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セドリックは部下達を引き連れ、赤い大地に降り立った。すぐに倒れている患者の容態を見る。脈は早く、息が粗い。おまけに酷い熱と肌の赤みがあった。意識が朦朧として、起きているのか寝ているのか分からない。ここまではよくある中度の脱水、衰弱状態だろう。
指で目蓋を抉じ開けた時、セドリックの冷静さが大きく揺さぶられた。ハロルドの白眼は、大量の闇を落としたように真っ黒だったそうだ。同じくして、傍らに立つ様子のおかしい少女に気づく。一糸纏わない姿で、酷く疲れたと虚ろに言う。アステラス号の中枢機人形が言っていた竜かもしれない、とセドリックは判断した。飛空艦そのものでもある二体の自動人形は、あの流星を追えと言った。竜の契約者が誕生したと。
辿り着いた地点に、裸の少女と死にかけた若い男。どちらが竜かは、誰が見ても一目瞭然だった。人間では有り得ない群青の尾と角、黄金の瞳を持ち、服を着ていない彼女がそうだ。
部下の一人が毛布を被せてやると、竜は突然煙のように掻き消える。後には霧と毛布だけが残された。気がかりではあったが、部下達に急を要する方の患者に集中する指示をした。彼を助けられる可能性が高い。本当に竜との契約が完了されており、身体能力が強化されているならば。ただしそれは、不死身の肉体を手に入れたという意味ではない。適切な処置をし続けなければ、死んでしまうだろう。それに契約者を放っておくと別の誰かに拾われたり、こちらの驚異となる恐れがある。セドリックは社長ダルクロッサに治療許可を求め、そして受理された。
「竜は流星の如く、彼の人は燃えて輝く」
ダルクロッサが紡いだのは、古い書物の一文らしい。ハロルドは竜の事を知っていたが、詳しい訳ではなかった。普通の人間達と同じ水準だ。神話にも近い御伽話で、遠い昔の逸話であり、自分など一生出会う事もないと思っていた存在だ。だから竜との契約が、それほど一大事だとは思っていなかった。
「多少の傷は素早く治癒できるし、契約した竜の権能も使役できる。君は強大な力を得たが、使いこなせるかは君次第。それも、竜に食われるまでの冒険物語だ」
妹を助けるまでは死ねないと、必死に伸ばした手だった。たとえ竜だろうが、この手を握ってくれさえすれば構わないと思った。乾いた死は消える事なく、一定の距離を保ってついて来ているだけだった。言うなれば猶予期間、といったところだろう。いつまであるかは分からないが、それまでに何とか赤銅色の竜と決着をつけたい。
「それが竜と契約した、という事ですか」
「そうだね。竜の権能は三つ。元素を操る力、外骨格や肉体を形成し修復する力、そして飛翔する力。覚えておくといい」
「詳しいんですね」
「私は珍しいものが好きだが、同時に勉強家でもあるんだ」
ダルクロッサは皮肉じみた口振りで肩を竦めた。
「そろそろ返事を聞かせて欲しい。私としては、ぜひ来て欲しいのだが。人手不足でね」
「分かりました。働かせてください」
今はそう言うしかないだろう。突然の社長面接は、これにてとりあえずの終わりを迎えた。ハロルドは紅茶の残りを一気に喉へと流し込んだ。
「決まりだ。アミスを呼んでくれ」
竜頭の紳士が高級な部屋にて軽快に指を鳴らす様は、なかなか絵になる光景だった。一歩引いて控えていた執事のライノが、背筋を整え無駄のない一礼をする。最初からそこにいた事を忘れてしまったほどの、見事な気配の消し様だった。ライノは茶器類を丁寧かつ素早く盆の上に回収した後、最初に出て来た場所、つまり本棚の隙間へと消えて行くのだった。
「アミス・ド・ティコ=ブリューネク、参りました」
数分後、丁寧なノックの後現れたのは、金髪碧眼の端正な顔立ちをした少年だった。いや。彼の顔を見てハロルドは考え直す。声は大人のもので、表情にも落ち着きがある。身長のあるハロルドと比べるとだいぶ背が低いが、歳はそう変わらないかもしれない。茶色を基調とした飛行服を着て、膝上まである長いブーツを履いている。襟や袖口についている毛皮が暖かそうだ。
聖国空軍の鉄飛蜥蜴乗りに似た服である。用途が同じならば基本形状は似通る。そして、船上会社が多少の私軍を持っているのも、金があるなら珍しくない。自衛に金の回せない船は、移動の都度外部に頼る訳だ。ハロルドが呆けている内に、いつの間にか社長は席を立っていた。挙動不審になりながらも、慌てて立ち上がる。ハロルドの準備ができたのを確認すると、ダルクロッサはアミスを示した。
「彼はアミス。私の兵の一人だよ。君と同じく竜の契約者だ」
アミスはハロルドの方へ体を向け、視線を会わせると柔らかい形の口を作る。
「始めまして。私はアミス・ド・ティコ=ブリューネク。アステラス号第一騎竜小隊隊長の任についています」
踵をしっかり揃え、落ち着いた様子で綺麗に空軍式敬礼をした。揺れる金毛と真っ直ぐな青い目。ハロルドのアミスに対する第一印象は優等生だった。次に頭の端を、何となく年上の女性にモテそうだという勝手な想像がする。相手がどう見える人間だろうと、初対面は緊張するものだ。こんなにも早く同じ境遇の者と出会えるとは。こちらも挨拶を返さなければならない。
「ハロルド・フォーサイス、です。よろしくお願いします」
握手を交わしながら、ハロルドは他に言う事がないか探す。結局手を離すまで、上手く言葉は出なかった。一瞬アミスの白目が黒くなったように見えた。
次いで眉間に小さな皺が寄るので、何か失敗したのではという不安が浮かぶ。とっさに浮かべた笑顔が、引き攣っていただろうか。受け答えが悪かっただろうか。しかし、過ぎてしまった事は仕方なかった。
「アミス。当初の予定通り、彼を部屋に。先輩として色々教えてやりなさい」
「分かりました」
「退室を許可する」
アミスは入室時と同じ敬礼をして扉を開け、一礼の後出て行く。ハロルドも慌てて後に続くのだった。
全く、こんな時に面倒なものを押しつけられてしまったものだ。アミス・ド・ティコ=ブリューネクは、確かにそう言った。しばらく行った所で突然立ち止まって、振り向くなりハロルドの目を睨み付けるような目で見て、はっきりとした声で言い放った。彼がわざわざ直接口にするほど不愉快に感じたらしいのが、少し腑に落ちなかった。ハロルドは反論の言葉が思いつかない。冷えた朝露の滴る刃のような青い瞳から、静かに視線を反らすしかなかった。
「何故僕が、君のような奴の面倒を見なければならないんだ。社長命令でなければ、断固拒否しているところだ」
こちらが何も言わないのを良い事に、更なる追い打ちをかけてきた。社長室での態度は、一体何だったのか。好青年を演じていたのか、でなければ幻でも見ていたのだろう。
天望が見えかけたハロルドの胸中は、今も船の周囲に渦巻いているだろう鉛色に染まってきた。これではやりづらい。アミスは顎を動かし着いて来るよう指示すると、ハロルドの先を歩き出した。
金の髪に包まれた頭が、低いところで歩みに合わせて揺れている。実際金毛というものは、人間の中で極めて珍しい色だ。だがハロルドの興味は目の前の人間の頭髪よりも、移動と同時に変わり行く景色と内部構造にあった。廊下の曲がり角で艦員数人とすれ違った時、物珍しそうにされる。彼らが一見普通の人間に見えたので、ハロルドは少し安心した。
「どうした。幼い子どもじゃあるまいし、きょろきょろと。どこの船も、内部構造は同じようなものだろう」
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