」

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