七十の節 自由を語りたがっている伝道師は、目的地で下車する。 その二
「ポムル、無事だったんだな」
乾いた音を立て、手を払いながら足元の兎に未練を残しつつ
「人以外の名前は覚えるんですね」
「昔からです。
「あら? 貴女は」
一方。ポムルが低い視線でも苦にならない位置で、ある人影に目を止めた。
「生きた伝説と銘打たれる女諜報員と、こんな所でお会い出来るなんて思わなかったなのです」
女諜報員。との響きに迷いなく反応したシシィは、黒装束に付属している
そのため、彼女の
「諜報員が有名と言われても、褒められたとは感じません」
「育ちが良過ぎると、褒め言葉も受け取れない高慢な耳になるようなのです」
「生まれ育ちの良さは自覚していますが、貴女に言われる筋合いはありません」
「オトヒメのクセに、相手がチンチクリンのままだなんて、聞いた事がないのです。貴女が噂通りのオトヒメならば、そこのチンチクリンは、ワルテル少将や、ブラム船長補佐のような大柄な〝オト〟となって、同族の男達を率いているハズなのです」
特殊な
「私の大切な
鮮明にされるはずがない背景を鷲掴みにして突き付けたポムルに対し、シシィも触れるには繊細さを求められる話題を叩き付ける。
シシィは光彩を絞り、時間帯に関わらず瞳孔を限りなく縦に細くしている。ポムルは垂れる耳の先端が、吹く風もない所で震えていた。
任務中、仕事中には見せない激昂を発する淑女達は、互いに諸々の感情が入り交じり、平常心を保っていない様子は明らかだった。
淑女達の周囲が、錬金術で言う所の静電気が
淑女達の過熱する
本来の会話ではなくなっている現状に、誰も
「ハニィ、何とかしろ」
「何とか、と言われましても無理です」
いつの間にか愛する妻の傍ではなく、アラームの右側後方に控えているハニィを、その言葉で
「ハニィなら何とか出来ると信じている」
ハニィ達とは少々様相が異なったアラームの黒装束。目深に被る
アラームの周囲の誰もが押し黙り、収集方法の模索も困難の中にあって、最も緊張し硬直していたシシィの夫であるハニィを、アラームは現場へと強行に送り込もうとしていた。
「女同士の争いなんて、放置した方が良いですよ。ポムルさん、昔から同業者として意識していたみたいなので」
新たな押し問答の場が増えそうな予感の中心に向かって、冬の
舌戦が過熱するシシィとポムルを除き、一同が新たな声の主へと意識や姿勢を向けた。
「付いて来てください。カネル様の天幕へ案内してあげます」
一同が揃って見た、十代前半を思わせる少年の姿。アラーム達のような
手入れが行き届く毛皮にも劣らず、少年の
切り取られた風景を映している生きた宝玉の色は青。桜色の薄い唇。白磁のような肌。計算されつくされた宝冠を思わせる容姿は、十人に問い十人が認める紅顔の美少年だった。
「ここは仮にも戦場だ。場違いな美少年に付いて来いと言われても、正直な話し困るな」
形だけと言わんばかりに、アラームは首だけを巡らせ少年へ応える。
「本当に案内しますよ。形式だけのご褒美が欲しい連中は、あの天幕にカネル様がいらっしゃる事すら知らないんでしょう?」
言いながら、美少年の白く細い差し指が示したのは、一帯の中で一番大きな天幕だった。
「
「ネイトですよ。アラーム・ラーア様」
名乗った美少年に、アラームはようやく向き直った。美少年とは別次元の整い方をする口元には、見る者を挑発する弧が描かれている。
「乗ってやろうじゃないか。その分では、ヴァリーとラフイ、ハイナ・アレハも連れて来てくれそうだし」
「ええ、
アラームの意味ありげな口元に対抗しているのか。ネイトは未成熟が持つ、危うげな繊細さを宿す笑顔で対峙した。
それはまるで、自らが持つ最大の武器を磨き上げている途上を、若さを原動力に見せ付けているかのようだ。
新たな火花が
その姿は、まるで
『
後日、ハニィは
しかし、その実は。極度の緊張状態や環境の重圧、飽和した状況打破のため、自律神経への負荷を緩和させる効果がある防衛本能が、自然と彼を導いていたのだ。
それは、
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