五十七の節 無い腹の探り合い。 その二




 様子とは裏腹に、着膨れした璜準コウジュンが席から立ち上がった時。出入口である木製の引き戸の向こう側と一室が繋がる気配が起きた。


 そこには避難民のために用意されていた、ラヴィン・トット族用の衣装に着替え終えた女性軍使と、案内役の女性隊士の姿があった。

 女性軍使の姿は眷属けんぞく穴兎アナウサギではなく、璜準コウジュンの説明にあった通り、平均的なラヴィン・トット族の背格好を持つ起立したニンゲン属の様相だ。


「どうする璜準コウジュン。この状況で席を外すのか?」


「分かった、温和おとなしくすりゃあ良いんだろ。メイケイ、茶をくれ」


「紅茶でもよろしいですか」


「ああ、適当に頼む」


 くちにした目的を果たす機会を封じられた璜準コウジュンは、愛弟子に日常を求める事で時間を埋める事にしたようだ。

 さすがに、これ以上の場を乱す言動は支障が出ると判断したらしい。


「我々に名乗れる呼び方を、教えてくれるかな」


 トの七号トノナナゴウの出城で全権を預かり、どこか冷笑的な雰囲気のある中層の低さを持つヴァリーの声ではなく、もやの中に芯がある不思議な低音を持つアラームの声で言葉が一室に渡る。

 璜準コウジュンと女性軍使の立ち位置が落ち着き、そこを見計らったアラームが早々に場を整え始めた。


「人道的な扱い、痛み入りますなのです。ポムル、と名乗っておきますです」


 鈴が転がるような可憐な声で答えが返って来た。語尾が交通渋滞を起こしているが、指摘する者はいない。


「では、ポムル。御覧の通り私は軍隊関係者ではないが、得られた発言には情報としての価値が生じ、テフリタ・ノノメキ都市を防衛する軍事機関及び政務機関に帰属する。了承の上、発言してもらう」


「はい、なのです」


 立ったままのアラームの言葉を受け、ポムルと名乗った女性軍使は反意のない意志を加えるため、小さな茶色の頭を上下させる。眷属けんぞく時と変わらない黒くてつぶらなポムルの瞳が、周囲を確認しようと落ち着きなく動く。

 それもそのはずだった。敵陣で軍使が捕らえられた場合、無事では済まされない事が多々あるからだ。


 しかし、ポムルは温かな部屋に通され、拘束もされず菜食用の糧食と椅子まで与えられている。一見すると茶話の情景ながら、通常このような待遇はあり得ない。


 その上、尋問の場に部外者の客人が多数同席し、中でもレイスは勝手に調書を作成している。世界基準の軍紀よりも、先例からの現場主義を優先する色が濃いテフリタ・ノノメキ都市の軍属にあって、特筆すべきはヴァリーの存在だった。


 現場での独断には、今回の事態を現状を多角的に把握する事での打開を選んだ事がうかがえる。


「単独の潜入工作?」


「その通りなのです」


絽候ロコウ、軍使殿の発言に間違いはないのか」


 突然、答え合わせの要因に指名された絽候ロコウだったが、焦る様子もとどこおる事もなく語り出す。


「違います。気配の数は五つでした」


 絽候ロコウは揺るぎもせずに自信に満ちた様子で言い切った。


「私の発言に偽りがあるとでもです? 随分、信頼されているのです。そちらのとんがり帽子の坊ちゃんの発言なんて証明は出来ませんです」


「ポムルの発言を裏付ける証明も同時に出来ない、と言えるが、残念ながら絽候ロコウの発言は私にとっては確認でしかない。ポムル、この部屋に来た経緯いきさつを想い出せよ。連れ込まれたんだ?」


 ポムルの発言内容を一蹴した絽候ロコウが腕に抱えながら、不可解な言葉を添えて入室した時の事を、同室にいる面々がそれぞれ思い起こしているようだった。


「〝璜準コウジュン見てよ、この兎。璜準コウジュンが好きそうな毛並みの兎だけど、悪い奴だから捕まえて来てあげたよ〟だったよな、絽候ロコウ


「その通りです、アラーム様!」


 正確に当時の言葉を再生したアラームの意図は明白に近い。周囲の記憶を呼び起こし補強するためだろう。重々しい空気を無視するかのような陽気な少年の肯定を伴う返事は、場違いな明るさで一室を満たす。


「改めて、ポムルを捕まえた経緯いきさつを確認する。当事者の絽候ロコウに発言してもらおうか」


 ちぐはぐの情報の破片を合わせるために、一同の関心は絽候ロコウに注がれた。


雪河セツカ様と一緒に、ボクは日課にしている朝の散歩をしていました。雪河セツカ様ってば、アラーム様が読み物で忙しいからと仰って、付き合ってくださらないから物凄く不機嫌で怖かったです」


「余計な物言いはつつしめ」


 絽候ロコウが発言する遠慮も配慮も欠ける内容に、くちを挟んだ雪河セツカは誰とも視線が合わない方向へと濃い金色の双眸そうぼうを逃した。


「それで、見張り番の兵隊さんがいる哨舎しょうしゃで話しをしていると、北西側から地中潜行型の気配が迫っておりました。先程申し上げた通り数は五です」


「派遣された軍使は、ポムルを含めて五名いたと言う事かな」


「間違いありません。他の四つは雪河セツカ様が立てていた気配におそれをなして、丘陵の中腹で引き返しています。アラーム様がいらっしゃない事もあって、を近付けないようにと、かなり殺気立っていらしゃいましたし」


 絽候ロコウは対象を濁していたが、雪河セツカにとって見るのも、聞くのも、触れるのも、匂いも、味わいも、想像もしたくないネズミの事だった。


 苦手なを話題に出た事もあり、アラームが様子を見るために雪河セツカの方に顔を向ける。雪河セツカは、少し波を打つ硝子窓がらすまどから朝靄が晴れつつある軍営風景を望み、現実逃避を図っているようにも受け取れる後ろ姿があった。


 その様子に触れる事なく、アラームは姿勢を正面に戻しポムルに向き直りながら絽候ロコウに問う。


「屈しなかったポムルが営内の境界に侵入し、絽候ロコウと言う訳だな」


「はい」


 絽候ロコウの返事にアラームは一つばかり間を置くと、ポムルを見据える。頭巾フーザ越しではあったが、視線の威圧はポムルには伝わっているらしい。

 何故なら。安堵を得ようと本能的にすがる場所へとつぶらな黒い瞳が何度も向かっていたからだ。


 ポムルの変化を見届けながら、アラームは言葉を続ける。


「運が悪かったな、ポムル。軍使の端くれを名乗るなら神獸族シンジュウゾクの特質くらい知識として得ているだろう。単に金色の双眸そうぼう世界レーフを見張り、選んだ相手の願いを叶えるだけではない。選んだ相手に向けられる、総ての意志さえ把握する事を」


 詰まり、璜準コウジュンへ向けられた、ポムルが発するに反応した絽候ロコウは、眞導マドウに似た法則で地中を潜行移動していた姿を掴んで引きずり出した事がここで明らかとなった。


「ここへ軍使が派遣された理由は単純だ。使えない君主や軍使ではないのなら、確認する事は一つ。書簡に記した名の中にあったカーダーと、カネル君主都市の通商相手のカーダーと一致するかいなかだが、ポムルの目的は本当にだけなのかな?」


 これまで、立ち詰めだった長身と顔も見えない黒装束も手伝い威圧的だった姿勢を崩したアラームは、ここへ来てポムルに目線を合わせる姿勢を取った。


「なあ、ポムル。他の四名が逃げ出すくらいの生命の危険をおかしてまで侵入したのは、使命感だけなのか?」


 アラームの声が、懐柔するような吐息混じりになる。急変した尋問相手の態度に、彷徨っていた黒い視線と意識が、一気にアラームへ向いた。

 ポムルの垂れた耳から、甘い毒が侵攻し思考さえ奪いつつあるかのようだ。


「先程から、どこを見ているんだ。生命危機に際しても物欲しそうに潤ませているのは、黒い眼だけではないんだろう?」


 白い手袋に包まれたアラームの指が伸びた。繊細な毛並みに触れそうで触れない絶妙な指運びで、ポムルの垂れた耳の先端をなぞる。


 鈴が恥じらいながら転がる声が立つ。つぶらな黒い瞳が、性的な悦に反応し薄く閉じられているような風情がある。


「これだけ人目があってもはばからずに声を立てるとははしたないな。この状況で欲情するなんて恐れ入った。早く目的を答えないと、視線の先にいる相手の前で、もっと恥ずかしい想いを味わう事になるぞ」


「い、イヤなのですぅ! カーダー様にもう一度を頂戴するまで恥ずかしい思いもしたくないのですぅ! 死にたくないのですぅ!」


 急展開が重なる状況の中、ほぼ全員が音を立ててカーダーへと驚愕に似た色に染まった顔を向けた。





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