第四節 竜の契約者

 寒い、とても寒い夢を見ていた気がする。音のない闇の中を、たった一人さ迷うかのような。渇ききった無限の牢。硝子に包まれた鋼鉄の森。遠く高く一瞬唸る、微かな揺らぎの気配。

凍てついた黒の中でぽつりと光る、焦がれるほどに美しい青。





 ハロルドが目を覚ますと、二つの丸い黄金が視界一杯に妖しく輝いていた。彼の緑色の瞳は未だ寝惚け眼で、焦点を合わせるのに暫く時間がかかる。

 はっきりと見えるようになると、続いて脳の覚醒も追いついてきた。群青色の睫毛に彩られた竜の瞳が、瞬きも表情もなくこちらを見つめているのだと気がつく。つまりミラが彼の上に乗って、ひたすら顔を覗き込んでいる訳だ。顔が近い。ハロルドの喉から、細い妙な音が絞り出される。しまったと思う一秒前には、腕で思い切り払い除けようとしてしまっていた。だがハロルドの心配は杞憂に終わり、ミラは顔色ひとつ変えず腕を掴んで阻止する。防がれたら防がれたで癪だったので、彼は大人気なく対抗した。二人で押したり、押し返されたりを繰り返す。双方敵意がない謎の攻防は、そのまま数秒間続いた。


 以前にもよく、師に向かってこんな事をやっていたのを思い出す。ただ向かって行くだけではどうしても勝てないので、寝起きを襲う悪趣味に興じていた時があったのだ。そこまでしても一度と勝てた試しがないから、趣味のようにやる羽目になったとも言う。

 固く閉じられたハロルドの唇がずれ、郷愁とも悔恨ともつかない息が漏れた。ハロルドはそれを境にゆっくりと力を緩め、遊びの終わりを察した彼女は彼から離れてベッドの縁に腰かけた。ミラという竜は、華奢な少女の見かけによらず力が強い。

「昨日の夜、急にベッドに倒れて動かなくなったから死ぬのかと思ったぞ。息をしているかどうか、こうしてずっと見張っていた」

 思ってもみない言葉に、ハロルドは拍子抜けしてしまう。どうりで悪夢を見る訳だ。ミラが上に乗っている事が原因で、重さで息苦しいのが問題だった。しかも体温を殆ど感じないので、死体が乗っているようで気分が悪い。

「いや、死じゃない。人間一日一回は、目を閉じて静かにすごす時間を何時間か持たないと、健康に生きていけないんだよ」

「再起動のようなものか?」

「さい……?」

「竜にも一週間に一回、そういう時間を必要とする」

「じゃあそれと同じだ。多分」

 ハロルドは倦怠感の残る身体を起こし、小さな欠伸をひとつ。室内の扉を開け小さな洗面台へ向かうと、顔を洗ってコップに水を注ぐ。取手のない透明な容器に、透明な液体がたっぷりと注がれる。口をすすいでから一気に飲み干すと、心身まで洗われるようだ。本当は節約しなければならないと言われているが、この日ばかりは仕方がない。頭蓋を圧迫されるような鈍い痛みを思い出す。やはり昨晩は飲み過ぎたようだ。成人してから何度か酒を口にした体験はあったものの、これほど飲んだのは初めてだった。知らない内に浮かれてしまったのかもしれない。ここなら、ずっと自分を受け入れてくれるのではないかと。



 昨日は突然歓迎会をするとかで、有無を言わさず主役にされてしまった。ハロルドは注目される事や人前で喋る事が苦手だったので、そんな大業なものは遠慮したい旨をアミスに伝えた。だが、意地の悪い笑みを浮かべるのみで聞く耳を持たない。最終的に、歓迎会をすると言い出したのは僕ではない、僕はまだお前を認めた訳じゃない、そんなに嫌なら退職届けを出して来ればいいなどと言う始末だ。ハロルドを歓迎しているのか追い出したいのか、はっきりした判断がつかない。恐らく彼の性根はねじ曲がっているのだ。数時間程度すごしただけで分かる。飛空艦の女王級だ。間違いない。

 ハロルドは諦めた。アミスと軽い掃除を始めてから数十分後、知らない人間が三人も自室に入って来た。ノックもないので何事かと硬直してしまったハロルドである。彼らが順に名乗るのを聞いて、周囲の部屋のネームプレートと一致すると気がつく。


 なし崩し的に始まった謎の会の詳細を思い出すと、疲れが舞い戻って来るかのようだ。ミラが突然乱入してきたり、緊張で滑らかに喋れなかったり。全員これから共に仕事をする仲間だと言っていたが、自分が本当に中でやって行けるか不安が増す。ハロルド自身を含めると、隊の仲間は五人になる。想像していた人数より少ないが、竜の契約者のみの構成なら適切だそうだ。無事契約を果たしてなお健康な契約者自体、今も昔も希少らしい。それを何人も囲っていられる会社組織の手腕が謎だが、今はまだ考えない事とする。



 まずは隊長、アミス・ド・ティコ=ブリューネク。契約竜は炎を有するシリウス。ハロルドが自分と同じくらいの歳ではと聞けば、彼もそうだと言う。金髪碧眼を持ち、端正な顔立ちで礼儀も正しいが、時々意地が悪い言い方をする。そして五人の中で最も背が低い。名前からして高貴な身分だろうに、ここへ流れ着いたという経緯。複雑な事情がありそうだ。


 レイチ・マクソン・クリスタル。契約竜は雷を有するアルコル。彼は副隊長で、アミスを補佐する役割にあるらしい。五人の中で一番年長者だ。半端に伸びた灰色の髪を一本に縛っていた。あの若さで白髪混じりとは考えづらいから、灰色に染めているのだろうか。食糧庫から頂いてきたと酒容器を揺らす、その手の薬指に銀色の指輪が光る。嫁に逃げられたと軟弱に笑う様は、頼りない印象だ。


 エリテンシア・アラバスタ。契約竜は風を有するアルタイル。ハロルド達より少し歳上で、レイチより何歳か若い見た目だ。長い黒髪と優しげな瞳が印象的な女性だ。そんな第一印象を吹っ飛ばすほどの酒飲みで、ひたすら絡まれる事となったのだが。彼女に飲まされた酒のせいでよく覚えていないが、ミラにまで絡んでいた気がする。


 スーニヤ・コーウェン。契約竜は土を有するハダル。武器の代わりに大きな盾を持ち、防御が得意だという。眼鏡をかけた赤毛のこの人物は、中性的な雰囲気を持っている。年齢は同い年くらいだろう。スーニヤも食糧庫に行っていたらしく、垢抜けた菓子を数種持っていた。

ハロルドを見て、初めましてと抑揚の少ない声で言う。飲み物はジュースしか飲まずあまり喋る事もなかった。物静かな性質なのかもしれない。



「ところでお前の目は節穴なのか?」

 考えに耽っていると、ミラの声が割り込んでくる。どこでそんな言葉を覚えたのか。アミスの真似をしているなら、やめさせなければならない。

「何なんだよ」

「私をよく見ろ。服を着た」

「……よかったな」

「よかったなとは何だ。真面目に感想を言え。外に出ていたければ人間の群れに溶け込む必要があり、そのために服を着ろとお前が言った。だから船にいる人間を沢山見て、参考にして、外皮を変化させ精巧に作った。私はとても苦労した」

 白のブラウスに赤いリボン、黒いキュロットスカートに同じ色のブーツ。試しに腕の辺りを触ってみると、細かい繊維のような凹凸を感じる。どうやったか分からないが、本物の服によく似ていた。ミラが真剣な顔をしてハロルドの様子を窺うので、可笑しい気持ちを押さえられなくなる。思わず軽く吹き出してしまった。

「笑うな! 昨日の夜、個体名エリテンシアという人間にも、最高に可愛いと言われた。これが変な格好な訳がないんだ」

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