第三節 彼女の記憶


 朝。プロメテス空中要塞、第十三番船渠。最終番号を振られた船渠には、形も様々、色もとりどりの飛空艦が数隻、同じ方向を向いて並ぶ。どこの船渠でも同じ光景が広がっているそうだ。初めての体験に、ハロルドの心は少年のように逸った。操縦席の窓からしか拝めなかったため、もう少し展望のいい場所から見渡してみたかった。そうと決まれば、言わずにはいられない。その忙しない要求は、皆の笑い声と共に承認されたのである。


 操縦士はハロルドとミラ、そしてアミスを下ろした後、小型飛空艦をアストラノーツ号の中に戻しに行った。医療部の面々も一緒に帰った。彼らは何度も来ているようだし、見慣れているのだろう。ハロルドは小型飛空艦から降りてすぐに、目前の階段を駆け上がる。帽子を被ったミラが慌てて追いかけて来るのが分かったが、待っている心の余裕はない。ミラの後からアミスも続く。走るなとか何とか喚いているが、ハロルドは聞こえないふりをした。

 鋼と光に囲まれた、広々とした空間だ。歩きながら辺りを見渡したり、ここから見える飛空艦についてあれこれ話したり、手摺に捕まって下を覗いたり、ミラと共に楽しんだ。その時間はあっと言う間だった。途中で見つけたアストラノーツ号の背は、ハロルド達のいる階段より大分下になっていた。凄いなあと言うと、彼女も笑顔で頷く。帽子からはみ出した群青色の髪が、ふわり翻った。


 船渠の奥の方で、新しい飛空艦が入って来るのが見えた。地響きのような音を立てながら下からせり上がり、規定の位置でゆっくりと停止した。灰色の側面上を陽石の光が滑り、つるりと輝く。どこの所属と知れない飛空艦の着艦と共に、様々な自動人形が集まって来て作業を始める。プロメテス公爵とやらの配下の者達だろう。この場所が、巨大空中要塞の下の方だとハロルドにも分かる。操縦席の窓から見えていた。プロメテス空中要塞は、確かにとんでもない大きさである。接近するにつれ圧迫感がどんどん増すので、最終的に恐れが生まれたほどだ。何の抵抗もできないまま巨大な怪物に飲み込まれる。そんな気分だった。

 思い返しながら僅かな風を感じていると、突然甲高い機械音が鳴り出した。ハロルドとミラは、ほぼ同時にアミスの方を見た。音はまだ鳴り続けており、彼のポケット辺りから聞こえる。アミスはポケットから小さな機械を取り出すと、簡単な受け答えを数度行う。あんなものがあるとは知らなかった。会話を終えたアミスは、小型通信機械をポケットに戻す。

「時間だな。社長がお呼びだ」

 ハロルドとミラの見学時間は、アミスの一声で終了となった。行かなければならないところがある。それはもちろん、社長室だ。





 ハロルドは制服に着替えた。と言っても、外殻を出して変形させる一瞬の作業だ。ハロルドとミラは、多少道に迷いつつも何とか社長室の前に辿り着いた。要求された時間より十分程度、遅れてしまったようだ。これから二人の行いについて処分が言い渡されるのならば、遅刻はまずい。ハロルドもよく分かっていた。勝手に飛び出した挙句に竜の力を暴走させ、食堂を破壊した件についてだ。

 ハロルドはノックをしようとして、しかし持ち上げた腕が途中で止まる。扉の向こうから話し声が聞こえてくるのだ。カニスマヨル、と誰かが言っていなかっただろうか。扉をよく観察すると、うっすらと開いていた。隙間に誰かのペンが挟まっている。ハロルドは廊下の左右を見て、誰も来ないのを確認する。そして身を屈め、隙間の辺りに耳をつけた。ミラはハロルドの意図を理解し、廊下に目を向けた。ミラが周囲を見張っているので、ハロルドは目の前に集中する事にする。やはり中では誰かが会話している。社長。そして執事兼秘書のライノだ。

「しかしね。ようやく彼らを見つけたというのに、意地の悪い仕打ちはやりづらいのだが」

「そう言われましても」

「しかしね……」

「解雇という話ではないですから」

「いいやライノ。解雇処分より酷い事を、私はさせようとしている。あの時、何ひとつしてやれなかった私が……」

「今更何を仰っているのやら。それに、だからと言って変に贔屓しては、社内の空気に影響します。彼らは何も知りません。そうなれば、ハロルドさん達も困るでしょう」

「今更か。そうだった。私の悲願を達成するためには、」


 ハロルドは突然体勢を崩し、勢いのまま扉に上半身を叩きつけた。扉に激突した直前、背中に何かが当たった感覚があった。二人分の重みが衝突したせいで扉が震え、盛大な音が響いた。

 今まで人気のなかった廊下で、突然そんな事をしでかすのはミラしかいない。焦ったミラに強く後ろへ引っ張られる。今さら人を感知した扉は容赦なく横に滑り、ハロルドは尻餅をつく。ミラを背中で潰してしまったと気がついたのは、素早く振り返った後の事だ。ハロルドに全体重をかけられたミラは、動力の切れた人形のように床へ沈んでいる。脇ではスーニヤが呆然と立ち尽くしており、過剰に驚かれた事に驚いているように見えた。スーニヤ・コーウェン。第一騎竜小隊の一員で、契約竜はハダル。眼鏡をかけた赤毛の、中性的な見た目をした人物。悪いところを仲間に見られてしまった。ハロルドは生唾を飲み込む。しかし最大の驚異は向かい側にある。艦内一恐ろしい存在が、静かに迫っている。


 開いた扉の室内側では、竜頭の紳士がこちらを見下ろしていた。高級な黒スーツを少しも乱す事なく、荒い足音ひとつ立てずに接近した男。謎多き、社長にして艦長。ダルクロッサ・フォン・メイ=レンツィオ。

「今の、聞いたかい?」

 ハロルドは急いで首を振る。今更知らない振りをしたところで無意味だろうが、ハロルドはそうするしかなかった。

「聞いていたね。どこから聞いていたかな?」

「俺の処遇の辺り、からです」

「全くカセイ君は、いつもきちんと扉を閉めないものだから。君も少し行儀が悪いぞ」

「すみませんでした……」

 これ以上は下手に繕わず、正直に話した方がいい気がした。声の調子はさすがに厳しいが、顔が見えないため微細な感情は読み取れない。脱力して立ち上がれないハロルドとミラを気にせず、竜面は悠然とスーニヤの方を向く。スーニヤはすぐに、眼鏡の弦に片手をやりながら話し始めた。心なしか出会った時より早口だ。気まずい場面に巻き込まれたせいで、緊張しているらしい。

「私はそろそろ彼を迎えにと、ここに来ましたが、聞き耳を立てているようでして。ちょっとミラの肩に触ったら、こんな事に」

 ご覧の通りとハロルド達を掌で指し示す。確かにこんな事である。何とも情けないものだ。ミラもまだ、何も言えずに転がっていた。



 スーニヤは外で待っていると言い、ライノの手により扉が閉まった。ダルクロッサはひとつ息をつき、黒いソファに腰かける。その際、ハロルド達に着席を促すのも忘れない。ライノは迷う事なく、本棚の隙間に消えていく。二人は社長と向かい合う位置に座った。

「カニスマヨルは、我々も長年追っている邪悪な竜でね。仕留めれば世のため人のためになり、社の株も上がるという訳だよ。ここ数年観測範囲内に現れていなかったが、短期間に二度も出現した。我々はこれを、君がカニスマヨルの角の破片を空へ持ち込んだためと考えている」

 ハロルドの持っていた剣の事だ。社長は机の上で軽く指を組み、前へと身を乗り出した。

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