4
「飛空艦に乗ったのは初めてで」
返事を聞くなり彼は一瞬言葉を詰まらせ、聞いてはいたが本当なのかと呟く。ハロルドはアミスの問いかけを聞いていなかった。その時ハロルドはなにげなく、足元に目を向けていた。害虫のような白い虫が、数匹連れ立って歩いているのを見つけたのだ。
ストレッチャーで病室へ運ばれている途中で、天井を這っていたのと同じだ。片足を上げてつつこうとするハロルドだったが、前方から飛んできたアミスの呆れ声で阻まれる。
「おい、それは潰すな。自動人形だ」
どう見ても虫に見えるが。ハロルドの靴底は結局降り下ろされず、片足だけ宙に浮いた状態で固まった。アミスの方を向いた隙に、虫に似た者共は散り散りに逃げて行く。
「自動人形? あれが?」
彼らとあの虫が同じ存在とはにわかに信じがたいし、そんな事は初めて聞いた。
「奴らは、船の中を勝手に修復してくれる。あまり手を出すとバランスが崩れるぞ。あちこち錆びついたりして、面倒な事になる」
ハロルドは納得したような納得できないような、複雑な心境になっていた。間抜け面をしている自覚がある。
「街に少し住んでいた事があるそうだが、そこで見た事はないのか?」
潰していたとは言えない。
「まさか、潰していたのか」
何故分かった。
「お前結構顔に出る」
またもや鼻で笑われた。だからと言っていちいち怒ってはいられない。乗艦早々波風を立てて追い出されては、ここまで頑張った意味がなかった。今に見ていろという言葉を、一度は飲み込んだ。しかし彼はまだ若く、言われっぱなしではどうしても気が済まなかった。
「どういう構造なんだろう。あんなに小さいのに。……俺に言う事を聞いて欲しかったら、もう少し優しくしてくれよ。体が小さいと心も狭いのか?」
「さあな、古代人の作った物だ。説明されたところで、僕らにはどうせ理解できないさ。……男に優しくする趣味はないのでね、特に初対面で他人の外見を揶揄するような奴には」
「俺の事を阿呆面って言ったのは?」
「事実では?」
「酷い」
「言っておくが最初から社長自ら面接なんて、そうそうない事だぞ。一発合格だって? 君は幸運だ。後で酷い不運に見舞われないよう、毎日祈っておいてやる」
「今見舞われてる気がする」
二人は話をしながら、いつの間にか辿り着いていたエレベーターに乗り込む。アミスはハロルドが入ったのを確認してから、下の方にあるボタンを押す。面倒だの嫌だのと言いながら、律儀に説明したり、気遣いをみせたりする。皮肉が多いが、根は真面目なのかもしれない。
ボタンには古代文字と思われる模様が刻んであり、すぐ下にあるのは後から貼りつけられた現代語の振り仮名だ。無言で機械の振動に揺られている内に、今までのアミスの言動が思い返される。意を決して口を開きかけ、しかしアミスが先に言葉を発する。こちらに背中を向けたまま、突然人が変わったかのように。
「煩い黙れ! いい加減にしろ! こういう時ばかりべらべら話しかけて来やがって!」
外見に似合わないほど、荒々しいものだった。アミスはすぐに我に返ると短く謝罪し、それからお前に言ったのではないと訂正する。ハロルドは、そうかと言うしかない。
「君の竜と話してたのか?」
彼は短い溜め息をついて、返事の代わりとした。否定をしないという事はそうなのだろうか。
「ところでお前、下層人だろう」
次に何を言うかと思えば、全く違う話題を振ってきた。声質からして落ち着いたようだ。
これ以上の深い話を、蒸し返してまで聞けそうな雰囲気ではなかった。
「そうだよ」
隠す意味もないし、どうせ知られている事だ。ハロルドは正直に答えた。
「なんだって死の国の、あんなとんでもない場所にいたんだ?」
「抜け道を使って、地上に直接。そこからは、ひたすら歩いてた」
「無謀過ぎる。死ぬつもりだったのか?」
「そうかもしれない。自分でも馬鹿だと思うよ」
アミスは顔だけ回してハロルドをちらと見るが、しかしすぐに前を向いてしまった。変わらない機械音が一定のリズムで、とんとんと繰り返される。聞いている内にハロルドにはそれが、船の血流音のように思えてきたのだった。
辿り着いた場所は船底近くの、おまけに尻の方だった。エレベーターから出て少し行ったところ、廊下の突き当たりに向かい合わせに扉が六つ。
「期待の大型新人君が来たというのに、全員出かけているのか。船旅は暇だからな」
手前から順番に扉の状態を確認し、皮肉混じりにアミスは呟く。暇、という単語をやけに強調している。どうやら並んでいる部屋の内四つは現在使われており、どれもちょうど留守らしい。取りつけられたネームプレートの中には、アミスの名前もあった。
「お前の部屋だ」
アミスの指が示したのは、同じような扉が六つほど並んでいる内の、一番奥の部屋だった。ハロルドは扉の前まで来ると、上から下へと視線を動かし観察する。ネームプレートには、ハロルドの名が刻まれている。廊下の隅に何かが蠢いていると思えば、虫型の自動人形集団だった。壁を噛っているように見えるが、本当に放っておいて大丈夫なのだろうか。ハロルドは顔をしかめた。飛空戦艦乗りになるには、まずこの小さな虫型自動人形と友達になる必要がある。
「とにかく、先に見苦しい格好を整えろ。丈が合ってない」
目の前の扉が横に開く音で、ハロルドは顔を上げる。アミスに強引に背中を押され、有無を言わさず自室へ押し込まれてしまった。振り返る間もなく、全く同じ調子で扉が閉まった。
生活感のない、まっさらな部屋だ。誰も使っていなかったのか、掃除の方は念入りにはされていないようだ。後で自主的にやるべきだろう。ひとつある扉を開けると、洗面台と小さなシャワー室だった。水は出るのだろうか。船底に近いため、当然窓はひとつもなかった。
パイプからなる机は床に固定されているが、椅子の方は車輪を持っていて自由の身だ。同じくパイプのベッドにはくたくたのマットだけが敷かれている。上に置かれているのは綺麗に畳まれた服だ。広げてみると、アミスと同じ服という事が分かる。壁に備えつけられた大きな扉を開けてみると、クローゼットになっていた。中には数枚の毛布が入っており、薄いものと厚いものがある。別段妙なところはない。扉に手をかけたままハロルドは、一人になった幸運を利用して情報を整理する事にした。
まずハロルドは、地上へは出るなという師の言葉を無視し、何度目か知れない喧嘩をする。翌日隙を見つけて、彼の剣を一本奪い逃げ出した。無力な子どもだった自分を拾い、今まで育ててくれた恩を感じていない訳ではなかった。しかし故郷の仇である赤銅色の竜を、攫われた双子の妹を追いたいという気持ちは押さえ切れなくなっていた。竜は普段地上よりも上の、空に住む存在だと聞いた事がある。やっと地上にでたものの、船も仲間も持たない者にとって過酷な環境だった。歩く内に水も食物もなくなり、満身創痍のところを死鬼達に襲われてしまう。その時だった。群青色の美しい竜が舞い降りたのは。
その後の記憶はない。次に目が覚めた時、ハロルドはアステラス号という飛空艦の中にいた。
そこにいた医者のセドリックによると、意識不明状態で拾われてから十日ほどは経っていたらしい。この時点で竜がどうなったかは不明だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます