六十三の節 鬨の奮え、風の謳い。 その三




 雲一つない空には、朝も半ばに昇った陽と白い円環が斜めに走るだけ。初冬の乾いた空気に含まれる湿度は低く、天候の崩れを示す兆しなど一点もない。


 そんな虚空に、三つ叉の鼻を向ける者がいた。


「ツルスベ共は、さぞ優越感に浸っている事だろう。ポムルの報告では、野砲の準備が整っていたとあったからな」


 ここは、カネル君主都市陣営。堂々とした雄々しい声と体躯は、平均的なラヴィン・トット族を上回る。種族が持つはずの、繊細な毛並みとは程遠い立派な剛毛は濃い灰色。その持ち主は、侵攻軍の第二波を率いるニアミノフ騎士団長だった。


「我々にとって、音が戦況を左右すると知られているのは百も承知。対策を講じないとでも思ったのかね」


 標準的な種族体型の同僚である白と黒が混じる毛並みを持つフォービィ副参謀長は、毛織物で出来た二股の手袋ミトンを揉み手しながら答える。おべっかの仕草ではなく、暖を起こすためのものだ。


「それでは、火薬を精々無駄にしてもらうとするか」


「ヒト族の損得勘定が分からん。交戦下にあっても、我々との火薬の取引を止めようともしない」


「ツルスベ共の利益への執着は、我々の理解を超える」


 ニアミノフ騎士団長は、照柿てりがき色に板金された機動力重視の綿襖甲ブリガンダインの上で、逞しい腕を組んだ。


「そんな事よりも頃合いだな。これ以上、カネル様をお待たせする訳にはいかない。囃子隊はやしたいを進行させよ」


「承知」


 ニアミノフの指示が伝播すると、ラヴィン・トット族とは思えない程に屈強な一団が、一斉に呼応した。




 ◇◆◇




「空気の流れがおかしい。雨が降れば野砲など役に立たなくなる!」


 鳥の警告のように甲高い少女の声が、出陣前で人員と兵装が行き交う中を貫いた。


御嬢おじょう、無茶を申すな。俺の一存で実行出来るはずがない」


「貴重な火薬が駄目になっても良いのか! それにハイナ・アレハは、この軍勢を率いる長の腹心だろう。長に言って聞かせよ!」


御嬢おじょう、本当に勘弁してくれ」


 トの七号トノナナゴウの中腹。その中継地点にある兵営の一角で、ハイナ・アレハが目線も低く、苦渋を浮かべるている。絞り出すような声でうなる先には、黒を基調とした刺繍も貴金属の装飾も見事な、クリラ氏族クランの民族衣装をまとう少女の姿があった。


「良かったな、お嬢ちゃん。望み通り野砲は下げてやる」


「インゴ、それはまことで御座るか!?」


 ハイナ・アレハが願ってもいなかったであろう言葉を手土産に、インゴはクリラ氏族クランの少女に大きな影を落とした。


「何度言えば分かる! 私の名は、キサラメだと言っているだろう! それはそうと、野砲を下げるとは本当か」


 ハイナ・アレハには〝御嬢〟と呼ぶ事を許し、インゴには許していないクリラ氏族クランの少女。キサラメと語る彼女は、非難と状況の変化に満足する顔色を、コロコロ変えながら張りのある小麦色の肌に乗せていた。


「ああ、本当だ。姐御達が指示を送っている。馬も下げる指示も出ている。お嬢ちゃん達の自慢の馬も一緒に、レレウト河畔まで移動してもらう」


 堅めの標準語で降り注がれるインゴの物言いに、キサラメは可憐な唇を開こうとしたが、別方向から飛んで来た穏やかな声にさえぎられた。


「ご自慢の馬、今期の保存食にされたいの? 言われた通りにしないと、作戦中に馬が暴れて怪我をするかもしれないのよ。怪我の具合によっては、馬を処分しなければならないわ。ここは戦場だから、指示に従ってもらうわね。それとも、今すぐ保存食の準備に掛かりましょうか?」


 小柄なターヤだが、隊士が行き交う波を割りながら柔らかい声をそのままに届ける。あれだけ勢いがあったキサラメは、異なる空気を撒き散らすターヤの言葉に舌を動かす事を封じられてしまったようだ。


 この機会を逃すハイナ・アレハとインゴではなかった。軍馬の移動と合わせ、キサラメを中心とした外部志願兵のクリラ氏族クランに退場を促し勢いを得て、それを果たす事に成功した。




 ◇◆◇




 テフリタ・ノノメキ都市から北西に伸びる街道を、ラスイテと言う。散歩気分で進む事、三十六分後。カマイさんとアーヴィさんの畑と呼ばれる広大な平地が視界を奪う。

 今年はトウモロコシが大豊作。収穫期には、カマイさんとアーヴィさんが雇う職人達は満面の笑みで摘み、搬送、加工を行った。


 来年からは休耕地となり、枯れた茎や土に還すための摘果跡が散っているが、最低限の整地が成されている。


 現在。カマイさんとアーヴィさんの畑は、開戦時の四日前から戦闘使用地として貸し出されていた。決して少額ではない代金は、敗戦側が支払う事になっている。

 畝が広がる耕地部分ではなく多目的作業区域に当たる石畳整地カ所で、ラヴィン・トットにしては屈強な男達は、八列の陣を構築し展開した。


 相手を呼び出し、その距離を詰め披露されるいくさの挨拶は、演者の度量を見せ付け自陣を鼓舞し、勝利を四方八方の大いなる存在に願いたてまつる崇高な儀礼でもあった。


「ついに、本物の鬨の奮えウォークライを目にする事が叶うなんて。私は幸せ者です」


 思い切り非戦闘員姿のレイスが、筆記具と紙の束を手に白皙の肌を紅潮させる。


 披露する側がいれば、その姿を見て取る側がいる。作法としては鬨の奮えウォークライ中に戦闘行動を取らなければ問題はないとされた。

 要は、互いの威嚇の応酬の場に相当する。野次を入れようが、阻害する音を立てる事も許容されるが、敬意を込める必要はあった。


 陽光を乱反射させる、鳴り物重視の綿襖甲ブリガンダインは、本隊の照柿色てりがきいろではなく紫紺色しこんいろ。紐腕、脚にも、赤系統で組まれた紐で連なる鳴り物の装飾がほどこされ、彼らが動く度に澄明な響きが何層にも重なり、それだけで和音を奏でていた。


 風に乗り、音は運ばれる。戦闘のときを告げるふるえ、ふるえさえも。


『我々は生存者。我々は諦めない。我々は止まらない。我々はやりげてみせる。我々は生き残ってみせる。この先も生きている。血脈が、魂が告げている』


 眷属けんぞくに通じる四肢の強靱さは跳躍を、一斉に踏み込み大地を叩く音は、大地の咆哮を思わせる。

 拍子に合わせ斉唱するうたいは、ラヴィン・トット族の男性の太い声が最大限の音量で、その喉を震わせた。


「立派な毛並みじゃねぇか。眷属けんぞくウサギで言うなら、茶色で目の周りが白い奴が良いんだよな。あの配色こそ最高だ。垂れ耳なら、なお良し」


「私は、灰色で耳の縁が白いウサギでしょうか」


「おぉ~、良い趣味してるじゃねぇか。くっ、鼻の周りが黒い奴も捨てがたい」


 レイスと璜準コウジュンが、好みのウサギの柄を語っていた。テフリタ・ノノメキ都市の陣営の隊士達は、整列こそしていなかったが、先日の被害もあり多少の気を張っていた。

 所が、レイスと璜準コウジュンの周辺は物見遊山の気配が伝播したのか、周囲の隊士達は悪い意味での弛緩しかんさらしている。


「お前さんは、どんな柄のウサギが好みなんだよ」


 話しの流れで、璜準コウジュンは左隣にいたアラームに声を掛けた。しかし次の瞬間、機嫌良く弾んでいた璜準コウジュンの声が消失した。


 璜準コウジュンの視界に入った顔が皆、アラームをはじめとして鬨の奮えウォークライを正面に据え、それぞれに身を置き、所属する敬礼の姿勢を取っていたのだった。





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