あそこで頑張ってみようと、足掛かりに妹を探そうと、ハロルドは前向きだった。あっさり地面に叩き落とされるまでは。彼らは友好的に接してくれたし、いい友人もできそうな気がした。だが赤銅色の竜カニスマヨルを前にして、平静を保つ事ができなかった。ハロルドはすっかり自信を失いかけていた。いざ相対して予想以上に心を御せなかった事に対して、失望もしていた。自分を制御できずして、更に大きな存在をどうして倒せるだろうか。猛々しくも美しい、大喰らいの竜王を。

「おい待て、あっち」

 沈んだ気持ちで歩き始めた矢先、ミラが腕を掴んで引っぱった。反対方向な上にミラの力が強いので、ハロルドは転びそうになる。何とか体勢を立て直すと、視線を群青色の髪に包まれた後頭部の向こうへ。

「シリウスのにおいだ」



 そこは不自然な形状の丘になっており、子どもが適当に土を盛ったのに似ていた。中央の辺りに何か鋭い物体が埋まっている。ハロルドは観察するため、周囲を警戒しつつ更に近づく。紅色をした剣の切っ先、のような何か。焦げた土くれにまみれた表面は少し発光している。

 ハロルドには見覚えがあった。手を伸ばしてみるか、声をかけてみるか、あるいは掘ってみるか。次の行動を悩み始めた直後、下から大きな握り拳が現れた。轟と唸って天を突き、周囲の土を吹き飛ばす。二人が衝撃に巻き込まれたのは言うまでもない。ミラが首尾よく往なし着地する後ろでは、悲鳴を上げながら墜落するハロルドの姿があった。口に入ってしまった砂を味わい、ハロルドは顔をしかめる。不快だが、水がないので漱げない。何度も吐き出そうとする内、理解した。体が痛かったのは一瞬で、先ほど変に捻ってしまった手首も元通りだ。セドリックやダルクロッサの説明通り、容易に死なない体らしい。

 砂山のてっぺんから現れたのは、金髪碧眼の背が低い男。アミスだった。ハロルドは、ただ呆然として眺めるしかできない。両足を開きゆっくりと立ち上がる様は、さながら亡霊のようだった。ハロルドを見下ろすのは、活力の失せた作りのいい顔だ。どうやら呆れている。

赤銅色の竜へ向かって行った時、アミスが怒っているのはハロルドにも伝わっていた。今は怒りを表出させる気力を失っているようだ。

「死に急ぐような言動はやめたらどうだ。全然カッコよくないんだよ」

「カッコいいと思ってやったわけじゃ」

 アミスは大股で降りて来ると、回避する隙も与えずハロルドの胸倉を掴んだ。ミラは仲裁しようとして間に挟まれ、一瞬で渋い表情に変わる。人から体で圧迫されれば、誰しも気分が悪くなるものだ。竜とて例外ではないらしかった。

「迷惑だと言っている。集団組織に属しているなら、少しは考えろ」

「俺は、集団戦なんて知らない。竜体化したのもあれが最初だったのに。上手になんて一日じゃ無理だ」

「一日で習熟しろとは言っていない。そんなもの誰だって無理だ」

「お、おまえたち」

「そうだよ。俺、これから頑張ろうと思ってたのに。どうして奴が、突然出てくるんだ」

「僕だって意味が分からない。隊長という責任で、突然入った新入りの事で頭が一杯だった。凄い力を持つ竜の契約者が手に入ったって、社長も大層お喜びだったのに。それをお前、お前って奴は、勝手に突っ込んで、」

「いいかげんに……」

「知るかよ! しかもなんで君は、俺と一緒に落ちてるんだ!」

「放っておけるか! 仲間だろ!」

「そんな風に思ってるなんて分かるか! 君最初から失礼なんだよ言い方とか!」

「ちょっと」

「カニスマヨルに一人で突っ込んで行くなんて、あまりにも馬鹿だろ! 自分がどれだけ強いと思ってるんだか知らないが、英雄ごっこがしたいなら保育所に行け!」

「俺の村を襲ったのはあいつだったんだぞ! あの竜がみんなを喰い荒らし、妹を攫って行った! これが正気を保っていられるか!」

 ハロルドが語気荒く言い放って、ようやく怒鳴り合いは終わった。激しい鼻息だけが数度繰り返され、アミスは強く握りすぎて白くなった手を離す。大きく数歩後退して、ああ、と呟いた。溜め息だったかもしれないし、あるいはハロルドの想像の及ばない感情が漏れたものかもしれない。短く乾いた息を吐き、ハロルドも距離を取りながら他所を向く。投げやりに聞こえただろうが、そこまで気を使えなかった。


「お前も、カニスマヨルに」

 微かに呟かれたアミスの言葉は、最後まで続かなかった。足元で風に流れる無数の砂粒が、その音を削り取って行った。

「五番外層から来たんだ、俺」

 ハロルドは、一言。誰もが知っている言葉で、有名な事件だった。唐突に出現した一体の竜が、聖国の外れに墜落したのだ。ただ竜が墜落しただけなら、まだよくある話だった。不幸な事に赤銅色の竜は落下の衝撃を耐え、十分に肉体を保ったままだった。

 鉱物と石の天井に阻まれても勢いは止まらず、古代から守られ続けてきた強固な壁を次々ぶち抜いた。赤銅色の竜は自動人形を主とした軍の攻撃をものともせず、最下層第三区画にある五番農村まで到達した。ハロルドの故郷だった。最後に妹を連れて竜は飛び去り、二度と戻って来なかった。今まで竜が落ちるとしてもこれほど被害が出た事はなく、またここまで多くの人々を殺した竜はなかった。犠牲になった自動人形も少なくはない。守るべき人間と愛する配下達を殺された鋼鉄女王は、竜という種を絶やすべきではと懸念を抱く。ハロルドは詳しい内容を大人になって知った。あれは子どもの自分が思っていた以上に、被害の大きい事件だったのだと。あの場所には、今でも大きな縦穴が空いたままらしい。穴は、ハロルドの心にも。



 とにかく二人の感情爆発は静まり、両側から潰されていたミラは解放される。しかし体勢を崩した彼女は、尻餅をついてしまった。ふて腐れた気持ちを全面に押し出し、順番に顔を見ていく。

 ハロルド、そしてアミスへと。彼らはどちらも疲れていたので、考え込んでいて気づかないふりをした。図らずも仲良く同じ行動をした二人だったが、ミラは面白くない。数秒経っても自分に触れられないので、すっくと立ち上がる。

「私を無視するな!」

 ミラは群青色の髪を振り、子どものように憤る。流れで地団駄までも踏みそうな勢いだったが、そこまでの行動はしなかった。アミスは肩を竦め、一言投げて寄越す。

「悪かったな」

 ハロルドには、アミスの気持ちが理解できた。ミラの様子を見ていたら気が抜けてしまったのだ。彼女は複雑な表情で項垂れながら、ハロルドの隣へ歩いて来る。

「俺も悪かった。ミラもごめんな、喧嘩を止めようとしてくれたんだよな」

 ハロルドはよく考えず、間近に来ていた角の生えた頭を撫でた。幼い兄妹だった頃に慰め合う時の動作を、つい竜にもやってしまった。ミラが頭を持ち上げようとした瞬間、慌てて手を離す。動揺を隠すため即座に顔も体の向きも変え、最初から何もしていない風を装った。


 しばらく下からの視線を感じていたハロルドだったが、最後まで目を合わせられなかった。ミラが怒り出したりしなかったので、密かに胸を撫で下ろす。また別の争いに発展してしまっては面倒だ。違う問題に触れて気を紛らわせる。例えば、早急に解決に向かわせるべき問題。

「アミス、話し合おう。今度は冷静に」

「そうしよう」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る