五十五の節 可愛いは、一騎当千。 その四




 一同が沈黙する一室には、暖炉で乾き切った薪が立てる細かな空気の音が支配していた。


 ただ静かに、絽候ロコウの腕に収まる家猫イエネコ程の茶色の兎は、草食動物特有の離れ気味のつぶらな黒い瞳を璜準コウジュンに向ける。三つ叉に小さく割れた鼻が、安堵を探るように忙しく動いていた。


「軍使だと? な、何を言いやがる。子ザルが連れて来た兎さんは、間違いなく穴兎アナウサギ系統のカファ種じゃねぇか。報告通りなら、塹壕の堀り方からして平地に住むロップス氏族クランと、眷属けんぞくである穴兎アナウサギ系統のカファ種に間違いはない。それに、ラヴィン・トット族の平均体長は、四十四~六〇クラール(約、四十四~六〇センチメートル)。耳朶じだは十八クラール(約、十八センチメートル)だ。体重は、一~三カンラムル(約、三~九キログラム)。なのに、この兎さんは手毬てまりのような可憐な大きさ」


璜準コウジュン、そこまでだ。八聖ハッセイなのに詳しいな」


 カファ種の兎が披露する魅惑の仕草に、抵抗力を失った璜準コウジュンが一気に並べる知識に感心を示しながらも、アラームは途中で無造作な音量で切断した。


「そうだった、今からでも遅くはないよな。俺、まだ若いし学者に転職するって手もあるのか」


 至極、真面目に考え出す璜準コウジュンの姿があった。アラームは、無言で璜準コウジュンを見る。肯定しているのか、呆れ果て二の句を探しているのか。整い過ぎる口元だけでは判断が難しい。


 一同の中では最も判別が付きそうな雪河セツカは、定位置でもあるアラームの左隣に陣取っていたが、温和おとなしく添え物と化していた。


「正直、こんな戦争もどきよりもラヴィン・トット族が持つ謎の小袋に何が入っているのか。そっちの解決の方が、俺にとっては重要だしな」


「あぁ、肩や腰に掛けている小さな鞄の事ですね。は昔、別のラヴィン・トット族ではありましたが信用を得て中身を教えてもらったそうなのです。ですが、記録にも書籍にも残さず先立たれてしまいました。私も学者として、無念でなりません」


 周囲に、どう思われていようと構わないと言わんばかりに、璜準コウジュンとレイスは異文化談議に熱を込め加速させていた。


 現実を直視しない一角を切り離すように、アラームは直面する問題解決へと舵を切り出した。


「軍使殿、私を世間知らずの絽候ロコウや、希望的観測と思い込みで物事をねじ曲げて見ている璜準コウジュンと一緒にするなよ」


 アラームは姿勢を改め、絽候ロコウもとい茶色の兎に向き直る。端から見る分には滑稽にも映るが、深く頭巾フーザで顔半分を覆われていても、掴んだ相手を離さない尋問の雰囲気を放っていた。


「このままだと、あの青い月アオイツキの変質者に何をされるか判ったものではないぞ」


 〝青い月アオイツキ〟の単語に対して、茶色の兎は小鼻の動きを止めたように見える。起きた変化には触れず、アラームは続けた。


「女っ気もない旅を続け、マフモフする相手もなく欲望が暴走する事は想像に難くない」


 アラームが語る内容に先程報告に来た一兵卒の青年が、アラームと璜準コウジュンを交互に見やる。いわれのない汚名を浴びせる事態に、今後の関係を案じているかのようだ。


っているはずだよな。ヒト族が、性に対してどれ程に欲深く執拗で探究心に溢れているのかを。ヒト族が利用する娼館に、多種族が揃っているのは何故だと想っているんだ? 軍使はの可能性が高いが、相手によっては想定外の事態にもなりかねない」


 真珠や硬玉、貴金属で仕上がる装飾が細かく音を立てる。カーダーが腕を組み、静観の構えを取ったためだ。先程の発言には触れられず、安堵しているようにも見える。


「それに、私の隣と軍使殿を抱える者の眼を見たか? 金色だぞ」


 色に関する話しへと引き戻したアラームは、口元しか見えない表情を愉快そうに綻ばせる。


「何を意味しているのか、軍使殿ともあろう方なら判るよな?」


 海が大陸を隔てていようと、世界レーフに住む知的文化圏を構築する一員なら知識と言わず本能に刻み込まれる恐怖の一つに挙げる事だろう。


 瞳の色に込められる意味を。上辺や理性を剥ぎ取り、区別や条理を超えたその危険性を。


「アラーム、もう止めろ。どこからどう見ても、ラヴィン・トット族の眷属けんぞくの兎さんだろうが。罪もない兎さんに、血生臭い疑いを掛けてんじゃねぇぞ」


 レイスとの情報交換が一段落した様子の璜準コウジュンが、検証の輪に再び加わる。先程、アラームが言った〝変質者〟について、何も触れない所を見るに〝変質者〟の不穏当な響きは璜準コウジュンには届いていなかったらしい。


「普通の兎さんが何故、青い月アオイツキに反応したんだろうな。愛らしい鼻の動きが、先程から止まってしまっているけれど」


 アラームが指摘する言葉は、研ぎたての切っ先を現場に起きた変化に対して突き立てているようだった。


「音に反応したとも取れるが、違うな。人類が築き上げた知的文明は、様々な感覚を情報として交換し共有する。例えば言語、伝統、色だ」


 メイケイ、ウンケイは手元の報告書から黒い視線を移し、絽候ロコウが抱える茶色の兎を揃って注視する。


「ニンゲン属は通常、三色型色覚だ。赤・緑・青を識別する事で百万色以上を見分けられる。色相、明度、彩度などの微細な違いを識別するには個体差はあるけれど」


 同席していた兵卒達が顔を突き合わせ、アラームの講釈を聞いていた。


「歴史や風土によって色の呼び方や風合いは異なるが、文明を共有するニンゲン属ならば認識するだろう。ウェルグ・ヴァリー中隊士長の眼を灰色。雪河セツカの眼を金色。璜準コウジュンの眼を青い月アオイツキの色だとな」


 突然、引き合いに出されたヴァリーは、妙な知識を語るアラームを興味深そうに眺めていた。


「各種族の眷属は、ニンゲン属のような色覚は持っていない事が多く、大体が二色型色覚だ。眷属との意思疎通が密であるとして、見えている感覚が違うにもかかわらず青い月アオイツキに反応する理由なんて、一つだろうに」


 話しを終えていないアラームの少し暗い練色ねりいろが覗く頬に、これまで動きを見せなかった雪河セツカが小麦色の肌をした頬を寄せて親愛行動をとっている。しかし、よく見ればアラームの耳元で何事かを囁いていた。


「捕らえられた軍使が辿る未来を覚悟していたとしても、この状況の希少性は規格外ではないのかな? 役目とは言え、うら若きお嬢さんが敵陣へ連れ込まれたのだから」


 これまでのアラームの発言は、執拗な脅しとも取れる言い方だが、並みの軍使には通用しない水準だ。ところが間もなく、それぞれの視線を集めていた兎の垂れた耳が、小刻みに震え始める。


「そうだな。ウンケイから解答を頂戴しようか」


 温かな麹粥こうじかゆに満足そうに片目を緩ませていたウンケイは、隙を突かれたが気を立て直したらしく、ご満悦体勢からお仕事の気概に切り換える事に成功した。


 アラームは、揺るがない心得に自信を持っているようだ。ウンケイ、メイケイのクリーガー兄弟の評判は師の璜準コウジュンを遥かに超え、答えるには僅差だが弟のウンケイが適任である事を。

 特に、種族を問わず異性からの好感度は比ではない事を。何よりも、生理活動をする相手にとって天敵のような種族特性を。


「ウンケイの嗅覚は、この穴兎アナウサギの事を何者だと告げているのかな?」


「参りました、ですぅ」


 ウンケイの答えを待たず、一同が共有しているが起きた。これは小さな三つ叉の鼻の下で、短い言葉が絞り出されるように表れ、その声質は若い女性を思わせる高さに相当する。


 相手が種族の性質を熟知している上に、長所である〝可愛かわいい〟が全く通用しない事に対する降参でもあるかのようだった。





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