「ごめん、訂正する。頑張ったな。凄いと思う」

「私の擬態は上手か?」

「似合うよ」

「よろしい」

 ミラは得意気な顔で目を閉じ、ひとつ軽快に頷く。戦闘以外の情報に興味を持ったり、人間の群れに混ざろうとしたりする彼女は、やや特殊な存在らしい。昨晩の歓迎会の中で、レイチが教えてくれた事を思い出す。

 竜は基本的に表へ出たがる存在ではない。現に他の四人の契約竜は、一度もこちら側に出て来なかった。それぞれの契約者に重なっている気配はすれども、人間に話しかけるとか、竜同士で会話する事もない。単に竜達は人間に聞こえない声で話していたのかもしれないし、それぞれの契約者とは話をしていたかもしれない。仲間の白眼が黒くなる場面も度々あった。自分の竜となら心で会話できるのを、ハロルドは体験している。


 考えに耽っていると突然、扉が軽快に叩かれる。誰か来たようだ。ハロルドはミラに視線を送ると、己の中へ入るよう右腕を振り指示する。昨晩のように、我が物顔で好き勝手されては面倒だと考えたからだ。ミラはまだ遊び足りないようで、これ見よがしに不満げな表情を浮かべた。

 しかしそれで容易に怯むハロルドではない。二度目の指示で渋々従うのだが、なんと彼女は消える間際、こちらに向かって舌を出したのだった。ハロルドの表情筋は笑ったような形でひきつる。覚えたとすれば昨晩しかないし、教えたとすればエリテンシアかレイチだ。

 アミスは影響を与える事はあってもわざわざ教えないだろうし、舌を出す姿はいまいち想像できない。スーニヤは真面目そうだし、悪ふざけは好まないように見えた。



 ともかく、ノックしてからなかなか出てこないのは不自然だろう。気を取り直さなければならない。扉を盾にしながら開けると、エリテンシアとレイチが並んで立っているのが見えた。

「あなたがよければでいいんだけど、一緒に朝ご飯食べましょうよ」

 二人は昨日と同じく制服を着ていた。笑顔を浮かべるエリテンシアの隣で、レイチが手を振っている。二人の表情を見て、いつもの癖で警戒心丸出しの行動をしたのを反省した。

 全く素性の分からない人間が尋ねて来る事はないし、師匠が追いつく可能性について心配しなくてもいいのだ。この飛空艦の中において、ハロルドの安全は保証されている。

「今日の空は快晴絶好調、飛空艦の高度も高い。食堂で竜帯が見られるかもだぞ」

「これから竜を扱って行くなら、見ておいた方がいいと思う。あれがはっきり見える気候状態って、実はなかなかないし」

 竜帯という単語は、ハロルドにとって初めて聞くものだった。危険なものでないなら是非見たい。顔だけを出して廊下の左右を確認する。アミスとスーニヤはいないようだ。

「スーニヤは、ランニングの最中ね。アミスは……実はあの子お酒弱いのよ。今頃ベッドの中で唸ってるかもしれないわ、かわいそうに」

「そこまで飲ませたのは何テンシアさんだっけ」

「反省してるってば」

「毎回言うよねえ、それ」

 二人が和やかに会話をしている最中、ハロルドは何かを忘れている気がしていた。挨拶だ。挨拶をされたら、こちらも挨拶を返さなければならない。慌てて背筋を伸ばすと、思いの外勢いよく声が出た。

「あっ、おはようございます」

 レイチは口の片端を持ち上げる。

「まだ眠いか。昨日はエリィのせいで散々だったもんな」

「もうやめてよ」

 エリテンシアは大袈裟に、頭痛をこらえる動作をした。あまり細かく思い出したくないし、何より恥ずかしいのだろう。

「でも俺、まだお金が……」

「君の分は、エリテンシア様が奢ってくれます」

「食堂は基本三食なら無料なのよ。いつまでもふざけてないで、さっさと歩いて歩いて」

 エリテンシアはレイチの背中を押したり軽く叩いたり、小さな文句を言われながらも強引に前を歩かせる。医務室といい部屋といい、どこへ行っても賑やかだ。遠くなって行く二人の背中をしばらく眺めていたハロルドだったが、体の中にいるミラに一声かけられ我に返る。そして急ぎ、追いかけるのだった。



 レイチ達について、食堂に足を踏み入れる。壁一面を覆うほどの大きな窓があり、部屋自体も結構広い。憩いの場という事もあり、天井は高めだ。多くの人が好きなようにすごしている。

 人型でない自動人形や、ジーナのように普通の人間ではなさそうな人物もいる。このような光景は初めてだ。ハロルドが満足するまでの少しの間、二人は待っていてくれた。


 それが終わると指示されるがまま、朝御飯の列に並ぶ。何気なく厨房に視線を向けたハロルドは、小さく悲鳴を上げた。料理長らしき人物が火だるまになっているように見えたからだ。だが当の人物は熱がっている訳でもなく平然と仕事をしており、火が別の物や人に燃え移る様子もない。並ぶ人々も動揺する事なく、笑顔で言葉を交わすなどしている。炎が邪魔して目や鼻などの詳細が見えないが、体格からして人間の男性だと思われる。ハロルドの視覚能力がおかしくなってしまったのだろうか。

「あの……クリスタルさん」

「レイチでいいよ」

「レイチさん。人が燃えてる」

「それはそうだ。彼は炎蜥蜴のサンデル。燃えているように見えるが、怒らせなければ熱くない。もちろん蜥蜴でもない。周囲に勝手につけられた二つ名ってやつだよ」

 続いて口を開いたのはエリテンシアだ。

「ジーナちゃんなら、ハロルドは知ってるでしょう。あの子と同じく、血肉が幻想に染まった正ならざる獣……知っている通り、通称『幻獣』ってやつ。医学的には、竜瘴病って言う病気らしいんだけど」

「彼はどうしてここに?」

「それは本人以外話す権利のない事ね。社長にも言われてるでしょうけど、ここには色々な過去を持つ人がいるから」

 ハロルドの以前の仕事は、剣の師と共に幻獣を追い詰めるものだった。人と幻獣が互いに馴染もうとしている姿を見るのは珍しい。居心地が悪くないと言えば嘘になるが、これ以上逃げるのは自分に嘘をついている気がした。空に留まれるまたとない機会を無駄にしたくもない。恐らくここは流された者の終着点、世界の果てに近い船だ。踏ん張れるだけ踏ん張ってみよう。そう心に決める。


 やはり厨房は忙しいらしく、ハロルドの近づいたのと入れ違いでサンデルは遠くへ行ってしまった。彼が料理長なら、一度は挨拶をしておくべきかと思ったのだが。横顔は、人の形をした炎の幻が揺らいでいるようだった。不思議な現象があるものだ。代わりに顔を出した別の人物と挨拶を交わす。そばかすのある陽気そうな女性だ。後ろにいるレイチとエリテンシアを認め、歯を見せて笑う。

「彼が新しい人?」

「そうそう」

「そうなの」

「食堂での最初の食事がこれって、あんた幸運だね。いい肉が手に入ったんだ。上層部の一般市民様でもなかなか食えねーやつ。でもあたしらは食っちゃう〜。クルースコ空族団を雲の下に未来永劫叩き落としたのが確定した記念日だから〜」

 上機嫌な彼女は歌うように、軽快に盆を寄越す。丸いパンが二つ、炒めた卵、四角い肉らしきもの、栄養補完丸数粒が入ったスープが乗っている。内容は皆同じだ。固形肉は、この国ではかなりいい食材に当たる。後がつかえてしまうため、気になる事を質問する暇もない。あれよという間にハロルドは流され、二人によって窓のそばの席へ連れて行かれるのだった。

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