アミスは静かに目を閉じ、されるがままが。青白い術衣を着た人物が側で片膝をつき、何かの処置をしている。知らない人間だが医療部の者と服で分かった。例によって鳥の仮面をつけている。鳥仮面はハロルドが見ているのに気がつくと、くいと仮面の位置を直し親指を立てた。術衣の向こうからジーナが顔を出し、得意気に真似して親指を立てる。


 ハロルドは大事をとって、手前にあった椅子の背もたれを掴んだ。飛空艦は小型のため聞こえる稼働音も大きく、全体が小刻みに揺れ続ける。体勢を整えたところで更に奥を見れば、窓のついた操縦席だ。周囲に機械類が埋め込まれているのが、仕切りの隙間から見えた。操縦席には操縦士が、隣の椅子にはセドリックが座っている。近くで遠慮のない着席音がして、一通りの処置が終わったと知る。人物が鳥仮面を取ると、優しそうな顔をした女性だった。彼女はひとつ息をつき、まああんたも座りな、と言った。そこまで危険な揺れはないだろうとの事だが、小型の飛空艦では座ってベルトをするのが義務らしい。

「アミスは大丈夫なんですか?」

「ちょっと疲れてるだけ。この子真面目でいい子なんだけど、口は悪いし強情だからさ。慣れるまで大変だと思うけど」

「いえ、アミスの方が……。俺はまた、何もできなかったし」

 ハロルドは首を横に振った。女性は話題を変える。

「ね、セドリック先生、始めて会った時は怖いと思ったでしょ。私もそうだった。だけど、その内可愛く見えてくるよ」

 その冗談には自然と笑みがこぼれてしまう。ハロルドも背もたれを掴むのをやめ、腰を下ろした。座り心地は案外悪くない。彼女は自分のベルトをしながら、お喋りをする余裕まであった。その向こうでは、既に仮面を取ったジーナが小さな腕でベルトを締めている。

 二人は何度も繰り返した作業で慣れているのだろうが、ハロルドは違う。ベルトを手にしたまま眺め回していたハロルドだったが、彼女が固定を手伝ってくれて事なきを得る。

「自動人形なのにやたら人間くさいと思わない? 名前も人間ぽいし。自動人形独特の冷たさってあるじゃない、そういうの殆どないって言うか、あたしらと一緒に馬鹿もやってくれるのよ。この職場まあまあストレス溜まるけどさ、あの時先生についてってよかったって思うなあ。仕事以外結構ポンコツなところに、今では実家のような安心感を覚えてるわけ」

 苦労話をしているはずが、彼女の顔は妙に楽しそうだ。殆ど一方的なお喋りとも言える雑談をしていると、セドリックの声が前から飛んで来た。

「いつまで俺が知性溢れるイケメン自動人形だっていう話をしてるんだ? さっさと予定を説明してやれよ。お喋りアルマめ」

「先生がしてやって。私そういう話は苦手なのよね。好きでしょ、説明するの。調子乗ると口からどんどん出てくるもんね、ありがたい御高説がね」

 アルマは言葉の最後に、同意を求めてジーナの方を見た。

「ねー!」

 ジーナはアルマの意図を理解し、張り切って追撃を加える。両足を何度も、楽しそうに揺らして。彼女はこういう時にはセドリックを守らないようだ。どうやら事態を面白がっている。

「俺にも優しくしろよお」

 セドリックは大袈裟なまでに悲しい声を発する。その瞬間、いままで機械のように静かだった操縦士が堪えきれずに吹き出した。アルマのおかげで確かに空気は和んだ。しかしセドリックの言う通りでもあり、そろそろ目的地について聞きたい。質問をするため、ハロルドは軽く身を乗り出した。ハロルドの動きに合わせて、ベルトが伸びる。

「これからどこに行くんです?」

「プロメテス空中要塞」

 セドリックは答えた。

「街ですか?」

「飛空艦だ。こんなもんが空に浮かぶか普通、ってくらい馬鹿デカイ。プロメテス公爵から土地と設備を一部借りててな、アストラノーツ社の支部もある」

 アステラス号は、そこに向かったのだと言う。赤銅色の竜との戦闘で、あるいはハロルドが竜体化した際に巻き込まれて、壊れてしまった部分を直すためにだ。物資の補給と船員達の休息も、この機会に行っておく予定だそうだ。とすれば、アストラノーツ号の滞在期間は長期に渡るだろう。到着が多少遅れても合流できそうだ。ハロルドの質問は続く。

「プロメテス公爵って、人なんですか?」

「いや人間じゃねえな。人間と違う名前だろ? 女王に匹敵する存在だが、古くから女王の配下には置かれていない上位人形だ。空中要塞は公爵自身の体でもある」

 と、セドリック。

「プロメテスに集まってくる奴らなんてのは、聖国に住めない荒くれ者ばかりだからな。軍が手出しできないだけで安全圏とは言い難いが……。俺達も世間様の括りじゃ、荒くれ者と似たようなもんだし」

「アストラノーツ社にとっては、聖国より安全なんですね」

 その通り、セドリックは人差し指を立てた。



 ハロルドとアミスが救助されてから、二度目の夜が来る。雲越しの薄い光はゆっくりと力を失い、大地の赤みが影の中へ沈んで行く。荒野の中にぽつりと、小規模な廃墟群がある。孤独に長い年月をすごす内、砂に埋もれてしまったのだろう。恐らくはここに古代の集落があった。人々がいなくなった事で大半が壊れてしまい、一番頑丈な部分だけが今でも残っているものと考えられた。見知らぬ時代をかつて生きた街の、死んで野晒しになった姿だ。背の高い鉄塔が、大地へと斜めに埋まっている。それの指し示すものが何だったか、今となっては知る由もない。

 石でできているらしい四角い建物は、元の状態が分からないほど崩れているものが多い。巨大な木が穴から枝を伸ばして、不思議な質感の葉を繁らせている。異質な蔦の類が縦横無尽に這っていたりもした。鼓動に似たリズムで仄かに光っている。竜瘴の影響を受けて変質した植物だ。ここからそんな光景が見渡せる。今回小型飛空艦が着陸したのは、壊れた橋の下だ。

 ハロルドは着陸してすぐ、自ら志願して周囲の確認に出ていた。端まで行けるだけ行き、下を覗いてみる。もう一、二本程度橋が交差しているようだが、その辺りは破損が酷く元の構造は分からない。用途は何だったのだろうか。小型の幻獣が群れをなして走り去って行くのが見えた。魔狼だ。体つきは高級な愛玩動物に似ているが、犬と違って見た目は悪いし愛嬌もない。これから巣に帰るところなのだろう。ハロルドはもう少し、外の空気に当たっている事にした。帰ろうと思えばすぐ後ろにある。



 プロメテス要塞には未だ到着しないが、操縦士によると概ね予定通り進めている。明後日には何とか着くだろうとの事だ。アミスは救助された翌日にすっかり元気を取り戻し、ジーナ達も相変わらず元気で、その影響もあってハロルドも気を持ち直しつつあった。

 だが、ミラは違っていた。彼女はあれ以来姿を表さなくなり、体の中心にある気配もやけに大人しい。心の声で話しかけてくる事も、外界への興味を持つ素振りも見せない。ハロルドが思いついた時に話しかけてみても、全く返事がないのだった。特に意味のない単純な呼びかけとか、携帯食糧が思いのほか不味いとか、身体を洗いたい件について同意を求めるとか、あそこに変な木があるとか、どれも他愛もない話ばかりだ。しかし彼女は石の如く沈黙し続けている。目下のところ、それだけが気がかりだ。

 セドリックは、別の問題は発生していないと言っていた。新たな病気や怪我の可能性は低く、竜の睡眠に相当する期間に入っただけかもしれないと。あるいは破損している事が判明してしまったのが、そこまでミラを傷つけたのか。物思いに耽っていると、背後からハロルドを呼ぶ声がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る