五十八の節 無い腹の探り合い。 その三




「出来過ぎだと思いません? こんなにも簡単にくちを割るものでしょうか」


 同じ出入口付近にいた、女性隊士に声を差し入れるのは、テフリタ・ノノメキ都市の外側で活動する、討伐大隊の所属を表す青い軍服姿の青年隊士。

 銃砲の扱いより女性の扱いの方が似合う、淡い茶色の髪と瞳を持つ線が細いヒト族の青年だった。


「分かっていないな。だからぼんなのだよ。男は声と」


「匂いが重要よ?」


 先程、アラームに頭巾フーザ越しで視線を合わせてもらっていた、堅い語りくち。明るい灰色の毛並みの、ウサギ種ラヴィン・トット族の女性隊士が答えを途中で止めていると別の声が言葉を繋いだ。


 おっとりとした口調。濃い茶色の毛並みを持つ、クマ種オルセット族の女性隊士だった。


「あの御仁の声と雰囲気は、飲まれると応じてしまいそうになる。私が未婚の上もう少し若ければ、今夜にでもを頂戴するために向かう所だ」


「あら、今からでも遅くないわよ。頑張ってみなさいな」


「夫が不義密通をしようと、私はせぬっ」


「まぁ、そうなの?」


 静まり返っていた現場は、下世話な話しが開花した事によって、尋問が作り出していた緊張の糸が切れてしまった。

 その証拠に、彼女達を皮切りに各所でひそひそ話しが滲む。


 縁がない訳でもないと言うのに、部外者面で非難がましく尋問の一角を見やる隊士もいれば、豪奢な室内着姿のカーダーのを興味深々のていで観察する隊士までいる。


 その当事者がいる区画では、本分を忘れそうなポムルが感情に訴えていた。


「カーダー様、お忘れですぅ? 私がまだ、スーヤ大陸にいた頃、三年半前に娼館でを頂戴しました者ですぅ」


 ポムルはカーダーの目があるであろう位置に向け、眷属けんぞく穴兎アナウサギ姿とはまた趣が異なる魅惑の熱視線をポムルは注ぎ込む。


「何だ、やはりだったのか」


 ラヴィン・トット族のうら若き乙女と、端整な口元に薄く笑みを描く旧友との視線に挟まれる。顔の上半分を覆う大きな耳の奥で、カーダーは困り顔を浮かべていると想像するのは容易だった。


「カーダーが本物かいなかを確認する手段として、肌をった相手を軍使として送り込むとは考えたものだな」


 ポムルだけではなく、カーダー達ニンゲン属シシ種サルダン族を贔屓ひいきする娼館の従業員は多数いる。利用客の多くがヒト族なのだが、上客の条件を最も満たしているのは、実は少数派のサルダン族だった。


 裕福で金銭を大量に落としてくれるだけではなく、航海に出るサルダン族は、長期外洋生活にも耐えうる皮膚と肉質にも関わらず、その肌質はヒト族の滑らかさを超える。

 陸に立つ頃には一層締まりも良く、単なる肥満とは異なるオスたくましさを誇示した。

 長期の旅程では得られない、異性との芳しかんばい愉楽を得るために華達を誘い、放つための要因をいくつも備えている。


 人種が持つ性分らしく、サルダン族は相手を満たす事を優先し喜びとしていた。それは商業、産業、流通の信頼に表れているが、相手が性の対象であっても例外ではない。


 種族が異なり、体格差で交接がかなわない相手だとしても、相応の手段を用いて産地種別が異なる華を愉悦へと導く。その姿、反応に心ある彼らは満たされるのだ。


 性の愉悦を対価として得る事に関して、異種族を選択する利点が一つだけある。不義の子が生まれない事だった。


 この世界レーフでは、異種混血児が存在しない。同じ種属でなければ子孫を紡ぐ事は叶わなかった。


「三年前は娼館に従事していたと言うが、今は違うのか? どこに所属し、誰から命令を受け侵入をこころみた?」


 アラームはえて、ポムルから言わせるために問う。


 当のポムルは小さな茶色の手を組み、三つ叉に割れた鼻の下に当てて見せた。軍使としての使命感による沈黙か、これ以上の醜態を明かさないためかは定かではない。


「ポムル、懐かしさに身体も甘い痺れを想い出してうずいているだろう。再び、味わいたくないのか?」


 アラームは交換条件として、断りもなくカーダーを餌にして誘いを掛けている。


 ポムルは、理性と本能の狭間に立たされ葛藤の締め付けのためか呼吸が浅く、早い。あえいでいるようだった。


「早く、私の耳に触れてくださいなのです。噛んでくださいなのです」


 病質的な異常性欲に囚われた様は、本能と使命と実益が紐付いた事による悲劇の形の一つとも言える。


「望みを得たいのなら、質問に応じる必要があるだろう」


 そんなポムルの姿を知ってか知らずか、アラームはなおも焦らす。


「カネル君主都市の、プティ様ですぅ」


「愛称ではなく、正式な名を言え」


「プラッティン・マクシム・カネル様、なのです」


 アラームは、あるじを愛称で呼ぶ意図の確認を素通りし、別件の尋問を続ける。


璜準コウジュンに対し、何かしらの強い思念と目的があって訪れたようだが、内容は何だ」


「本人の確認など、二の次。に加えて、本物の青い月アオイツキなのか。カーダー様に随行するニンゲン属が、そちらの使者が言うような、美しい容姿なのか確認するためなのです」


 カネル君主都市との交渉中の会話に、カーダー周辺の人物像が挙がった事は想像にかたくない。

 ポムルの態度を見る限りは、璜準コウジュンとは考えにくく本人確認の精度は低い。


 この奇妙な問題の解答を、ポムルはアラームの尋問を待たず熱っぽく吐き出した。


「女の私から見て美しい方々であればプティ様の元へ送り、そちらの話しを聞く席を設ける、との事なのです」


「ポムルは審査員だったのか。それで、お眼鏡にはかなったのかな?」


 アラームの声は大して嬉しさに弾んではいないが、後方の席で紅茶の香りを楽しんでいた璜準コウジュンは、あからさまに色めき立つ。


「もちろん、貴方も含めて合格なのです。プティ様は最近〝ツルスベ〟がお気に入りで、全裸の美男に撫で回される事に興じていらっしゃるのです。多ければ多い程、およろびですなのです」


 璜準コウジュンが〝マフモフ〟を求めるように、相手は〝ツルスベ〟を求めているようだ。異種族、しかも高貴な存在が持つ感覚について、思う所を語り合おうとしている隊士達がくちを開く前に、一室に響き渡る声があった。


「毛玉の分際で、我も見た事がないアラームの肌を眼にした挙げ句、触れようだと? 身の程をわきまえよ!」


 鋭い黒蜜の低音が、怒気を含んで発せられたと同時。雪河セツカは、自ら構築したはずの法陣を破ると窓を開け放ち、カネル君主都市陣営の軍使を無造作に掴み、勢いも良く外へと投げ出した。


「待て、まだハニィとシシィが戻っていない」


「まさかっ」


「え、ちょっと、それ一番やっちゃいけないやつ」


「あらか~!」


「ウッソだろ、お前! 大怪我するだろうが!」


「え~!?」


 一室に、多種多様の言葉と感嘆が重なった。


 眞導マドウによって退路を断っていたとして、物理的に開放された出口は、何の抵抗もなく屋外へポムルを導くのは当然の摂理だ。

 

「きゃあああぁあぁですうぅぅぅ」


あるじに伝えよ! 色欲で穢れた食指をアラームに向けるなど決して赦さぬ。二度と這い寄るでないとな! もしも言い付けを破ろうものなれば、そのような念すら起こさぬよう、一族郎党き払ってくれる!」


 遠離るポムルの声に、雪河セツカの怒声が上書きする時には、堅い床材に靴音も高らかにアラームが窓際まで詰め寄っていた。


 兵舎から遠くにあるポムルは、一度宙に留まる素振りを示し、受け身を取り地表に降り立っていた。すぐさま、その場で拍子を取りながら足踏みを始めたと見る者が知覚する頃には、一つ跳ねて平らな地面へ沈んだ。


 魚が水面から飛び上がり、自重で元の住処すみかへと沈む様のように。


「あれかぁ、報告にあった〝踊って跳ねたら消えた〟ってのは」


 望遠鏡で焦点を合わせた視界で捉えた率直な感想を、ヴァリーが感心を込めて述べる。せっかく温められた室温が外気にによって浸食されているが、この衝撃を前に誰も非難の声を上げなかった。


「間に合わなかったか」


「そうみたいね」


 一室の戸口で、男女の声が短く起きた。赤みが強い小麦色の肌を持つ、男盛りの年頃と思われる隊士に案内されて来た、ハニィとシシィの姿がある。


 窓と廊下から冷えた空気と、急変した事態の空気が撹拌かくはんされる中。一同は呆然とする事しか出来なかった。


 動かない空間に、ヴァリーへと確固たる意志を込めながら向かう硬質な靴音が立つ。


「その、本当に申し訳ない」


 ハニィとシシィが無事に戻った事をねぎらう前に、ヴァリーに向かい深く深く九〇度の最敬礼をもって、アラームはあるじの不手際を詫びに代えた。





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