「出来る限りの努力はします。この船の人達は、俺の恩人ですから。あなたの力になりたい」

 ダルクロッサは沈黙した。勇気を出して告げた言葉に、何の反応も返って来ないのは恥ずかしい。表情が分からないので余計に不安だ。そう考えた辺りで、竜面の男はびくりと体を震わせた。我に返ったらしい。彼は一言詫びて、何でもない、と言った。もう一度、何でもないと。常に余裕綽々として、動揺などしない人物だと思っていた。珍しい事だ。

「ありがとう。君は、君達は。私の救いであり、希望だ。カニスマヨルの殲滅は、私の長年の悲願でもある」

 黒く輝く作り物の顔が、ハロルドを、そしてミラを見る。竜面はハロルドに戻ってきた。そして動かなくなる。瞳の奥にあるものは、一体何だろうか。ダルクロッサもまた、カニスマヨルに並々ならない感情を持つらしい。

「だけど俺は、竜体化が上手くできなくて」

「ああ、聞いている。竜体を二体持っているせいだね。セドリックとカセイが作ったあの薬では、あまり上手くいかなかったようだが」

「確か、竜瘴病患者用の薬をナントカして、ナントカカントカ……とか、言ってましたね」

 竜瘴病患者とは、人間が先天的、あるいは後天的に竜瘴に冒された者達を指す。俗に『その血が幻に染まった人ならざる獣』、幻獣と呼ばれる。かつて食堂で、エリテンシアが教えてくれた。主にセドリックの娘ジーナや、料理長サンデルが該当者だ。この病は、現状不治の病だそうだ。薬では、痛みや侵食などの症状を一時的に和らげる事しかできない。

 セドリックは、竜瘴病を治すための研究をしている。ジーナのためであり、人間のためでもあるだろう。セドリック達は竜瘴病患者用の薬に、少しばかり、あるいは大胆に手を加えた。ハロルドの元々持っていた竜体を更に弱体化し、ミラに吸収させようとしたのだ。途中までは上手く行ったように見えた。しかし食堂で竜体化した時、ハロルドの怒りが引き金となって急激に活性化する。かつて師匠と呼んでいた竜体組織がミラを妨害したせいで、暴走してしまった。説明もなしに妙な薬を投与するのは、いかがなものかと思うが。

「計画は、こちらの方で何種類か考えてあるが。安定した竜体化が可能になるに越した事はない。努力を続けてみてくれたまえ。我々も支援する」

「ミラが失った記憶を、本当の自分を思い出せば突破口になる、らしいんですが。師匠、いや、俺の竜体が言ってました」

「君の竜体は不完全だ。竜体組織が脆いのもあるが……人間の血が半分入っているせいだろうね。人間としての自我と、カニスマヨルの竜体から受け継がれた情報群が、上手く混ざりあっていない。状態としては、人格剥離を起こしているのに近い、かな」

 ハロルドと社長は、それきり沈黙した。しばしの静寂の間で、ミラが紅茶を飲み終える。

二人の話が終わったと判断した彼女は、話題を変えた。

「私の記憶の件だが。人間の事を考える時、閃きそうな気がするんだ。こいつを思うと、特に」

 ミラは言葉の最後で、美しい顔をハロルドへ向ける。ハロルドは虚を衝かれ、目を合わせるなり身動ぎした。

「えっ、俺?」

「私が人間に強い興味関心を持っていたのも、そのせいかも」

「デネブと接触してから、記憶探しを意識するようになった?」

 と、社長。

「そう、そうだな。再起動中からだ」

 彼女は引き続き、人間と触れ合い人間を観察する作業が必要なのだろう。考えながら、ハロルドは紅茶を飲み干す。カップを置き、ふと室内の時計を見るとそろそろ昼時だ。思いの外、話し込んでしまったようだ。おおよその話は終えたからと、ダルクロッサが退室を促す。


 ハロルドは同意した。ハロルドが立ち上がれば、ミラもそれに倣う。最後にもうひとつ、気になっている事を聞いてみる。

「ちなみに食堂の修理代って、どのくらいなんですか」

「触れないでいようと思ったのだが」

 竜面の社長は軽いため息をつく。

「君のような善良な庶民が見ても、気が滅入るだけだと思うけどね」

「これも、知っておいた方がいいと思うんです。俺がした事ですから」

ダルクロッサはゆるやかに右腕を持ち上げると、指で引き寄せる動きを数度した。すると何もなかった空間に、突然半透明の板が現れる。いや、板ではない。思わず指を突っ込めば穴が空き、動かしてみれば像が乱れる。これは宙に浮かぶ画像だ。初めて見た。

「こういった半透明の画像はね、飛空艦内部で自在に姿を現すんだ。いつでもどこでも何でも、という訳にはいかないが」

 本来の意味での紙が貴重品となった現代、情報のやり取りは遠距離であるほど紙面では行われない。やりとりが聖国内で収まるならまだしも、地上は死の国である。空も危険だ。そんな中郵便物を届ける仕事は、困難を極める。重要な情報となれば、なるべく仲介者や危険がない方がいい。機密情報を扱うに現状最も安全な方法が、ここにある。情報に鍵をかけて、飛空艦に直接飛ばすのだ。社長曰く、ここにも古代の技術が使われているらしい。とにかく、表面には何かの情報が表示されていた。古代文字ではない。事務的な文面で、修理業者からの請求書だと分かる。数字が沢山並んでいるのを見て、ミラとハロルドは同時に目を見張った。


 言葉もなく驚いていると、請求書の手前に小さな紙切れが現れた。黒手袋の指先が、とあるカードを差し出したのだ。ハロルドの人生において見た事もない、煌びやかな夜景の絵。下に洒落た文字が並んでいる。請求書とは全く関係のない内容だ。

 空中要塞プロメテス第二繁華街 ホテル・ヘイメル。団体 アストラノーツ社 社員様御一行。古代文字の単語がひとつと、隣に三桁の部屋番号。

「君達に第一騎竜小隊に、連休を言い渡そう。三日後の連休明けに、プロメテス上層部と作戦会議を行う。詳細はそこで。では、よい休日を」



「アミスは、あいつが来てからロクな目に合わない! と怒っていましたが、しばらくすればまたあなたを構いに来るでしょう。エリテンシアはプロメテスに住む友人と会うとかで、今日は一緒にいられないそうです。レイチは大事な用事があるそうですが、十中八九いつもの遁走ですね。以上の事情で、私だけが迎えに来たという訳です」

 社長室から離れたところまで来てから、スーニヤは口を開いた。相変わらず抑揚が少なめだが、以前よりは柔らかい声に聞こえる。ハロルドは曖昧に頷く事しかできない。アミスをロクな目に合わせていないのは確かだった。それに、スーニヤとどういう態度で接すればいいのか分からない。彼とはまだ、殆ど喋った事がないのだ。

「えーと、コーウェンさん」

「スーニヤでいいです」

「スーさん」

「スーさん……」

「凄く無口な人だと思ってた。歓迎会してくれた時、ずっと無言でお菓子食べてたから」

「そうでもないですよ。初対面の人間が苦手なだけです」

 ある程度人間性が分かるまで、慎重になってしまうらしい。気持ちは分からないでもない。第一騎竜小隊の皆は、最初から知らされていたのだから。ハロルドがカニスマヨルの子どもであり、半分人間でないのを。むしろ、平然と対応していたレイチやエリテンシアが凄いのではないか。そしてアミスも正体を知っていて、危険を承知でカニスマヨルから守ってくれた。


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