「お前さんも、そろそろ戻って来いよ。あいつらと一緒に息抜きでもしたらどうだ」

セドリックはこちらの様子を窺いながら、隣に座ってくる。気まずさはあったが、ハロルドは拒まなかった。ちょうど二人きりになったので、疑問を投げかけるには都合がいい。ハロルドは慎重に、言葉を探し始める。

「あの時、助けて欲しいなんて頼んでない、なんて言ってすみませんでした。いつかお礼言わなきゃって、ずっと思ってて」

「礼には及ばねえよ。俺は元々、人間の命を救う役割を与えられ、この世に生まれてきた人形だからな。存在意義に従って行動しただけだ」

 無事礼は言えた。ここからは次の話題だ。ハロルドは小さく息をついてから、一思いに切り出す。気が重い話になるが仕方がない。ミラも気にしていたし、これ以上先延ばしにはできなかった。真実を知ったところで耐えられるかは分からないが、訳が分からないままよりましだ。

「先生。少し話しましょう」

 セドリックは、はっきり返事をしない。彼はお喋りではあったが、気軽に話して問題ない事とそうでない事をしっかり区別している。どう説明したらいいものかと悩んでいる。幼い時に出会ったのが師匠でなく、彼のような優しい人物だったら、ハロルドの人生は変わっていただろう。だが、そうはならなかった。

「ハロルド。落ち着いて聞いて欲しいんだが」

 突然セドリックの声質が変わった。いつもの陽気さは鳴りを潜め、真面目で鉱物的な音があった。ハロルドは何も言わず、無機物からなる彼の顔を見つめた。心の準備は大体できている。

「ミラだけじゃない。お前さんも普通じゃないんだ」



 セドリック達の調査によると、こうだ。ハロルドの体組織が、そもそも普通の人間のものではなかった。どちらかと言えば、人間というより幻獣に近い。だがハロルドはジーナと違い、獣のような身体的特徴などもなく健康体だった。悪い影響を受けていないとなると、最初から身体の一部として共存できていると思われた。ところが契約を結んできたミラによって、別の竜組織が血液を介して注がれた。故にそれ以来、竜と契約者の身体が上手く噛み合っておらず、暴走などの誤作動を起こすようになった。契約前まで眠ったようになっていたハロルド側の体組織が、ミラとの契約で刺激を受け活性化したせいとの事だ。竜体化が上手く行かないのも、これが原因と言える。デネブの言った通り、ハロルドが普通の人間でなかったから起きた不具合だ。現在互いの体組織同士が、主導権を巡って攻撃し合っている状況らしい。


 謎は三つあった。何故氷竜ミラが、純血の人間でないハロルドを契約者に選んだのか。契約者が純血の人間でなければ、元々持っている血が合わず悪い影響が出る。契約者の命が危なくなれば竜も無事ではいられないはずで、食う前に共倒れしてしまう。本能的に避けるはずだ。

 もうひとつの謎は、ハロルドの身体組織が竜に近いにも関わらず、目立った特徴や症状がないという事だ。角は生えていないし、瞳が金色ではないし、瞬きだってできる。竜体の存在を感知した経験はないし、自分が人間と違うという疑念を持った経験もない。体組織が攻撃し合っているわりに、今まで症状が現れていないのは、今投与されている薬の効果だ。しかし放っておけば、今後体に悪影響が出るかもしれない。

 そして一番の謎がある。竜と人間の間に子が産まれる事態は、果たしてあり得るのか。だが、現に存在してしまっており、それがハロルドとシェスカだった。

「そもそも普通の人間だったら、竜外殻の一部を武器にして持ち歩く事なんてできないもんだ。非活性化状態とは言え、触り過ぎると人体に影響が出るレベルで竜瘴に汚染されちまう」

「じゃあ、シェスカが生きている可能性は」

「妹さんが普通の人間だった場合より、ずっとあるな」

 医療部門部長のセドリックは竜瘴の研究者でもあり、兵器管理部門部長のカセイノアリッツが担当する兵器には竜も含まれている。二人で出した結論だ。ハロルドには生まれつき、竜の体組織が含まれている。シェスカはそれに気づいていただろうか。

「母さん……そんな話一度も……」

「お前さんが大人になったら、教えてやるつもりだったんだろうな」

 だが、その前に死んだ。赤銅色の竜に殺された。

「俺の母親と父親、どっちが竜だったんですかね」

「それは……」

「だけど、母さんは人間にしか見えなかった」

 ハロルド達の父親については、村長も他の住民も口に出さなかった。話題を避けているというよりは、元々顔を合わせた事もないようだ。彼を知っているのは、今は亡き母しかいない。

「みんな知ってるんですか? 俺が普通の人間じゃなかったって」

「大体な」

「最初から?」

「そうだ」

 セドリックが肩に手を置いた。ハロルドは改めて、彼らに治療を任せるしかないと考えた。竜との契約を途中解消できない以上、戦えないままなのは困る。それに、セドリックしか頼れる者がいないという事情もあった。



「ある日」

 荒廃した世界を見ながら、セドリックは話を始めた。

「ある日俺は……。医療用人形として設定された人格の奥に、別の人格が発生している事を発見した。日に日に齟齬は大きくなり、無視ができなくなってきた。隠し続けるのも限界だった。次の定期検査で修復を受けるのを惜しいと感じた。同僚達と全く同じ顔を破り捨てて、どこか遠くへ行ってしまわなければいけないと思った」

 ハロルドは相槌を打たず、返事もしなかった。彼のそれは、半ば独白のようでもあった。

「あれ以上軍に留まっていたら、俺は内側から壊れていただろうな。だからお前、自分は他とどこか違うと判明してもな。これからどう振る舞えばいいかなんて、悩む必要はねえんだ。らしさなんて気にするな。今ある自分に従え」

 ハロルドは深く、丁寧に頷いた。セドリックは自分の深い部分を晒して、ハロルドを勇気づけようとした。彼なりの励ましの言葉だったのだろう。すぐに心の整理はできないが、少しは落ち着く事ができた。二人は、黙って景色を眺めている。何かが起こる気配もないし、別の誰かが現れる事もない。彼はハロルドの気が済むまで隣にいてくれたが、その頃にはすっかり夜の帳が降りていた。





 久しぶりに、あの日の夢を見ている。赤銅色の竜によって村が焼かれ、妹が攫われた日の夢を。ハロルドにとっては酷い悪夢だったが、一人で眠っていた頃ほどの不安はない。目を開ければ仲間達がいると分かっていた。それに何度も見たものだし、展開もよく知っていた。幼いハロルドは、双子の妹シェスカの手を引き走っている。途中で妹が転んでしまう。カニスマヨルの禍々しい腕に、妹は捕まえられる。ハロルドは赤銅色の竜に向かって行く。妹を救うために、なけなしの勇気を振り絞って。カニスマヨルに反撃され、羽虫のように地面に叩きつけられるはずだった。もう全て知っているのだ。知っているから、もう見せないで欲しかった。

 だがそれ以降の内容は、今回少し違っていた。


 その時初めて、記憶にない事が起こった。地面に転がされたハロルドの掌から、欠片が数個滑り落ちる。それぞれが鈍い音を立てて、散らばって行く。一際大きい刺のような物体が、くるりくるりと回転し、地面に突き刺さる。ハロルドは横たわったまま、幼い目を見張り混乱した。人間の子どもが、大人ですら敵わない竜に傷をつけられる訳がない。ましてや、武器もないのに竜の外殻を破損させるなど。

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