六十一の節 鬨の奮え、風の謳い。 その一




 翌日、トの七号トノナナゴウの開けた登頂区域。テフリタ・ノノメキ都市の防衛を担う、討伐大隊・北部方面第四部隊が、着々と軍備を進める早朝の中。

 簡易暖房器具、要は焚き火で暖を取っている暢気のんきな一角があった。


「ここからの朝焼け風景も、悪くないな」


トの七号トノナナゴウは、この辺りの中で一番の高さがあるので眺めも良好です。もうすぐ、周辺の山々にある広葉樹が色付き、常緑樹との色合いの差を楽しむ事が出来ますよ」


 璜準コウジュンの眼差しは、眞素マソで霞む事がない風景に、少々の感動を差し入れている様子だった。

 璜準コウジュンくちにした感慨は、昇り始めた陽光が照らし、案内役を買って出たベリザリオの説明にあった人工の平地と丘陵が織り成す色調の変化にあった思われる。


璜準太師コウジュンタイシ様は、世界レーフの天井と呼ばれるエーメ・アシャントの裾野、カンテ・シュタート州にいらっしゃったとか。景勝地として素晴らしい場所と聞き及んでいます」


「確かにな。切り立った山間に湖に、街へ注ぐセロー河。湖岸に張り付くように立ち並ぶ、小鳥みたいな色をした店舗や住居。思えば、住めば都だったな」


 寒さで鼻の頭を赤くした璜準コウジュンは、感慨深そうに記憶を並べた。


「素敵な所ですね。いつの日か行ってみたいです」


「今は、どうなってるんだろうな。敗走してから何度か満月を経たし、セイハイネの貞操帯も破られている可能性もあるしな」


 南下する紫の蛮族を迎え撃つために、戦闘要員は毎回四二一〇よんせんにひゃくじゅうガッセ(約、八〇〇〇メートル)級の尾根を越える、あるいは迂回している訳ではない。

 北壁戦線と呼ばれる指定激戦区のヴェクスター・ライヒ州と景勝地のカンテ・シュタート州を直線で繋ぐ、最短直線距離で五十四ごじゅうよんマイナム(約、二一〇にひゃくじゅうキロメートル)の長距離洞門を往復していた。

 その堅牢な扉を、セイハイネの貞操帯。通路は、処女の産道ヴァシリア・ハイネと呼ばれている。


 戦線を張っていた時間へ思いを馳せているのか、璜準コウジュンの視界には別の風景が映り込んでいるような遠い目をしていた。


「それはそうと、俺を〝璜準太師コウジュンタイシ〟って信用出来たな。着る物も、手にしていた物も違うってのによ」


「カヤナ大陸にもセイシャンナ正教セイキョウの布教があって久しく、救済院も各地に設置されておりますし色々と、お噂も情報も流れて来ます。それに、ヴァリー中隊士長は元々フィーツ・ワイテ帝国の軍人でした。ワルテル少将の部下だったらしく、又聞きの又聞きで多少の特徴を存じ上げていたようです」


「海を越えて、俺の噂が流れているとはねぇ」


「それと、個人的に確信する件が


「ほう? 何だい」


「一つはそちらの、お付きの方が身に着けていらっしゃる飾り帯です。実家で手配した、ドルルフ氏族クランとクリラ氏族クランの手による最高級の留め具と絹織物。儀仗ぎじょうに装着される帯の納品先は、貴方だと記憶しています」


 思わぬ所で身分証明の役に立っていた事に、控えていたメイケイとウンケイも、黒い瞳が驚きの色に変わっていた。


「もう一つは、鈴蘭の割り符をお持ちだった事です。しかも、飛び切り上等の〝黒い鈴蘭の女主人〟の眞素マソによる刻印がほどこされた物。昨夜に案内した、ヴァリー中隊士長も驚いていましたからね」


「は? あれって、そんなに凄いモンなの?」


「え?」


「え?」


「冗談は、お止めください。あの割り符は、おや?」


 璜準コウジュンの短い返事を受けたベリザリオが、言葉を途切らせた。共通点を認識し始めていた彼らに向かって、話し声が寄って来たのだ。冷えた空気には、きもが据わった男の声が散っている。


「承服しかねる。野砲と馬を下げるなど正気の沙汰ではない。我々に降伏を促しているのか!? ヴァリー、この客人の意図は何なのだ!」


「ヴァリー、話しが通じていないぞ。どう言う事だ?」


 上官と客人に挟まれたヴァリーが、バスカとアラームの後から追随している。


 経緯いきさつとしては、アラームが独断で施行しようとしている作戦のため、野砲を下げ軍馬をレレウト河の向こうに移動するように指示すると、バスカは堪らずと言った様子で反撃したのだ。


「諦めろ、バスカ殿。軍事機関は、都市国家における最重要機密の一つだ。安易に部外者を招き入れた時点で、偉そうな物言いなど出来ないと言う事を今日をもって教訓とされよ」


 アラームの言葉を受けたバスカの表情は、身長差も手伝い下からめ付け威嚇する山犬のようだった。


「納得など出来るはずがない。音に敏感なラヴィン・トット族と、その眷属けんぞくは空砲に反応し動きが鈍る。前回も、お陰で隙を突き撤退させる機会を得た」


「現実は、撤退させただけだ。撤退後、相手方は陣を崩してカネル君主都市へと帰ったのか? 違うだろう。軍使を派遣し、陣を組み、特等席で君主が戦況を臨む席を築く余裕まである」


 アラームが並べているのは、先日帰参したハニィとシシィからもたらされた情報の一部だ。これらはテフリタ・ノノメキ都市とアラーム側が同時に同じ場所で文書化し共有された物だ。

 大盤振る舞いで相手を持ち上げ、テフリタ・ノノメキ都市の面目を立てる事にもなった。あくまでも、テフリタ・ノノメキ都市の恩情によって、諜報活動が叶ったと言う名目でもある。


「音で追い払っても、危機は去る事はない。アラームの案を取れば、ウサギさん達に多大な被害が出るのか」


 璜準コウジュンは、私情を挟む言葉をいた。誰に聞かせるでもなく、届ける訳でもない独白に似た響きでもあるようだった。


「このまま雪河セツカの意向通りに動けば、カネル君主国は臣民を含めて焦土になる」


 独白を拾ったアラームの言い様に、臆面もなく璜準コウジュンは不快感を表した。


「焼きウサギを見るのは嫌なのか。この先の冬に備えて、食糧の足しになるかもしれないのに」


と一緒にするな! 俺は人間なんて喰わねぇよ!」


 突然、感情を跳ね上げた璜準コウジュンは激昂する。その姿を、控えていたクリーガー兄弟が心配そうに見守っていた。


「ラヴィン・トット族を食べろとは言っていないが、璜準コウジュンは面白い事を言う。兎の毛皮を被り、昨日の夕食ではカーダーの眼前で豚肉料理を頬張る。その感覚は本当に不思議だよ」


 口元しか見えないアラームの整い過ぎる唇は、遠慮のない薄い笑みを引く。璜準コウジュンを挑発しているようにも見て取れる。


「そもそも。カネル様に指名された俺達が、素直にカネル君主都市陣営に行けば、物騒な事にはならないんじゃねぇの?」


「愚か者」


 間髪入れず、アラームは璜準コウジュンの言葉を叩き伏せた。


「北壁戦線で紫の蛮族を数え切れない程にほふって来た、青鬼ヴラーオ・ディモネの発言とは想えないな」


 反論するため、薄い唇を開こうとする璜準コウジュンを押さえ、アラームは一方的に言葉を重ねる。


「交渉と言うのは、どちらにせよ圧倒的な優位が保たれた上で行うものだ。相手が反抗も構想も起こさせない程の抑止力を背景とする。あるいは政体も国体も砕き、ねじ伏せる材料を用意しなければならない。呼び付けられ、進んで玩具になる璜準コウジュンに、交渉としての価値など皆無だ。行った所で、テフリタ・ノノメキ都市と、カネル君主都市との間にある争いは解決しないよ」


 アラームとバスカの一行から遅れ、ようやく丘陵の登頂区域へと着いたカーダーとレイスは、言葉を包まないアラームの言葉で迎えられた。


 胡蝶館コチョウカンでの呼応は、一体何だったのか。日を追うたびに、カネル君主都市を助けるのではなく、殲滅するための算段を重ねているようにしか考えられない様子のアラーム。

 それに対し、付属する正論に反抗出来ず不満だけを燻らせ、懊悩おうのうの色を濃くしているようにも見える璜準コウジュンの表情は、閉じたくち以上に硬くなっていった。


「では璜準コウジュン。焼きウサギが嫌なら、メイケイとウンケイを貸してくれ」


「はぁ!?」


 璜準コウジュンの間の抜けた息に合わせ、この場にいたほぼ全員がアラームか、メイケイとウンケイに視線を注いだ。





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