『艦長から第一騎竜小隊の諸君、聞こえるかい? 現状は見ての通りだ』

 ようやく、と思えるほどに待ち望んだものが響く。ハロルドを除く竜の契約者達に、ダルクロッサ艦長の指示がある。

『私からの司令は、竜体ミラと契約者ハロルドの回収』

『その後逃走、ですよね』

 誰よりも早く、エリテンシアが通信で答えた。

『その通り。彼をあちらに渡す訳には行かないが、これ以上の被害も受けられない。幸か不幸か、カニスマヨルの興味はミラにしか向いてないようだ、今の内に本艦は距離を取る』

 ダルクロッサの指示は続く。アルコル、引き続き偵察。ハダルは本艦の護衛。アルタイル、シリウスの援護。シリウスはミラを連れ戻す。

『悪しき竜は倒されなければならない』

『了解』

 まばらではあるが、全員の返事はあった。

『人々のためとは言え、君達ばかりに辛いところを押しつけてすまないと思っている。しかし、君達にしかできない事なのだ』

『いつもの事でしょ』

 と、レイチ。


「わたし行くから。何かあったら通信で」

 口で言うなりエリテンシアは走り、大きく壊れた障壁の隙間を抜けて、速度を落とさず飛び降りてしまう。慌てる者はいない。念のため駆け寄ったレイチが下を確認すると、灰色の雲の上でエリテンシアが竜の翼を広げているところだった。竜体化が完了するなり、即座に上昇。割れた窓の向こうに顔を出したのは、深緑色をした細身の竜。こちらを一瞥したかと思えば、速度を落とさず上へと登って消える。彼女は彼女の戦い方に適した場所へ移動したのだ。周囲を広く見渡せて、かつ何かあれば狙撃可能な位置へ。


 前方に踊り出た明黄色の竜が、短い尾を振り空を進む。指令により竜体化したスーニヤだ。ハダルは四つ足の下半身に人型の上半身を持ち、竜の中ではやや珍しい形状をしている。アストラノーツ社所属の五体中もっとも接近戦での防御に長け、多少の攻撃は物ともしない。後はアミスが出るだけだが。レイチは竜の共通能力である通信を使い、仲間達に言葉を送る。

『みんなー頑張って。おじさんもう疲れたから働けなーい』

 レイチの場合、白き一角竜アルコルへの竜体化を滅多にしない。今も端末部分を常時走らせてはいるのだが、やる気のない物言いをしたがるのが悪い癖である。

『後で一発ぶん殴っていいですかね』

 相変わらず抑揚の少ない声で、ハダルと化したスーニヤが言う。

『ハロルドなら、どうぞお好きに。僕痛くないし……ハロルドだよね?』

『あなたの事だと思うわ。それよりまずいわよ、この状況。怖くて頭おかしくなりそう』

『上手く行ったら数量限定月末デザート奢ってあげてもいいよ。って隊長が言ってる。今月はチョコパフェなんですけど』

 レイチはにやりと笑い、疲れの色が濃い動きで座り込む。やりたい放題とも言うべき三人のやりとりは、怒鳴り声によって終了させられた。

『おいおっさん! 皆が大変な時にふざけてる場合か!』

 最後に艦を離れたのは、他より小柄な深紅の竜。シリウスへと竜体化したアミスだ。両手が籠手の形をしており、先端の爪は短剣に似ている。シリウスは更に加速し、艦に合わせて悠々と進むハダルと別れる。竜との契約前から酒にめっぽう弱かったとは言え、いい加減回復しているらしい。声にも力強さが戻っている。自分だけ怒られて納得が行かないレイチは、大人気なく反撃を開始した。

『アミスはねえ、酒強い人に対抗心燃やさない、六割以上勝てる勝負しかするもんじゃないの。エリテンシアも酔っ払った勢いで煽らない、大人気ないんだよ全く』

『『そんな事してない』』

 二人の言葉は見事に重なった。

『僕は思ってたんだよね。あーあ、そこら辺でやめときゃいいのになって』

『『じゃあ止めろ(て)よ!』』


 そうこうしている内に、アミスの肉眼でもミラの背が大きくなってくる。仲間の接近に気づいていないのか、呼びかけても何の反応もない。目の前の敵に夢中のようだ。突然暴走したと聞いたが、いまだに頭が真っ白になったままなら厄介だ。カニスマヨルはカニスマヨルで、動こうとせず待ち構えているように見える。妙だと、アミスは思った。カニスマヨルが嫌な性格をしているのは、前回思い知らされたところだ。何か思惑があるのではないか。

 とにかく、これ以上ハロルドを近づける訳には行かない。アプローチを変えてみる。シリウスは、体が小さめの分小回りが効く。アミスは更に加速して大きく旋回、両手を前で構えながら横腹へ体当たりをした。すると竜体ミラの身体はぐらつき、速度が大幅に落ちる。無事に進路を反らすのに成功すると共に、ハロルドからまともな返事がある。竜の咆哮ではなく、人間の言葉だった。

『何故止める!』

 いまだ激情にまみれてはいるが、対話可能な領域にある声だ。力の暴走はある程度収まったのだろうか。アミスの怒りは全く収まらないのだが。もう一度カニスマヨルの元へ向かおうとするので、阻止するため逆方向へ翼を広げた。ついでに両の大きな爪を突き立てる。刺さった部分が痛かろうが、アミスの知った事ではなかった。竜の回復能力は高い。





『何故止める!』

 ハロルドは怒りに任せて吼えた。妹の手がかりをようやく見つけた。なのに深紅の竜が突進してきて、脇腹に大きな爪を刺したのだ。何度か振り回してみるが、齧りついたまま離れない。自分よりも小さい身体のくせして、意地でも妨害するつもりらしい。深紅の竜からアミスの声がする事に、何故だか無性に腹が立つ。昨日会ったばかりの人間を、自らの危険を侵してまで助けようとする理由はないはずだ。しかも世話になった人々に迷惑をかけて、本人の勝手で窮地に陥っている者を。アミスはそれを知っていてなお、追ってきた。ハロルドはアミスを振り落とす作業を一旦諦め、赤銅色の竜へと視線を向ける。

『お前、下層の村を襲い、俺の妹を攫った奴だな! 俺は覚えてるぞ! 彼女をどこへやった! 殺したのか、まだ無事なのか!』

 赤銅色の竜までの距離は、あと少し。人間の感覚で言うと数十歩先と言ったところだ。獰猛な獣の気配はどこへ言ったのか、今は静かにこちらの様子を窺っているのみである。

『何とか言えよ! 契約者なら喋れない訳じゃないだろ!』

『やめろ、お前が敵う相手じゃない! 手間をかけさせるな、雑魚が!』

『俺に構うな。このまま囮にでもしろ』

『そんな適当な事ができるか。今のお前など囮にすら、』


 アミスの言葉は途中で途切れた。しっかり捕まえていたアミスの爪は、ぽっかりと空いた二つの穴を残して消えてしまった。残されたのは身体を千切られるような痛みと、傷口内へ入り込む乾いた風。ふわりと散る、数枚の。深紅の鱗、群青の鱗。青空はそれに飽き足らず、飛べなくなった群青の竜を四方八方から叩く。何も聞こえず、凍えるほどに寒い。ハロルドは乱れる思考と視界の中で、赤を必死に探した。状況。どこへ。



 足元に数秒だけ見えた大陽が、やけに眩しかった。追ってくる一点の赤は、シリウスか、カニスマヨルか。手を伸ばしても今は届かない星の輝き。翼が動かないまま、分厚い雲を突き破る。赤い大地に落ちて行く。


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