五十三の節 可愛いは、一騎当千。 その二




 冬の気配は等しく街を覆う。いつもと変わらない早朝を飾るのは、放射冷却現象の名残なごり。細かな水蒸気が、昇り始めた陽光の中でうねり連なるように踊る。


 季節の陽の長さの差はあれど、朝はやって来る。夜が明ける前から家事に携わる者は井戸より水を汲み、掃き清め、かまどや暖炉に火を入れ、主人を起こす準備を整える。


 ある日の、ある大邸宅。ここは主人の意向により、肌の色、瞳の色も様々な老若男女のヒト族によって維持管理される、テフリタ・ノノメキ都市最大の敷地と延べ床面積を誇っていた。まるで、真の王者と言わんばかりの大邸宅の造りは、スーヤ大陸のほぼ中央に位置する、フィーツ・ワイテ帝国式の城を思わせる。


 身支度を済ませ、日を重ねる度に気温が低くなる季節の変化に身を縮め、白い息を漂わせる使用人達が目にしたのは、刈り残してあったはずの一画が既に整えられた庭園。


 あるいは使用人控え室ばかりか、主人家族のための食堂に立つ、朝食の湯気と芳香。火が小気味良くぜる、かまどや暖炉だった。


 奇妙な幸運に似た事象に遭遇した者は目撃し、口を揃えて証言する。


ウサギが跳ねて踊り、地面に沈んで消えた」


 上役や同僚に、それぞれの熱量を込め感想を撒き散らした。




 ◇◆◇




 レレウト河の北側に位置し、テフリタ・ノノメキ都市に最も近い人工丘陵地を、トの七号トノナナゴウと呼ぶ。有事の際は文字通り出城でじろの役割を果たす。

 カネル君主都市の宣戦布告を受けた現在は、最終防衛戦線基地の本領を担っている。


 そんな木造平屋の一区画。様相は簡素ながらも、ヒト族成人くらいなら、十名を余裕で休憩させる事が可能な一室。火がおこされ間もない暖炉の前に、ヒト族二名が陣取っていた。


「それ、普通に侵入されているだろうがよ。キャー! 可愛い! とか昂揚してんじゃねぇよ。鏡を見ろ、歳を思い出せっての」


 二人のうち、屈み込む側。青い民族衣装の特徴を持つ制服姿の男性が、寒さで奥歯を噛みつつ毒を吐いた。


「俺に言わせりゃ、ラヴィン・トット族の愛らしさに感銘を受けない奴の神経の方を疑うけどな」


「ははっ、兎を貼り付けた盾を持って攻めたら御宅おたくさん、ボロッボロにやられそうだな」


「否定出来ないのがつらいねぇ」


 話し相手は、その隣で簡易椅子に腰掛けながら節くれ立つ両手を暖炉にかざしている。白い顔をさらに白くさせ、山犬や兎など毛皮で防寒し、限界にまで着膨れした璜準コウジュンだった。


 二人の会話は、先の報告書を介しての事だ。彼らの背後には、機能重視の円卓が備え付けられている。この施設は、主に都市や解体された船の廃材で建造されており、目に付く調度品も例外ではない。


 甲板こういたに付いたきずに思いを馳せる者もなく、新たに役目を与えられた飴色の円卓には湯気を立てる珈琲と、朝食代わりの保存食中心の戦闘糧食。朝一番で届けられた紙の束を、一枚づつ回し読みをする面々が円卓に着席し固まっている。


 アラーム、クリーガー兄弟、カーダー、レイスだった。


「失礼致します! ヴァリー中隊士長、チェーザリー家の方が陳情書を持参されました」


 二枚の引き戸の片方が駒に乗り開け放たれ、一室と通路を繋いだ。姿勢も滑舌も良く報告するのは、ノノメキ族が統轄する討伐隊所属を明らかにする青い制服姿の一兵卒の青年。


「またかよ面倒臭いな。仮設牢にブチ込んどけ? そんな事より寒いから早く扉を閉めろ」


 璜準コウジュンの隣で暖を取る格好のまま、受けた報告を明後日の方向へ投げ出したのは、ルリヒエリタからの珍客の世話係を負わされた、討伐隊北部方面第四部隊ウェルグ・ヴァリー中隊士長。


「お気持ちは、お察ししますが出来ません。知ってるクセに」


 緩めの軍紀を漂わせるやり取りは、止める者もいさめる者も現れずしばし続く。


「大体さ、街を守る側に被害が出ている中でよ? 〝兎ちゃんには、怪我をさせないでェ~。兎ちゃんは、私達のお手伝いをしてくれてるのよォ~〟って何なの。オラっちは、チェーザリー夫人のそう言う所って理解したくないわァ~」


 本人の真似のつもりか、侮蔑しているのか。口を尖らせ、首を揺らしながら不自然な抑揚を付けて、ヴァリーは発言する。


 テフリタ・ノノメキ都市から伸びる、街道利権を握るチェーザリー家と、女主人への不満を客人の前で堂々とヴァリーはこぼした。


「中隊士長、その辺りで止めた方が良いのでは。お客人も、いらっしゃいますし」


 今更ながらの言葉を見付けた部下を背に、ヴァリーの愚痴は止まらなかった。


「戦闘で不都合なのは、守る側が目の前の危機に気付かず、敵を進んで招き入れようとする事だ。趣味だろうが利権だろうが関係ない。気楽なものだ」


 報告書を読み終えたアラームが、誰を相手に指定する訳でもなく語り出す。


「そうだとしても、役割は果たさなければならない。大変だな」


 他人事のようにアラームは締め括り、ヴァリーの不都合な発言をさえぎった。現状に相応しい空気を構築する。


の意向はハニィを通じて、カネル君主都市陣営に届いた頃合いだ。そろそろ、向こうの軍使ぐんしが様子を探りに来るだろう」


 夜明けと同時。アラームが言う通り、国や機構を負わず仲介を買って出た有力者の名を連ねた書簡をハニィ夫妻に託していた。

 ハニィ達ニンゲン属ビヨ・ネウ種モモト族は、古来から所属の仲立ちを得意とし、容姿も手伝い処世術に長ける種族だ。


 ニンゲン属ウサギ種ラヴィン・トット族が天然のなら、ニンゲン属ビヨ・ネウ種モモト族は勤勉によって培って来たと言えるだろう。


「失礼、貴殿の心遣い誠に痛み入ります」


 姿勢も声音も変え、アラームに向き直ったヴァリーは軍人らしく最敬礼を示す。その辺りのは遵守する人種らしい。


 ややあって。チェーザリー家からの使者を、いつも通りの方法で追い返す指示を現場に伝え終えた先程の一兵卒の青年は、客人と自陣の人員が混じる一室に不備がないかを見渡している様子だった。


 そこで彼は、かつて一ノ海イチノウミを往復していた大型帆船の甲板に使用された堅い床材に、軍靴で音を置きながら移動する。その先は、流れが一段落した円卓で新たな紙の束を広げ始めたアラームの席だった。


「お客人、昨日も何も召し上がっていないと伺っておりますので、街から何か持参しましょうか」


 声を掛けられたアラームは、相変わらず目深に被る黒い頭巾フーザを最小限の角度で青年に向けて動かす。


「要らないよ。何かと入り用だろう? 戦闘中の上、クリラ族にも兵站や備蓄を開放しているそうだし。押し掛けの私達が摂らないからと言って配分は変わらないだろうが、これ以上の配慮は無用だ」


 各人の席には糧食が配膳されているが、飲み物以外には手を付けた痕跡はない。


「その通りですよ。客人扱いで手厚く持てなしてくださるのは有難ありがたい事です。何も食べないアラームと一緒にされると困りますが、我々も多少の糧食は持ち合わせておりますし、璜準太師コウジュンタイシ一行も日々の修行の賜物が御座いましょう。私も、船上生活での摂食配分で慣れています。食べられない事に比べたら、アラームに美女を剥ぎ取られた事の方が辛いです」


 アラームの発言に追随した、多弁なカーダーが語る内容の後半に対して、青年は一気に緊張感と共に表情を崩した。





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