「お前さんの持ってた剣な。武器だからこっちで預かってる。カセイの奴が素材は竜の骨だってはしゃいでたな、対幻獣武器じゃあ一級品だ。無条件で返してもらえるかというと分からんが、とりあえず無事だぜ」

「分かりました」

「眠けりゃ寝てもいいぞ」

「いや、今はあまり」

「だよな。やっと起きられたばかりだしな。紅茶でも?」

「あ、はい」

「ジーナぁ、もう一人分頼む!」

 そう言った後でセドリックは屈み、ベッドの上半分を起こしてくれた。犬の欠伸のような猫の鳴き声のような音が飛んでくる。返事だろうか。ようやく室内がよく見えるようになったため、思わず見渡してしまう。ハロルドといったら田舎の小さな村産まれで、幼少期育った場所も同じ村だ。街に少しいた事もあるが、仕事に関係ない事柄はあまり知らない。正直なところ、彼は物珍しかったのだ。


 全体的に白っぽい部屋だ。向かい合わせのベッドは、ハロルドが使っている部屋の隅の分と目の前のものを入れると六台。ベッドとの間には通路がある。仕切りのカーテンは全て開けられていた。右手には部屋がひとつ。大きな透明板がついていて、恐らくあちら側からでもここが見える。中で作業している時にも病人の様子が分かるよう、そういう構造になっているのだろう。謎の機械が置かれた一台の机、座り心地の良さそうな黒い椅子。白い戸棚、色とりどりのラベルが貼られた瓶、様々な形をした器具。

 一体何に使うのか、ハロルドには理解の及ばない物ばかりだ。壁の角に一本、ラッパのような物が飛び出ているのが確認できた。ハロルドは指をさし、セドリックに尋ねる事にした。

「あれは何ですか?」

「放送機か。声を艦内全体に届ける装置だな。詳しい仕組みは俺も分からん。専門外だしな」

 どの飛空艦にもついているものなのだろうか。ここには多くの不思議がある。

「この部屋誰も寝てないだろ。病人がお前さん以外いないって事だ。軍人と医者が暇な時は世の中平和、ってな」

 ハロルドはもう一度、自分が運ばれてきた左方を見る。並んだベッドの奥の方に曲がり角があり、ちょっとした窪みを利用した部屋になっているらしい。扉はないが、壁のプレートに『給湯室』とある。どうやらジーナはそこにいる。

「じゃあ、青い竜は知っていますか? 俺と一緒にいたあの幻獣は、どこに行ったんですか?」

 セドリックは仄かに発行する丸い瞳を、数度ちかちかと瞬かせる。ただの光の明滅だが、何らかの感情を表しているように見えた。例えば、迷い。自分を助けたと言うからもしやと思っていたが、やはり彼は何かを知っているようだ。

「どうか教えてください。俺は俺自身と、彼女の現状が知りたい」

「分かった、説明しよう。まず、竜が幻獣の一種という表現は正しくないな。そもそも竜というのは、世界の果ての更にその向こうから来たるという伝説の通り、ただの生物という分類に入れられる存在じゃない。竜の肉体を構成する物質のうち外部に影響を与えるもの、まあ俗に竜瘴と呼ばれるが、その竜の体組織を地上の既存生物が何らかの形で体内に取り入れた事による突然変異体それが幻獣だ。だから竜は幻獣種の産みの親というか原因ではあるが同種では」

「いや、その辺の話はいいです」

 セドリックの気迫に飲まれていたハロルドは、偶然我に返った瞬間を逃さず慌てて遮った。

「しまった。またやっちまった」

 どこで止めていいものか分からなかったが、放っておくと永遠に続くに違いないという予感があったので、ハロルドは安堵した。

「こういう話は嫌いか」

「嫌いというか、疲れるというか」

 正直な言葉を返しても、気分を害したとかそれに近い類の反応はなかった。静かにただ一言、そうかと言って黙ってしまう。こういった反応をされるのは、慣れているのかもしれない。もっとも、黙ったのは一瞬だったのだが。

「いやーうっかり最初から説明した。お前さんの現状の話だったよな。よし。竜は今まで観測された限りの事例で、純血の人間としか契約を結んでいない。つまりハロルド君には十分な適正があった。竜にとっての契約とは、宿主となる人間に竜が自らの体組織を注ぎ血液を介して一体化する事を言う。やってる事は小動物の寄生に近い。だが時期が来ると宿主を養分にしてどこかへ飛び去る事を繰り返す変な奴らだ。血の負担に耐えられず内臓をやられて死んだり生き残っても若干の突然変異をしたり、または何らかの障害が残る人間も多いが、これは竜瘴に冒されると言うんだがそういう奴は竜も途中で諦めて帰っちまう……その話は今はいいか……とにかく無事何事もなく生き残ったようだな。おめでとう、俺も頑張ったかいが」

「いや、あの、もう大丈夫です」

「……すまん喋りすぎた」

 どうやら竜瘴関連がセドリックの研究分野らしかった。その話になると突然、彼の一方的さが加速すると学んだハロルドだった。呆れ顔を隠す事が出来ず、緩やかに溜め息をつく。疲れるのでやめてもらいたいと言ったはずだが、聞いていなかったのだろうか。何とか起爆スイッチを押さないで平和にすごせる方法を模索したい。

「外から人が来たのは久し振りだからって、ちょっとはしゃぎ過ぎたな」

 こんな強烈な船員達を纏めている艦長とは、一体どんな人間なのか。よほどの大物か、ろくな者でないだろう。もっとも大物というのは大抵、多かれ少なかれろくでもない側面を持っているものだが。ハロルドが失礼な思考を巡らせていた丁度その時、給湯室から彼女が戻ってきた。どうせならもう少し早めに戻って来て、セドリックの熱血解説を止めて欲しかったものだ。

「うちの社長はー、いっぱいいるみんなの面倒が見られるでかした男なのだ。安心していいよ。ちょいと妙ちくりんな格好してるけどね」

 両手に持った盆の上には三人分のマグカップ。漂ってきた香りがハロルドの鼻腔をくすぐり、優しい芳ばしさに気分が和らぐ。セドリックはジーナのペースに全く動じず、何も入れずに飲み始めた。せっかく出してもらったものだしと、ハロルドも紅茶に口をつける事にした。

 温かいものは、本当に久しぶりだ。良い香りと湯気の立ち上るカップを取ると、赤茶色のお湯が己の顔を映し出す。瞳の周囲は暗く沈んで、生気が十分でない顔つきをしている。やはり、少し窶れているように思う。


 不思議なのは死ぬ寸前だったにも関わらず、意識不明から回復してすぐに体を動かせる事だ。まるで自分が大きな存在に包まれているような。ハロルドが目覚めた時セドリックは、想定以上に回復が早いというような話をしていたが、竜と契約したのと関係があるだろうか。ハロルドはこれからの動きを思案しながら、ミルク少しと砂糖を一片入れて紅茶を啜り始める。セドリックは空になったカップを片手に、別の話題を切り出した。

「ともかくだ。お前にはしばらくの間、この病室ですごしてもらう。無用なトラブルと危険を避けるため、俺の許可なく部屋を出ないように」

「そうだそうだー。病人は安静にしてろー」

 おどけたようなジーナの言葉で、異図せずハロルドの口許が緩んだ。



 その後ハロルド・フォーサイスは、極めて安定した環境で数日をすごした。身の危険に晒される事もなく、やっかいな事柄に巻き込まれる体験もなかった。衛生状態は良く、用意された食事は毎食それなりに美味しい。定期的に飲まされた薬は、体の内側を綺麗にするものだとか、体力を回復させるものなど色々な種類があった。薬を飲むのが苦手なハロルドにはいささか酷な試練ではあったが、医者の言う通りに飲まなければ効果がないから仕方のない事だ。水も寝床も食糧もなかった頃と比べれば、ここでの生活は天国そのものと言えた。



 少なくとも、疲弊した体が癒えるまでは。

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