五十四の節 可愛いは、一騎当千。 その三




 話しは、四日前に遡る。


 一行いっこうがルリヒエリタを出立したのは、霧が陽光に払われる頃合い。直前まで、カーダーは馴染みの娼館で複数の華を愛でていた。

 カーダーが愉楽の余韻に浸り微睡まどろんでいた所、時計の長針が一周しないうちに別れたはずのアラームが、街並みの屋根を伝い窓から乱入した。

 一方的に押し付けて来る、アラームの説明と事情を浴びつつ身支度を整え、兄弟と呼び合う船団・商隊員に見送られ、カーダーは現在に至る。


「真面目過ぎるビルジには、刺激が強い話しだなぁ、おい」


 円卓の付近にある棚に用があったらしく、冊子を手にしたヴァリーが暖炉への帰り際、無精髭の顔に下世話な笑みを貼り付けながら一言を投げ付けた。


 言われたヒト族の青年は文句の一つでも返したいだろうに、階級と性格からか言い返そうとはせず、表情や態度を濁しただけで済ませている。


「大変失礼な質問で恐縮ですが、ビルジとは本名なのですか」


 カップに満たされている、香辛料で風味を付けた麹粥こうじかゆ一口ひとくち飲んだカーダーは青年に問う。


「それが、その。名は、ザウガー・エメルトです。中隊士長と出会った頃の事を、からかって呼ぶんです」


「ビルジって、アレですよね。染み出す海水や、船上生活の排水などが船底に溜まる汚水」


 レイスが差した通りの物だが、放置しておくと船体の寿命を縮めるため、排出するための装置も当然備え付けられている。

 余談ではあるが、一行いっこうが海上で海賊の襲撃を受けた際、アラームがビルジを汲み出し空き瓶に詰め込み、海賊船籍へ撒き散らした事がある。効果は絶大だったものの当然ながら飛沫となり、運悪く海風によって自陣にも被害をもたらし非難を浴びていた。


『どうなるのか、試してみたかった』


 悪びれもせず理由を語ったアラームは再び、大いに非難を集中砲火の如く浴びる結果となる。


「嫌な事を思い出させるんじゃねぇよ」


 当時を思い出した様子の璜準コウジュンが、優男顔に不快をにじませる。


「それくらい。いいや、それ以上の悪臭だったんですよ。ビルジは」


 こちらも被害者だと言わんばかりに、ヴァリーが盛大に溜め息を吐く。


「オラっちも、ここに来るまで色々と経験したから言えるもんです。悪いが、四不浄しふじょうの臭いを集めて煮詰めて発酵させて、千年寝かしてもあんな臭いにはならないだろうよ」


 四不浄しふじょうは、主にセイシャンナ正教セイキョウ気枯れケガレを表現するために用いられている。

 赤、青、白、黒に色分けをされた不浄を表していた。赤は悪血や経血、出産時などの出血を含む血の不浄。青は子種の不浄。白は屎尿しにょうの不浄。黒は死骸の不浄である。


 これは元々存在する概念で、地域によっては示す色や表現、内容が変化している。気枯れケガレあるいは穢れケガレは、太古より忌避され遠ざける慣例がある証明だった。

 

「何だよ。私からも異臭が漂っているのか?」


 こちらは冗談混じりで、アラームは視線を注ぐ相手に薄く笑った口元を向ける。


御宅おたくさんを見て、何かモヤモヤすると思っていたんだが、ビルジで思い出した」


 今度はヴァリーが、一人だけ正解に気付いたと言わんばかりの安堵と開放感を無精髭に浮かべる。


「正確な時期は思い出せませんが、少し前に変な問い掛けをする不審人物の情報があったな~と」


「内容は?」


「確か〝物凄い異臭を放つ少年を見掛けなかったか〟でしたね。そいつの背格好が、御宅おたくさんの様子と似ていたんですよ」


 用意された物に手を付けないのも無作法と、気を遣い糧食に手を伸ばしていたメイケイ、ウンケイも話しに意識を向け始めたらしい。報告書の整頓に区切りを付け、ヴァリーとアラームの会話を見守っている。


「質問の内容はともかく、背格好と言う点では、シザーレ眞導都市マドウトシ黒の群狼クロノグンロウのようですね」


 興味を引かれたのか、カーダーが妙な会話の輪に一言を投じた。


「あ~、やっぱそうなっちゃいます? 我々としては今も昔も、悪い相手としては見ていないので検束けんそくだとか、危害を加えようなんて気はありませんけれどね。質問がソレでしょう? 臭いって何なの? ってなるじゃないですか」


「妙な質問をした相手と直接会ったのか? それと、どの方角へ向かったんだ?」


「ええ、会いましたよ。クリラ族が、どこにいるかって尋ねて来たもので取りあえず定住地に繋がっている、ナゲサイン街道の入口を教えたのに、筋違いのラスイテ街道方面へ行こうとするので、また引き留めたりとか」


 アラームに答えるヴァリーは、手にする冊子の背を空いているてのひらで上下させながら、記憶を辿っているようだ。


「お知り合いなんですか?」


「多分、探し相手だよ。もう一人、連れがいるはずだ」


 今度は、アラームだけが納得する推測に区切りを付けたらしく、広げていた紙面を束ね始めた。


群狼グンロウは方向音痴が多い。普段、眞導マドウに頼ってばかりだからだろう。情けない」


「アラームなど、我がいなければ屋敷ですら迷い子になるだろうに」


 何の前置きも前兆もなく、雪河セツカがアラームの左側の耳元で囁くような姿で現れた。塵の一つ、髪の一筋も舞わせる事もなく。元から存在していたかのように、空気の揺らぎさえ与えずに。


 この光景には、アラーム以外の全員がそれぞれの場所で驚き、声を立てる兵卒もいた。


 アラーム以外の誰もが、現状の説明を欲する要求に言動を反映させようと努めていると思われる所。事態は、これまでに止まらなかった。


 ようやく暖かくなった、一室の扉が勢い良く開け放たれる。冷えに冷えている通路の気温と、元気な少年が早朝の清涼な空気を纏いながら乱入した。


璜準コウジュン! 見てよ、この兎! 璜準コウジュンが好きそうな毛並みの兎だけど、悪い奴だから捕まえて来てあげたよ!」


 絽候ロコウが腕に抱えていたのは、カファ種と呼ばれる中型の穴兎系統の兎。茶色で目の周りが白く、垂れ耳が特徴だった。


「場を読めよ子ザル。俺達は、これから軍事と和平の均衡について包括的かつ斬新な提案によって解決に至る重要な事案を模索しなければならない」


 絽候ロコウではなく、兎に魅了され我欲を抑えられず、意味不明な語彙を自然体で並べる。言葉と行動が伴わない璜準コウジュンは、暖炉に当てていた両手をの位置をそのままに、着膨れする身体を庇いながら絽候ロコウへとにじり寄る。


璜準コウジュン、何を言ってるのか全然判らない。それと、不気味だし怖いよ」


「止まれ、璜準コウジュン。これ以上、粗相を重ねるな。交渉が決裂したら、どうしてくれるんだ」


 発言者のアラームに対して、勢い良く首を向けた璜準コウジュンが、予想するまでもない非難を言い放つために口を歪めたのと同時に、アラームが言葉で制した。その内容は、周囲を瞬時に凍り付かせる。


絽候ロコウが抱えているのは、カネル君主都市陣営の軍使ぐんし殿だよ」


 アラーム以外、この場にいる全員が恐らく生まれて初めてくらいの速度で絽候ロコウの胸元にいるカファ種へ、視線と言わず意識の全てを注ぎ込むと、微動だにしなくなった。





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