五十六の節 無い腹の探り合い。 その一




 テフリタ・ノノメキ都市の外側で活動する、討伐大隊の所属を表す青い軍服。着用しているのは、何も男性やヒト族に限られた事ではない。トの七号トノナナゴウ兵舎要員は、種属も性別も多彩な面々で構成されている。


 青い軍服姿のヒト族の女性隊士に連れられ、軍使は着替えのため別室へと向かった。


「お客人、別室で着替えさせるのは、危険ではありませんか」


 アラームの膝辺りから、口調は堅いが円熟した艶のある女性の声で問い掛けが立つ。軍使の着替えと移動は、アラームが提案を押し通したためだ。


「安心して欲しい、隊士殿。この兵営へいえい本館は、そこにいる雪河セツカ眞導マドウ封じの法陣を張ってもらったため、眞導マドウの監獄と化している。あの軍使殿が逃亡する導線はない」


 先程の軍使と氏族クランは異なるが、同族のラヴィン・トット女性隊士の視線に近付けるため、アラームは長身を沈めて応える。

 白い手を隊士に向けて差し伸ばしたのなら、上流階級女性の跪礼カーテシーのような洗練された姿勢の良さだった。


「ほぉ? ラヴィン・トットの特質に詳しいばかりか、このカヤナ大陸で不自由なく眞導マドウを張るとは恐れ入る。スーヤ大陸から来る人間は、眞導マドウの勝手の違いに戸惑うものだ」


 アラームと同じくらいの長身だが、厚みがある隊士がくちを開く。部外者でありながら、目線を合わせようとする姿に気を許し始めていた、ニンゲン属トルム種デユセス族の壮年隊士だった。


「そう言えば、カヤナ大陸はスーヤ大陸のように眞素マソが変にあふれておらず、眞素マソの巡りも異なる。個人によっては上手く眞素マソが働かない。璜準コウジュン辺りは、むしろ過ごしやすいのではないかな」


うるせぇよ」


 アラームの言葉を差され、ザラついた声で悪態を返したのは璜準コウジュンだ。その言葉に間違いがないのは、余剰眞素マソを散らせるため、巻き煙草型の燻煙乳香くんえんにゅうこうの本数が激減している事が証明している。


 そのまま無言を通すかに思われた璜準コウジュンだったが、一つ二つ青い月アオイツキと同じ色をした瞳を左右に迷わせると、その薄い唇を動かした。


「お前さん、あの軍使を勝手に閉じ込めてつもりなんだ」


も何も、テフリタ・ノノメキの軍属でもない我々を、最前線に迎えてくれたウェルグ・ヴァリー中隊士長殿に協力するだけだ。私は、こちらの防諜カウンターインテリジェンスの内容は不勉強で判らないし心得もない。何か懇願があるのなら、ウェルグ・ヴァリー中隊士長に頼めよ」


「あ~、その事なんですが」


 昨日、名乗った通りの名前をアラームに連呼された本人が、席から立ち上がり人口密度が高い場所へ緩やかに歩み寄る。帽子を浮かせ、灰色の頭髪を掻きながらヴァリーが歯切れも鈍く発言した。


「アラーム殿に、尋問権を譲ろうと思います。オラっちより弁が立ちそうですし」


 このような言い草ではあるが、噂でしかない黒の群狼クロノグンロウのハニィ達を上司に通し、伝えた通り推参したアラーム達を翌日には最前線である、トの七号トノナナゴウに手引きしたのは他でもないヴァリーだった。


「軍人としては失格発言ですがね、女王様気取りのチェーザリー夫人が譲らない無抵抗作戦で、これ以上部下を失いたくないんですよ」


 手持ちのメモ帳に集中していたはずのレイスが上げた顔には、驚きを込めたような表情が浮かんでいた。カヤナ大陸と言わず、スーヤ大陸にも届く勇猛さと市民愛が高いテフリタ・ノノメキ都市防衛の要を担う現場の言葉に対して、反応を起こしている様子だった。


「何か良い案があるなり、あの軍使から有益な情報が引き出せるのなら、トの七号トノナナゴウ所属の隊士は全面的に協力します」


 破格以上の期待を込める言い方に、装飾品が立てる音に遠慮をにじませる様子で、カーダーは時間を費やしながら足を組み直した。


「オヤジ、じゃなくて上司には上手く伝えさせてもらいます」


 土地柄の影響もある。古くからカヤナ大陸に住む氏族クランの慣習も手伝い、集団行動の機会が多い隊士達は家族同然の結束を持つ。

 普段から上官を〝オヤジ〟と呼び、部下を我が子を呼ぶような付き合いは、規律正しいスーヤ大陸の軍人と比べると、残念ながら文明秩序の高さに加え公共性に欠けると言えた。


「アラーム殿は、あの軍使殿を算段で? 参考までにお聞かせくださいな」


「可能な限り、送り込まれた目的に関わる情報を吐いてもらう。少なくとも、使者として出したハニィ達が無事に帰って来るまでは生かしておく。始末するかどうかは、軍使殿の態度と意向次第だ」


「殺すのか?」


 アラームとヴァリーとのやり取りの間に、璜準コウジュンくちを挟んで来た。短い言葉には、単なる趣味趣向や同情ではない緊張の糸が存在するように思われた。


「最終手段は、そうなるよ。とは言っても、人的資源は有限だ。出来れば寝返ってくれるように誘導する。出来ない者を世話するより、出来る者を世話をする方が効率的だ。関係を保つための媒介ばいかいが簡素であるなら、それにこした事はない」


 アラームの頭巾フーザ越の似紅色にせべにいろ辺りの位置と、青い月アオイツキと同じ色をした視線が合った。

 そこで、言葉を閉じた端整にも程がある口元から小さな笑みの息が零れる。


「な、何だよ」


「これは失敬。紫の蛮族、鮮血の獣センケツノケダモノ青い月アオイツキを情け容赦なくほふ璜準コウジュンが気に留めているのかと想像すると可笑おかしくなった」


 憎まれぐちの一つでも跳ね返ると思われる流れにあって、璜準コウジュンは少し視線を下げた。まるで、アラームから注がれる視線から逃れるように。


「俺は何と呼ばれようが、用意され向かって来る相手を始末するだけだった。そのお膳立てのために、あんなに可愛いハニィ達や兎ちゃんが生命をけていたのかと思うと、今更ながらに居たたまれない気分になっただけだ」


「どうした璜準コウジュン。念願のカヤナ大陸の水を飲んだお陰で、ねじ曲がった根性が浄化されたのか」


 アラームの口元しか見えない表情は、至って生真面目に映る。特に璜準コウジュン一行は、アラームが一筋縄ではない奇妙な感性を披露する場面の数々に遭遇している。

 旅路の中で璜準コウジュンは、アラームの言動を真正面から捉える選択をしないと心得るすべを身に付けたらしい。以前のごとく、癇癪かんしゃくを起こし猛反発をする気配がない。


璜準コウジュンが御執心のようだから、皮でも剥いで防寒着にするか? 兎には違いないからな」


 少々の間が空いた後、アラームは無神経にも似た発言を璜準コウジュンに投げた。


「いくら好いた相手だろうと、皮にしてまで一緒に居たいとは思わねぇよ」


 璜準コウジュンの半ば閉じられる青い月アオイツキと同じ色をした瞳の陰りを見てしまった者は、本人さえも立ち入ってはならない禁域の仄暗ほのぐらさを垣間見る気分にさせられた事だろう。


「悪い、外の空気にあたって来る」


 自身の言動や変化に戸惑っているのか、作り出してしまった場の空気に耐えられなくなったのか。璜準コウジュンは、何よりも嫌うはずの冷えた空間を選択してしまった。





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