「喋れるのか」

「そこまで脳味噌小さくないから!」

 子どもは心外だと言わんばかりに声を張り上げる。怒らせてしまったかもしれないと、ハロルドは身を固くした。しかし飛びかかって来る気配はなかったので安心する。また力任せにあんな仕打ちをされては、こちらの身が持たない。分からない事は多いが二人に害意はないし、今のところ危険はなさそうだ。彼らの言う通り、大人しく治療とやらの続きを受ける事にする。


 ハロルドの知っている処置もあれば、理解の及ばない行動もあった。どうやら本当にただの治療をしているらしい、というのはなんとなく分かった。その上今日は意識が戻ったため、計画より前倒しになるが病室に行けるそうだ。ベッドからストレッチャーに移され、謎の部屋を出る。相変わらず寝かされたままだったが、殆どの拘束や器具は外してもらえていた。落ちないようにベルトを締めているくらいである。

「ハロルドです。ハロルド・フォーサイス」

 隠す必要もないと判断し、ハロルドは名乗った。そうなれば自然に、互いの名を教え合う形になる。異形の医者はセドリック・ロウと名乗った。人間と同じ構造の名前だ。術着を脱いだ後でもやはり顔面はそのままで、被り物などしていない事実が確定した。病室へ向かうという道すがら、ストレッチャーの右側に手を添え押しつつ歩いている。

「さて、ハロルド君。今自分がいるところが気になるだろうから、先生が教えてやるぜ。ここはアステラスって飛空艦の中だ。今飛んでるが、危険な場所ではないから安心しろよ」

 それにしてもセドリックという男、これほどまでに無機物的な見た目のどこから快活な声が出ているのか。自動人形とはこんなに感情的なものだっただろうか。瞳孔も白目も表情筋もない顔なので、最初の印象以上の事はまだ分かりそうにない。

「散々だったねー!」

 笑いながら左側を歩く人物は、鳥仮面と術着を取ってようやく分かったが少女だった。その散々な目に会わせて来たのは誰だったか、気楽なものだ。名はジーナだと教えてくれる。彼女は深緑色の長袖ワンピースを着ており、耳のある場所からは獣耳が生えていた。人型の幻獣なのだろう。空色の瞳と白い看護帽に覆われた赤茶色の跳ねっ毛が、口を開く度によく動く。初対面は危険な印象だったが、こうしているのを見ると耳以外は普通の少女に見える。


 セドリック曰く飛空艦だという内部は、遺跡を再利用している都市にありがちな鉄のような素材でできていた。人の住むところは空を飛ぶ船を含め、大抵古代遺跡の一部だ。車輪が鳴る音と二人のお喋りだけが響き、廊下に人気はない。飛空艦というからには、維持するための人間が多数いるはずだ。それに、難しいものを扱う技術や知識を持つ者も。

 気づけばストレッチャーはエレベーターに入り、数階分登ったようだ。開いた扉の向こうも人気はなく、夜中のように静まり返っていた。結構移動しているはずだが、まだ何者の気配もない。もしかすると、時刻が深夜なのかもしれない。あるいは、この辺りに近寄らないよう言われているのか。やる事もなく天井を見上げ、照明として等間隔で埋まっている陽石を数え始め……三個目で早々に飽きる。小さな虫が数匹、視界を横切って行った。


 陽石はただ在るだけでは、熱くもなければ眩しくもない。専用の装置に嵌め込む事で、熱や光を発するようになる謎の物体だ。人間が竜や自動人形と共に、『大いなるもの』と戦った時代からあったものだという。『大いなるもの』が何なのかの真実は失われ、今では僅かな痕跡と与太話ばかりが残されている。ただ不思議な事に、今まで陽石自体が壊れたり、力を失ったりする例はなかった。魔霧機関と呼ばれる機械に組み込まれ、動力源や光源として都市部に存在している。利用する際体によくない霧が発生するやっかいな特徴を持つが、その危険を利便性が遥かに上回ってしまう。地下にある人間の街は多かれ少なかれ、霧で煙たい事態に見舞われている。霧が屋内に充満しないよう、どこもかしこも煙突などから外に垂れ流すからである。

 排出が追いついていないのだ。どういう仕組みなのか、そして霧とは何なのか、専門家でないハロルドはよく知らない。近年では飛空艦の魔霧機関起動方法が遂に解明され、爆発的速度で人間の科学が発展している。昨今は今まで動かせなかった飛空艦を、空へ浮かべる事までできる。ハロルドは飛空艦など初めて見たし、初めて乗ったのだが。

 中層部には、竜こそ救世主であると主張していた宗教集団がいた。家も家族も無くし、路地裏で咳き込むばかりの老人もいた。田舎と違ってとてつもなく便利だと思う一方で、上層以下の空気は確かに地上の空と同じ灰色だった。



 一人の男の後ろをついて行く事しかできなかったハロルドは、あの日灰色の街を単独で飛び出した。最後に見た背中を思い出す。少しそこまでだからと出掛けていった彼は、不運にも己の剣を預けていた。師は、赤銅色の竜を追うために空へ向かいたいというハロルドの願望を、今まで全てを賭けてきたものを冷徹に否定したのだ。心配などしていないだろう。もし追いかけて来たならば、その時は殺されてしまうかもしれない。ハロルドは彼の大事な剣の内一本を、持ったまま逃げたのだから。ハロルドにとってあの男は尊敬すると同時に恐ろしい存在だった。彼は逃げ、そしてひたすら上を目指した。故郷と家族の仇である、赤銅色の竜の痕跡を辿りながら。

 そう言えば、あの剣はどうなったのだろうか。あれは大事な剣だ。置き去りにされていたら大変だ。それに、とハロルドは思案を続ける。あの時の、青い竜の少女はどこに行ってしまったのだろう。セドリックはここが飛空艦内だと言ったが、今どこを飛んでいるのだろう。今は何日の、何時頃なのだろう。窓がないので外の様子が分からない。落ち着いてくると、次々疑問が浮かんでくる。どれから聞けばいいのか、聞いてもいいものなのか。うっかり下手な事を聞いて、せっかくの友好的態度が失われてしまっては困る。


「組織という特性上、お前さんを調べておく必要があった。厄介を持ち込まれたら困るからな。だが今のところ、衰弱以外の問題はないようだ。怖がらせて悪かった」

 セドリックの声が淡々と、さきほどからずっと聞こえている。話しながら、ちらと顎の角度をこちらへ落とす。それでハロルドは、周囲の音が聞こえなくなるほど考え込んでいたのに気がつく。同じ話をさせるのも悪い気がした。悩んでいる内に、セドリックはまた前を向いてしまう。一部だが聞き取れた話が、嘘でないのはハロルドにも分かる。船という閉鎖的な場所では病気があれば直ぐに拡散してしまうし、人外の力で暴れられてしまえば半端な拘束では意味がない。仲間に被害が及ぶ危険を回避するための、仕方がない事だったのだ。

「色々な人間って、どんな人達なんですか?」

「普通じゃない奴が大半だな、色んな意味で」

 セドリックは軽快に笑い出したが、ハロルドはそれどころではない。幼い頃妹や友人と聞いた、怪物船の話を思い出していたのだ。

「ここにマトモな人間はいないのか」

「いや、いるぞ。こいつとか」

 セドリックは四本ある腕の内のひとつで、反対側でストレッチャーに手を添えるジーナを指差す。彼女は何故か、片手を頬に当てて照れ始めた。理解が追いつかない。

「さて、到着した」

 ストレッチャーの動きが変化し、天井がぐるりと回転した。一足先に行ったジーナが、引き戸を全開に開けて待っている。

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