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すっかり日の落ちた大地に着陸したのは、黒い小型飛空艦だった。もっとも、辺りが暗いから黒い塗装に見えるのかもしれないが。陽石の光源がぐるりと動き、ハロルド達と地面を照らした。空気が唸る音が風を作り出し、髪や服を乱す。ハロルドは、顔の前に手を翳した。人工的な純白の光は、暗闇に馴れつつあった目に染みる。隣に立つミラは、普段通りに瞼を開いたままだった。眩しくないのだろうか。
「いなかったらこの辺りで引き返すつもりだったんだが、まあ賭けだな」
機械の稼働音を掻き分け、よく知る声が届く。着陸して一番に現れたのは、人工表皮を装備していない四本腕の人型自動人形だった。彼自身の言動が常に友好的な事もあり、黒い人間の骨に似た顔にもそろそろ馴れてきたハロルドである。セドリックは、軽い検査目的で数秒ずつ二人の全身を見つめた。ハロルドは自己申告通り概ね問題ない。アミスの方は緊急性こそないが、治療が必要なのだそうだ。中にある設備や機能で十分間に合うと言う。
「万が一を考えて俺が来てみたが、こりゃあレオンかアンジー辺りにやらせても大丈夫だったかね。あいつらも結構一人前になってきたからな、留守番も安心して任せられるってもんだ。ところで、何があった?」
相変わらずお喋りな自動人形だ。次に紫竜の事を聞かれるのだが、とても一言では説明できない事柄だ。だが、セドリックが疑問に思うのは当然だろう。ハロルド達がいると予測される地点から飛び立ったデネブが、小型飛空艦から見えたはずだ。セドリックはこの時点では深く詮索せず、二対ある腕の内の上……つまり元々ある方で肩を竦めるのみに留めた。
「後で聞く」
その時不意にセドリックの後方、つまり昇降口から小さいものが覗いた。薄青色の術衣の端をふわりと踊らせて、フードを被った鳥仮面の少女が顔を出す。ジーナだ。忙しなく安全を確認すると、こちらへ走り寄って来た。
「お父さーん早くー!」
突進と表現してもいいほどの強力な一撃を、セドリックは何とか体全体で受け止める。四本の腕がそれぞれ動き、小さな少女が倒れないよう支えた。
「仕事中は先生と呼びなさいって言ってるだろ。あと抱きつくのも駄目な。今仕事中だからな」
「ごめんなさーい」
叱られているにも関わらず、ジーナは緊張感のない様子でセドリックを見上げる。厳しい事を言うわりには、やれやれと慣れた手つきで頭を撫でているセドリックだった。唐突な新事実にハロルドは、両者の顔を順にまじまじと見てしまう。ジーナの両親は不明だが、セドリックが引き取り面倒を見ている現状は読み取れる。アストラノーツ社の中では、隠さなければならない事情でもないし、わざわざ告白するほどの話でもない、という事だろうか。社内人間関係情報の上書きをするハロルドの隣で、アミスは渋い顔をしていた。
「ジーナまで来たのか」
「俺は危ないからついて来んなって言ったんだけどな。こいつが言う事聞かなくて」
四本腕の内右側の一本が、彼自身の服の中に入る。出てくるなり、何か小さい物を順番に投げて寄越した。掌に収まるほどの小瓶だ。転がして内容表示を眺めるハロルドに、セドリックが簡単な説明をしてきた。
「栄養剤。とりあえずこれ飲んどけ。今すぐでもいいし、乗ってからでもいい」
ハロルドが横を見れば、アミスは既に躊躇いなく飲み干していた。味は飲んでみなければ分からないが、彼が飲むなら問題ない。いや、問題はまだあった事をハロルドは思い出す。上手く竜体化できない事をセドリックに伝えておく。
「あー……」
彼は納得したような、腑に落ちないような、複雑な感情を含んだ声を発した。
「あれじゃ駄目だったか。上手く行ったと思ったんだがなあ。またカセイに相談してみるか」
聞いた事がある名前がまた出た。アステラス号内に初めて来た時、病室で聞いた覚えがある。
「イリーナ・カセイノアリッツ。兵器管理部門部長」
アミスを見るなり、彼は答えた。どうせ質問されるだろうと分かっていたらしい。
「お前、私と私の契約者に、話していない事があるんじゃないか?」
遠巻きにしていたミラが突然距離を詰めて、セドリックへと一直線に食ってかかる。彼女の顔には不安と苛立ちが滲み出ていた。
「お前からも何か言ってくれ。こいつが何か知っているに違いない」
今度はハロルドに走り寄り、腕を掴んで揺らす。一体何だと言うのだろうか。ハロルドは苛立ちを覚えた。何も分からない自分自身に対して、あるいは、ミラに妙な事を吹き込んだデネブに対して。
「お前は私の状態がおかしい事を知っていて、説明をはぐらかした。最初に私を弄っていた時に、何か気づいたんじゃないか?」
「そうだな。ミラの言う通り、俺は気づいていた。お前達の契約は確かに完全じゃない」
自動人形の男は、それきり黙り込んでしまった。セドリックの無機的な顔面からは、何を考えているのかを推し測るのに難儀する。仕草や言葉がなければ余計にそうだった。彼自身は、顔の人工皮膚を取り払ってしまった事をどう捉えているのだろうか。顔の表情が並みの人型人形以上に作れない、この不便を。
「ロウ医療部部長!」
緊迫した状況の最中、ハロルドの知らない声がした。昇降口に手をかけながら顔を出したのは、操縦士らしき人物だ。顔まで覆われた重装備なので分かりづらいが、恐らくは男性。自動人形ではなく、人間である。
「マリネス基地の聖国軍が今飛び立ちました。現地協力者より、これ以上の時間稼ぎは無理、だそうです」
「聞いたな。ややこしい事をお喋りしてる暇は、今ないって事だ」
セドリックは強引に話を終わらせ、早く乗れと親指で昇降口を指し示す。仲間達は急ぎ足で飛空艦に戻って行った。ハロルドも後を追おうとして、立ち止まる。ついて来るものと思っていたミラの足音がなかったためだ。振り向けば、ミラは同じ場所に立ち尽くし、うちひしがれていた。自信満々で傍若無人なあの群青竜とは思えないほどに。数歩しか離れていないが、ハロルドにはやけに小さく見えた。人型は端末機なので、置いて行っても自動的に戻るはずだ。だが、彼女を置いていく訳にはいかなかった。ハロルド自身が直接話をして、あの手を引かないといけない。そんな気がした。
「契約が不完全? デネブは、自我が私のように……」
「ミラ、今はそれを考えてる時じゃない。先に船に乗らないと」
「初期化、する前は……どこで、何を……」
「ミラ!」
ハロルドは大きな声を出し、両肩を強く掴む。ミラが驚いて顔を跳ね上げた。落ち着かせるため、彼女の目をしっかりと見つめる。そして、はっきりと言う。
「俺の中に戻るんだ」
ミラは何かを言いかけて、やめた。素直に聞き分け、直ぐに消える。今まで見た事のない顔をしていたのが気がかりではあったが、急がなければならない。小型飛空艦は二人を待ち兼ねて、ゆっくりと大地を離れつつあった。ハロルドは一人、開いたままの昇降口に飛び乗る。
操縦士はすぐに閉めると、稼働音を高い領域へと移しながら大地を離れた。
中は案外狭い。左手壁際には椅子が三つ固定されている。全てに頑丈そうなベルトが下がっていた。右手壁際にはアミスが寝かされている。このベッドは、左手のものと同じ椅子三つを組み換えて作ったものらしい。アミスは、謎の液体が満たされた袋や、壁に備えつけられた不思議な機械に繋がれていた。救助されたハロルドが繋がれていたものと、同じような機械だろうか。あれよりは小型だという事しか、ハロルドには分からない。
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