第二節 霧中の船

 目を開くと、光があった。針のような刺激が一気に押し寄せたため、ハロルド・フォーサイスは反射的に目を眇めてしまう。数秒間そのままだった。少しずつ目蓋を開いて行き、眩しさの正体を知る。炎より明るく、風に揺らぐ事のない、出力一定の乳白色。陽石の周囲には発光させるための機械、それから白い天井が広がっている。何もない荒野から一転、なかなかに文明的な環境だ。

 ハロルドはベッドから起き上がろうとして、しかし身動きが取れないのに気がつく。体の要所を縛られている感覚がある。起き上がるのに必要な箇所を的確に封じられている、という事は、自分にこんな仕打ちをしたのは知性ある者だろう。首を少しと瞳を動かし、耳と鼻も動員して、他の情報を探す。


 鼻腔を突く消毒液の臭い。時々遠くで唸っているのは機械だろうか。形も様々な謎の器具の置かれた台に、周囲を囲まれている。左腕に違和感があり、首を傾ける。ハロルドの腕を押さえつけている青白い手があった。爪が確認できない。表面の皺からして恐らく手袋を嵌めている。針のような謎の物体。注射器らしき器具が、今にも刺さる寸前だった。手はハロルドが見ているのに気がついたらしく、止まる。制限のある視界で何とか観察する。

 手と同じく青白い長袖のようなもの。手の主はすぐに、ハロルドから難なく見える場所へ顔を覗かせる。人の形をしているが、明らかに人ではない。頭部には毛一本なく、鉱物的なつるりとした表面が天井からの光を反射する。瞳孔も白目もない仄かに光る丸い目と、中央に鼻を思わせる出っ張り。髑髏に似て不気味だ。なんと普通の両腕に加えてもう一対腕を持っており、ハロルドの身体の上にそっと置かれている。


 これは恐らく、自動人形というやつだ。ハロルドは冷静さを保つ自分を意識しながら、下手に動かないよう勤める。彼らは主に無機物で構成された人形で、大きい者や小さい者、獣型や人型など、色々な者がいる。魔霧機関を勝手に修理して回っていたり、がらくたを集めたり、建造物の修繕をしたりしている事が多い。

 どうやらそれが、彼らの習性らしい。独自の高度な社会性を持ち、こちらから脅かさない限り襲って来る事は決してしないという。彼らを破壊したりした者は罰されるそうだ。中でも人間そっくりの姿をしている者は、大抵が上層住みの上流階級である。軒並み冷静かつ博識で、予測や分析に長けている。近年では特技を生かして、飛空艦の水先人をしている者が多い。ハロルドの知る人型自動人形とは、親近感が沸く造形をしているものだ。ところが目の前の彼は、顔面にあったはずの皮と髪を失っているようだった。

 生きた存在という印象が薄く、沸くのは、恐怖だ。自分は何故ここにいるのか。目の前の自動人形に何をされたのか。何をしようとしているのか。


 緊張と動揺で叫び出しそうになったハロルドだが、誰かが強く息を吸い込む音で我に返る。反対側にも一人いた。ベッドの縁に手をかけ、不躾にこちらを覗き込んでいる影。自動人形より背が小さく、同じような青白い術着を来ていた。子どもだろうか。

 フードをしっかり被り、髪の毛一本はみ出していない。顔面の位置には、鳥に似た白い仮面をつけている。ともかく息を吸い込むという動作は、呼吸をしているという事だ。つまり鳥仮面は人間だ。視線を上に向けると、自動人形の方と目が合う。視線の動きなど分からないのだが、そんな感じがした。自動人形から、男性の小さな声が漏れた。

「意識覚醒? 想定より早かったな」

 その言葉は、知的かつ冷静であった。だがかなり怪しい状況で、かなり怪しい外見の者が二人。身の危険を感じたハロルドは、身体に強い力を込める。やはり、ろくに調子は戻っていなかった。しっかり固定されている事もあり、何度やってもびくともしない。強い抵抗行動を見せた事が悪かったのか、二人からの扱いが手荒になる。

「押さえろ」

「ウウ」

 鳥仮面の子どもが指示を了解し、獣じみた動きで飛びついてきた。二人が格闘している間に、自動人形の男は一旦距離を取っていた。

「大丈夫落ち着け、俺は医者だ。こんな見た目だが害意はない、それは信じてくれ。大丈夫だから静かに、身体に障る。今からちょっとチクっとするが、薬だから大丈夫。じっとしてりゃ痛くないから。むしろ動いた方が逆に痛いし危ないから」

 男は上の右手で先ほどの注射器を持ちにじり寄って来る。突然人間かと思うほど激しく狼狽え始めるので、ハロルドは逆に不信感を持った。自動人形が信用ならなければ、小さい鳥仮面も信用ならない。顔を向けて睨みつけると、強く短い威嚇を返された。逃げようにも、拘束と上の子どもを何とかできない限りはどうしようもない。身体の疲労もあって面倒になってきたハロルドは、彼らを刺激するのはやめて、大人しく目を閉じる。加えられていた力が少し緩み、医者と名乗った彼はようやく安堵の声を漏らす。


 自分は相手もこの場所も知らないが、相手もこちらをよく分かっていないはずだ。それでお互い、このような言動になる。ハロルドは片目をうっすら開き、力を弱めはしたものの退こうとしない子どもの様子を窺う。鳥仮面は自動人形の方に一度顔を向け、自動人形も鳥仮面を見る。二人は視線だけで、何らかの台詞を交わした。人間と違う足音が、固い床に等間隔で響く。自動人形は再び歩み寄り、ハロルドの顔を覗き込んだ。

「頼む。今は安静にしてろ。竜は呼ぶな。せっかく良くなってきたところなんだよ」

 鈍い痛みを堪えるような、男の言葉。ハロルドの頭にまさか、という思いが駆け抜けて行く。彼らは今まで、自分を看病してくれていたのだ。もう一度目を覚ます事ができ、暴れようという気さえ起きた原因はこれだ。危害を加えるつもりがあれば、とっくの昔にやっているはずだ。彼らには感謝しなければならないだろう。しかしハロルドが口にした言葉は、別のものだった。



「助けてくれなんて、頼んでないのに」

 ずっと喉につかえていた言葉だった。ようやく何か吐き出せたのを、自分の耳で聞いて知る。間違いなく自身の声だ。もう何十年も聞いていないような気がした。

 異形の医者は言い返さず、動く様子もない。無造作に空間へ放り出された四本腕のひとつに注射器を手にしたまま、置物のように黙っている。術着の鳥仮面も、手を離し床に降りた後は同じだった。ハロルドを囲むようにして、二人して無言で見つめてくる。目覚めた直後に時間が戻ってしまったかのようだ。

「何ですか」

 居心地が悪くなったハロルドは、ぶっきらぼうに何らかの反応を促す。細く長い、歯の間から息の漏れるような微かな音が、静寂の中やけに大きく聞こえた。医者の男だ。溜め息風音声。怒りでも放つのか、はたまた説教でも始まるのか。と思いきや、彼は乾いた調子の言葉を作る。

「ま、この世に引っかかっちまったもんはしょうがねぇよ。俺は俺のやりたい事をした。それが気に食わないってんなら、お前さんも自分の好きにしろ。ただな。ここを一通り見てから考えても、遅くはないと思うぜ」

「せっかくボスが、君を助けてもいいよーって言ってくれたんだからさ」

 鳥仮面の子どもが、突然流暢な人語を放った。恐ろしい唸り声が出たのと同じ口とは思えない。病み上がりの頭で何かを考慮する余裕もなく、ぼんやりとした言葉が飛び出す。


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