五十の節 夜明けの綺想曲。 その三




「まあ! ネコちゃん! ネコちゃん!」


 言うが早いか、リルカナの獲物を捕らえる鷹を思わせる動きを見せた。片方の人影は攫われ、既にその腕の中だ。


 地上に残された、もう片方の人影から鈴を転がすような声が響く。


「またハニィが捕まるなんて! どうしてハニィばかり!」


「男性の三毛は珍しいんですもの。イエネコの世界でも、遺伝子異常で一万~三万分の一の確率じゃないと生まれないのよ」


「確かに三毛は女性ばかりだから、ハニィも女性だと間違われていたわよね」


 リルカナの指摘は正しいものだった。実情を差されたシシィは、妙に納得した思いを声に乗せると、他人事のようにダーリン愛しい人を眺めた。


「そんな事よりも~っ 報告、報告させてくださいっ」


 心地良さと使命感の狭間で、ハニィは声を張る。


 リルカナが丁寧に、ハニィを解放した。だが、健康美があふれる綺麗な顔には、未練たっぷりの余韻を残している。


 遅れを取ってしまったハニィは、頭巾フーザを被り直しながら動揺を拭い去ろうとしているようだった。


「旧シザーレ眞導都市マドウトシに所属しておりました、ハニィ・ラッテン・ラソスと申します。こちらは、同じく妻のシシィ・ミンテ・ラソスです」


 幾度となく生命と使命を守ってくれた黒の群狼クロノグンロウの制服の乱れと姿勢を整えた後、ハニィは名乗り出た。シシィも、紹介に応え軽めの会釈をする。


「素敵、御夫婦で仕事をしているのね。アタシ、リルカナ。氏族クランはクリラに属しているわ」


 クリラ族の女性らしい形の瞳が、穏やかに細くなる。そんな仕草を混ぜながら、リルカナは自らの身を明らかにした。


 ついで、ハドが流れで自己紹介をしようとしたらしく、息を吸い込んだ時だった。


「グランツ・ユグレス様の御子息、グランツ・ハーシェガルド様でいらっしゃいますね。アラーム・ラーア様より伝言を届けに参りました」


 ハドは、ハニィに出端ではなを折られてしまった形になった。複雑そうな思いを浮かべた様子ながらも、明確に氏名に間違いがない事を示す。


 そのような事で、話しを阻害してしまわないようにとの気遣きづかいが見て取れる。


胡蝶館コチョウカンに滞在中だったアラーム様御一行は、カーダー・マッカン様をともなわれ、テフリタ・ノノメキ都市へと向かわれました。同都市で起きている、カネル君主都市との交戦危機が真偽であるかを確かめるためです」


「えっ、そんな事が起きていたんですか」


 報告の内容に、ハドが素直だが敬語を用いた感想を述べる。元とは言え、所属先の大先輩。その上、有名な運命の双刃シクサル・ミスクリージのハニィに対し、ハドは礼節を通した。


「失礼ですが、通り道だったのでは? お身内で噂になりませんでしたか」


 対するハニィも敬語を使用した。依頼主の伝達対象者かつ、所属先が解散した事により相手本来の身分を重視したからに他ならない。


 互いが常識と礼節を介し、関係を構築しようと試みている事が見て取れる。


「僕達はトスカレスヤ街道を通って、ルリヒエリタに一番近いネルフロ交易路で叔父達と合流したので、知りませんでした。その叔父からも、話しは聞いていません」


 ここで、ハドが通った道筋と交錯する時間差が明らかになる。


 ハドの説明にあったトスカレスヤ街道は、カヤナ大陸の西側を縦断する街道の一つだった。

 ハニィが想定していたであろう、テフリタ・ノノメキ都市とルリヒエリタを東西に繋ぐ、マハヤハイヤ街道ではなかったようだ。


 参考までに。アラーム達はマハヤハイヤ街道を利用し、それぞれの移動手段を駆使した上で最大限の速度を保ちながら、今も突き進んでいる。


「しかし、トスカレスヤ街道を通るような用件などあるのですか? あの辺りは古戦場や、打ち捨てられた坑道があるばかりでしょう」


 ハニィが指摘したように、トスカレスヤ街道を利用する先には、かつて人々が賑わせた残照があった。

 さらに北上すると、カヤナ内陸部の天険てんけんヨセマハイヤ連峰とは違うおもむきがある、ウルレクス山、マキリメの氷の山脈の背景を持つ。


 寒冷な大陸性気候風土でありながら、南部に深い山林を擁している。その理由は、世界レーフを渡る偉大な風によってもたらされる豊富な雨量のためだった。


「それが、スカーレイヤの辺りに、いつの間にか五〇人規模の集落が出来ていたのよ。アタシ達は近隣の氏族クランに頼まれて、サリニエリに出品するための物資を回収したの」


 リルカナは、礼節など取り払い性分に従う対応をした。彼女が言うスカーレイヤは、氷河地帯の遥か手前にあるカヤナ大陸の北西に位置する、小規模な海運補給基地跡がある辺りだ。


「そうでしたか。そのような場所に、集落が形成されていたとは知りませんでした」


 ハニィが、頭巾フーザの端をつまみ被る深さを整えた。カヤナ大陸の地図は頭に入っているが、最新の情報までは把握していない様子のハニィの言葉に、リルカナは続ける。


「アタシ達にとっては〝忌み地イミチ〟なの。だから定住しようなんて思わないけれど、入植者には関係がないみたい。冬に咲く種類なのかしら。付近にエールの群生地があって、とても綺麗な風景だったわ」


 リルカナの情報は、ハニィ達に有益かどうかは不明だった。だが記憶に、または紙面に留め依頼主に報告する必要性がある。

 何故なら、得た情報は全て排出するようにとの要請があったからだ。


 隣り合うハニィとシシィが、少しだけ顔を寄せる。小声で相談中だと周囲に思わせるが、物音も合図らしき動きもない。


 ヒト族には聞こえない〝内緒話〟の最中だった。





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