種族が違うから味の感じ方も違うのかもしれないが、病院食を薄くてケチだと表現していたからハロルドの味覚とかけ離れている訳ではいないだろう。人間が食べる肉の中で、かなり評価できる味だと教えておく。パン、スープの順にもう一度味わってから、最後に肉の欠片を咀嚼する。ミラは確かに今食べたものが一番美味い、と伝えてきた。その通りだ。

「どう? ここの食事は。合うかな」

 気づけば無言で顎を動かすばかりだった。突然話しかけてきたレイチは、ハロルドの方を見ずに目を伏せていた。

「美味しいです」

「そっか」

 レイチはパンを好みの大きさに千切り、口に入れるでもなく手の中で転がしている。ハロルドからは白眼が黒くなっているように見えた。契約者が力を使う時に白眼が黒くなると聞いているものの、彼の力が何かは分かっていない。レイチはパンを持っていない方の手を軽く上げ、こちらに掌を見せる。

「ああ、気にしないで。君に危害を加える目的でやってる事じゃない。僕の竜が偵察終わったから、報告情報を見てたんだ」

「そんな事ができるんですか?」

「アルコルは殴り合いにはめっぽう弱いけど、違う能力が高いんだよ。竜は強い、確かにね。その強さにも色々種類があるって事だ」

 行儀の悪い遊びに飽きたレイチは、パンを押し込みスープで流すのだった。

「君の妹を攫った奴、赤銅色の竜だっけ?」

 歓迎会で何故ここに来たかの話題になり、彼らには妹の事を少しは話した記憶がある。今その話題を出す意図が不明だ。暫しの沈黙の後、ハロルドは静かに答える。

「そうです」

「大きさは? デカかった?」

「かなり大きかったと思います。怖かったし、俺が子どもだからそう見えたのかもしれない」

 レイチの白眼は未だに黒い。何をしているのかハロルドには知る由もないが、まだ竜とやり取りをしている。エリテンシアの穏やかな笑みに懸念の色が滲み出てきた辺り、いつもより作業時間が長いのだろう。

「レイチさんも、家族と離ればなれになってるんですよね」

 確か彼は初対面で、嫁に逃げられたと言っていた。今しがた口に入れた肉の欠片が、喉につかえるような気持ちがする。見た目から推定する彼の歳からして、子どもがいるならまだ小さいだろうに。

「いやーそれ言ったら、ここの皆大体そうだし」

「お子さんとかもいるんですか?」

「知らね」

 笑っていたはずのレイチは突然、冷めた言葉を虚空に放り投げる。その時エリテンシアの瞳が落ち着きなく揺れたのを、ハロルドは見逃さなかった。二人ともここに来て長いらしいから、エリテンシアはレイチの事情を知っているのだろう。

 ハロルドは父親の顔も声も知らない。双子の兄妹は父親に置いていかれ、田舎で母一人に育てられた。ハロルドとしては、レイチの言動に関して複雑な気分を抱くのも致し方ない。だが、とハロルドは考える。本当にどうでもいいと思っているなら、結婚指輪などとっくの昔に外しているはずだ。石のついていない、銀色で簡素な細工の施された、庶民にとってはごく普通の指輪。思えば母も似たような指輪を、死ぬまで片時も離さなかった。そういうものなのだろうか。あの時そういうものだろうと思ったから、彼女の指輪は墓に置いて行くしかなかった。

「僕の話はいいんだよ。真面目に聞いてくれ。そうじゃなくて、その赤銅色の竜って奴さあ」

 言葉の途中でレイチは突然、右手でハロルドの手を、左手でエリテンシアの手を上から掴んだ。何をと言おうと口を開いた直後、視界に青空の映像が流れ込んで来る。今まで見ていた光景を探して首を回すが、どこを向いても空ばかりだ。始めての体験にハロルドの脳は混乱するのだった。竜の能力というやつは全く不可解だ。

 映像送りを一旦中断したレイチの顔は、固く青ざめていた。エリテンシアはハロルドと違い慣れたもので、その内容を素早く把握し息を飲んでいる。

「嘘でしょ……」



 けたたましい音が響く。



 古代人の作った飛空艦の艦橋には、専用の自動人形が接続されるものと古代から決まっている。船が小さければ一人、大きければ二人。アステラス号も例外ではなく、中央の椅子に座るは白い髪の少年達だった。多くの線に繋がれた二人は艦の頭脳であり、配下となる自動人形と機械達の総司令塔。すなわち、アステラス号そのものであった。艦内全ての自動人形の目を介し隅々まで見守り、音や通信を使い分けて乗る者それぞれに状況提示をするのだ。

 特定のけたたましい音、それは全ての艦員へ非常事態を告げる合図だった。自動人形を含む全ての生命体が慌ただしく動き出し、艦橋内もにわかに騒がしくなってくる。色々な制服、それぞれの専門用語、焦った声、指示。光る図形が並ぶ机に素早く指を打ちつける者達、重なる大小の足音、乱雑に紙か何かを捲る音。何もなかったはずの艦橋内空中に、大小様々な画面が一斉に乱立する。

「アルコルからの記録映像、出します」

 一番大きな画面に映されたのは、赤銅色をした人型の何かだ。人間の五、六倍は大きい。

 鋼鉄の鎧にも似た外殻は大陽を受け煌めき、紫の光塵を纏う翼は風を含んで大きく広がる。彼は立派な角を振り上げると、長い尾をひとつしならせた。


 竜だ。全ての共通特徴が一致する。アステラス号を睥睨する獣の面に、画面を見つめる誰もが息を呑んだ。赤銅色の竜は悠々と、しかし確実に軌道を合わせている。何度ずらしても執拗に追って来ると、操舵手が上擦った声で言う。双方がこのまま進めば、鉢合わせになるだろう。

「応答なし。相変わらず黙りか」

「女王書庫に接続、登録番号は……」

「カ、カニスマヨルです!」

「竜喰らいの竜カニスマヨル……今度は何の用だ?」

 呟いた艦員の脳裏には、まだ焼きついていた。社の所属竜の一体が、生きながらカニスマヨルに喰われる凄惨な光景が。アステラス号の呼びかけに一切答えないため赤銅色の竜の狙いは謎だが、社外の竜にあまり近づかれるのは好ましくない。害意を持っている可能性が高いならなおの事だ。生半可な兵力では竜に到底敵わない。竜には竜をぶつけなければ、自社の現状武力では勝算がないに等しい。アステラス号の武装と機能の全貌は未知であり、未だ全てが解明されていない。もっとも、現在飛んでいる飛空艦の多くはそういうものなのだが。

 髪の長い方の少年型自動人形が、無表情に近い顔を動かし口を開いた。自動人形は大抵、何が起こっても表情が薄いものだ。この非常事態にあっても例外ではない。

「アルコルがまた嫌なものを見つけてきたね、A-2」

「嫌なものを見つけるのがアルコルの仕事だからね、A-1」

「艦長を呼ぼうか」

「そうだね。念のためね」

「呼ばなくても、すぐ来るだろうけどね」



 アルコルに視界を乗っ取られているハロルドは、正面へ視線を集中させる。そこは灰色の雲の上、青空しか見えない。だがそこに確かに何かがいるのだと、アルコルが標をつけてくれた。しかし標の方がはるかに大きく、肝心の対象が小さ過ぎて見えない。ハロルドの意図を理解したアルコルが、視界を徐々に遠くへ飛ばしていく。

 隅に追いやられ出る幕のないミラが、ハロルドは自分のだなどとぶつぶつ文句を垂れているのに気づいた。意外と可愛いところもあるものだと思うが、今は構ってやる余裕がない。アルコルの力で対象の細部が分かるまで拡大できる。赤い人型の何者かが、堂々たる姿で宙に浮いている。



 それは。赤銅色の。



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