ハロルドとアミスは再び歩み寄り、適度な角度と距離を取って座った。ミラも黙ってハロルドの側に座る。確かにミラの主張する通り、喧嘩をしている場合ではないのだ。ここは荒野の真っ只中で、自分達のいる場所も分からない。元いた飛空艦の安否も位置も分からず、未だ通信ができない状態だ。しかし、竜体化して闇雲に飛ぶのは消耗が激しく、多くの危険が伴う。ハロルド達は孤立していた。

 何らかの幻獣が現れてもおかしくないし、女王の庇護下を離れた無法者も近くにいるかもしれない。カニスマヨルが止めを刺しに来るとか、聖国軍の艦が通りかかる可能性もあった。

軍の飛空艦は最低でも数隻は連れ立っている。巡回目的で分厚い雲の下を通る場合もあるし、女王勅令発布以降推進された研究と開発により、竜に対する攻撃手段も多数持ち合わせている。

「軍の奴らは鋼鉄女王が好きだが、竜も大好きだからな。捕まえて解剖だの実験だの、手厚くもてなしてくれるだろうな」

 アミスははっきりと嫌悪感を表した。嫌な思い出でもあるのだろうか。ふと空気が動いてアミスの金髪を優しく揺らし、ハロルドの頬を撫でる。沈黙の中でミラが立ち上がり、風上へ目をやった。何かが現れる予兆もなく、何かが起こる気配もない。ただ、風が通り過ぎた。


 迷えるそよ風ひとつ程度では、地上を覆う分厚い雲は晴れない。昔話には、いつからか大地は枯れ風が殆ど吹かなくなった、とある。ハロルドは思い返していた。竜化した時に一瞬触れた、ミラを構成する体組織の記憶を。古代人なら知っているだろうか。この世界の元いた場所を。竜の契約者になったハロルドは感じていた。古代人と共に空を飛んだ苛烈な日々は、竜にとって風化しつつある若かかりし頃の思い出なのだと。人間という種の危機であり地獄でもあったが、確かに竜の存在意義はそこにあった。乗せた人間の数は知れず、今は誰の顔も見えないほどに遠い。戦いの光景はぼやけて見えない。最期には全て、竜の腹に溶けていった。


 竜。ミラと出会ってから、ハロルドの立ち位置は真逆に変わった。竜の契約者になる前は守ってくれる存在だった軍が、今では驚異のひとつである。

「何とかしてアステラス号に帰らないと」

「そうだな。僕らはまず、人がいる所に辿り着く必要がある。何らかの発着所があるはずだ」

 ハロルドは同意の意味で頷いた。聞けばアミスの竜は消耗が激しく、人型端末すら出せる状態ではないようだ。暴走したミラを止めつつカニスマヨルから自分共々守らなければいけなかったから、さすがに大変だったに違いない。申し訳なさは消えないが、やってしまったのは仕方がない。ハロルドは気持ちを切り替えて、傍らのミラに協力を頼んでみようとして。

「誰かいるぞ!」

 突然ミラが叫んだ。瞬間二人は顔を跳ね上げ、彼女が指差す先へと視線を集中させる。

そこには小高い丘があり、中腹辺りで人らしき後ろ姿が動いていた。それが、ミラの大声をきっかけに止まった。謎の人物は体を震わせ、挙動不審気味に声の主を突き止める。



 相手は発見されても動く気配がなく、堂々としたものだ。それもそのはず、死の大地で隠れるところなどない。双方は観察しながら慎重に接近し、出方を探る。先ほどの無駄が多い挙動からして、確実に人形の類ではない。そして人間とは決定的に違う箇所がある。薄紫色の髪の毛。耳の上辺りから生えている、紫色の長い双角。瞬きなく開かれ続ける黄金の瞳。竜だ。

 人間で言うところの成人に近い女性の姿をしており、線の細い印象を受ける。見た目だけで判断するなら、戦いに身を置くような性質でないように見えた。だが彼女は明白なる竜だった。驚いた顔を見せながらも、瞳だけは眈々と値踏みしてくるのだ。

 服装も不思議なもので、ハロルドの見た事がない形だった。菫色を基調とする鎧。攻撃的な部分はしっかりと関節や邪魔になりそうな場所を避けており、まるで体の一部のようだ。自分自身の竜外殻で作った鎧かもしれない。何らかの組織に所属する者だろうか。アミスに横目で視線を送ると、未知の人物を刺激しない程度に首を左右へ振った。

「お前、竜だな」

 アミスが問う。相手は何も答えなかった。見れば分かるだろうとでも言いたげだ。

「カニスマヨルの仲間か?」

「まさか。むしろ被害者の側ですよ。愚かな人間に言っても信じないでしょうけど」

 素っ気ない態度だが、質問に答える意思はある。しかし紫竜の声色は、どこで気が変わるか分からない危険を孕んではいた。強者故の慢心か、人間を対等に扱う気がないのか。アミスは臆せず質問を続ける。

「お前の契約者はどこにいる」

「契約者なんかいる訳ないでしょう。私は真竜ですから。……それより」

 紫竜がミラに視線を移す。人間に対するものとは全く違う目つきだ。少なくとも軽蔑の意味は含まれていない。すぐさま彼女は、不服そうな顔になる。

「ミラ、あなたですよ。勇んで飛び出したくせにカニスマヨルを討ち損ねて、自分の元の姿まで忘れて初期化、二度目も仕留められずまたこの惨状。私に言う事ないんですか?」

「言っている事が理解できない」

「そもそも私を覚えてます? デネブですよ」

「誰だお前」

「あなたは変わり者でしたけど、端末の初期化という醜態を晒してなお、人間の真似をする事に拘っているとは。私の事はすっかり忘れて、どうしてそれを忘れてないんですかね。あの時助けて損しちゃいました」

 デネブと名乗った紫竜は、渋い顔をして眉間を押さえた。ミラが呆然とハロルドを見上げてくる。ハロルドは無言で視線を返すのみだ。彼女自身に分からないものが自分に分かる訳がない。ただ、気になる事がひとつあった。

「今カニスマヨルを討ち損ねたって?」

「黙れ。私はお前とは話さない」

 聞くなりデネブは吐き捨てた。声色がアミスに対するよりも厳しいものだったので、ハロルドは怯んでしまう。続く言葉を無理矢理喉の奥へと押し込んだ。デネブは気を取り直して、ミラとの会話を再開する。

「あなたはもう、人間を食う必要がないんです。その契約は無意味ですよ」

 紫竜デネブが単刀直入に切り出し、ミラが興味を持った。何の考えもなく近くへ行こうとするのを察し、ハロルドが急いで捕まえる。彼女は抵抗する事はなかったが、視線はしっかりとデネブを捉えていた。

「そうなのか?」

「データが収束し、殆ど固定されています。サンプル収集完了してるんです。蓄積データは奥に保護してある。でも、私にはどうにもできませんね。何とか自力で復元してください。カニスマヨルとの戦闘によるものか、悪いデブリに当たったか、大気圏突入時の負荷を耐えきれなかった事による不具合ですかね」

「勝手に核を覗くな」

「ああ、失礼。何のパスコードも設定されてなかったので。私に害意がないからよかったものの、ちゃんと再設定した方が身のためですよ」

「こうすればいいのか。助かる」

 人間には分からない単語の数々、人間に感知できない領域でのやりとり。それがハロルドの不安を煽る。彼は静かに聞いていられず、もう一度口を挟んだ。ミラを捕まえておく体勢を、よりしっかりした形に直しながら。

「記憶にない奴を信じるのか? こいつが嘘ついてるかもしれないだろ」

「同族の私でなく、餌の言う事を信じるんですか?」


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