六十四の節 鬨の奮え、風の謳い。 その四




 それぞれの沈黙を伴う敬礼の姿は、相手への敬意を如実に表していた。テフリタ・ノノメキ都市に所属するヴァリー達の敬礼は、組んだてのひらを腹の上の位置にあてる姿。


 メイケイとウンケイは、セイシャンナ正教国セイキョウコク式の胸の位置での合掌がっしょう


 カーダーの敬礼は、真珠と香辛料の国でのかまえでこたえていた。腰帯の上から右の親指を右側の、左の親指を右側の骨盤付近に差し入れ、姿勢良く両肘を張る格好になっている。見ようによっては〝休め〟にも捉えられるが、真珠と香辛料の国では腰帯は重要な位置付けを担っている。


 祖父から父、父から子へと柄や素材。時には修繕を経て受け継がれる、サルダン族として生きる成人男性としての身の証しに相当するからだと、後日カーダーは語った。


 一方、アラームと雪河セツカ一見いっけんすると敬礼に見えないものだった。両の手を、両の側面に隙間なく添わせ、直立不動の姿勢。

 簡素だからこそ、あらも出来の良さもあらわとなり、心身に込められる決意や敬意が問われる形の一つに挙げられる。


 そんなアラームと雪河セツカの敬礼には、非の打ち所が見当たらなかった。


 やがて、戦鼓が鬨の奮えウォークライの終了を告げる。紫紺色しこんいろ綿襖甲ブリガンダインの演者達は、即席の舞台から去って行く。


「な、何だよ。良い子ちゃんぶって、か? こんな場面を見せ付けられて、黙っているの方が無理がある」


 ラヴィン・トット族の鬨の奮えウォークライの余韻を味わいつつ、自らの失態を回収、あるいは私語の気恥ずかしさを棚上げするかのように、璜準コウジュンはアラームに言い訳を伝える。


「昂揚する気持ちも判るよ。ロップス氏族クラン鬨の奮えウォークライは、オ・ニギ族の踏襲とうしゅうだからな。今はオ・ニギ族への尊崇も含め省略され、容姿も手伝い形式も変化しているが、一見の価値は計り知れない」


 璜準コウジュンの顔には、初耳と言わんばかりの驚きが青い月アオイツキに浮かんでいる。


、アラーム様は本物の鬨の奮えウォークライをご覧になった事があるのですね」


 レイスはくちにする非常識を掻き分けた言葉には、真実を得たい衝動に勝てないと言った風の響きがあった。何故なら、最後のオ・ニギ族がスーヤ大陸の北壁戦線で戦死して、一五〇ひゃくごじゅう年以上が経過していたからだ。


「あぁ、当然だ。だが、伝聞や情報を得る機会がある者は存在する。その者は、ラヴィン・トット族の鬨の奮えウォークライに敬意を払い、敬礼を捧げるものだ」


 応えるアラームの声が届いた者は驚き、あるいは顔色も変えず受け入れる様子が散見される中。鬨の奮えウォークライを見入っていた雑踏のような列の内で、急に身体の不調を訴える隊士が現れ出した。


 ある者は欠伸あくびを隠しもせず眠気を訴え、ある者は倦怠感を。また別の者は、偏頭痛や吐き気を吐露とろした。


「始まったな。移動するぞ」


 周囲の細波さざなみのようなうめきを置き去り、雪河セツカが冷めた口調で特定の相手に伝える。受けた相手は、少々の緊張と使命感を黒くつぶらな瞳で見据え返して来た。


「では、これより作戦行動に入る。見学するなら、それも構わないよ。驚きはするだろうが、実害はないに等しい」


 アラームは付近にいた、第二回目の接触交戦指揮官を担うバスカと、その補佐官にあたるヴァリーに上申する。

 いまだ、現実を飲み込めずにいる雰囲気を漂わせているようなバスカの黒い瞳には、折れた牙を抱えた山犬に似た風情があった。


「この期に及んで、騒ぐのは烏滸おこの沙汰に等しい。納得は出来ぬが、結果を期待している」


 歯切れは悪いが、現場を統轄する最高権限を持つバスカから正式な許可を得たアラームは、唯一感情の判別が叶う口元に嬉しそうな弧を描く。


 その笑みを確認した雪河セツカ、メイケイとウンケイは、予兆も断りもなく見えないかすみの向こう側へ消え入ってしまったかのように、突如として姿形をなくしてしまった。


 常識の範疇を超えた現実に、バスカと言わずヴァリーや腹心達が説明を求めるべきアラームの姿を見当てる事は、既に出来なかった。


 アラームもまた、姿を消してしまったのだから。それが合図であったかのように、一点の雲もなかった快晴の空には重く垂れ込めた暗い雲が滑り込んだ。間もなく、大地を叩き付ける風雨がいくつもの水溜まりを作り出した。




 ◇◆◇




「お見事に御座いますなのです。さすがはプティ様なのです」


「当然なのである。吾輩ワガハイは、誉れ高き武勇の血脈を受け継いだ長なのであるからな」


 遠く、局地的な雨雲を確認する小さな人影の群れの中に、その会話は立つ。


 その人影を収容するには大きすぎる間口と純白の天幕を背景にするのは、天幕と同じように透けるような純白の被毛を持つ青年男性のラヴィン・トット族。

 かたわらには、艶やかな茶色の被毛を持つ女性のラヴィントット族がいた。


「はぁ~。面倒ないくさなど早く終わらせて、新しいツルスベ共に撫で回されたいものである」


「ご期待くださいませなのです。カーダー様を筆頭に、美形揃いの若い男達なので御座いますなのです。一名、全貌は未確認なのですが、間違いなく極上の容姿を持つ男です」


「ポムルの審美眼は信用しているのである。ドドンと、まとめて連れて来るが良いのである」


 純白のラヴィン・トット族、プラッティン・マクシム・カネルは、小さな三つ叉の鼻から期待と共に息を漏らしていた。薄く閉じられた瞳は、これから訪れると信じて疑わない趣味の時間に、思いを馳せているようだ。


「それにしても気になりますのが、ポムルの報告にあったツルスベ共の野砲が展開していなかった事です。その上に」


「わぁわぁわぁ、もう聞く必要ないのである! お祖父ちゃまから預かった、ちゃまがツルスベ共を水浸しにしてくれているし、ニアミノフ達がその周囲を包囲している。故に、何も案ずる事はないのである!」


 垂れた耳を上下させる程、駄々を踏むプラッティンは疑問を呈した士官に抵抗して見せた。

 周囲にいる士官や世話役の同族達は、互いに見合わせてしまう。


「さてさて、天幕に入って麹粥こうじかゆでも飲んでツルスベ共の到着を待つと?」


 天幕に引き返そうとしたプラッティンが、動きを止めた。周囲の同族達も、鼻や髭、耳をそばだて変化を集積しようとつとめている。


「じ、地震?」


「では、なさそうだ。音が連続している。発生源は八カ所、だな」


「山、動いていませんか? それも、二つ」


 直後、口々くちぐちに情報交換をしている彼らの声を、未体験の大音量を宿す咆哮に似た音の津波が呑み込んだ。




 ◇◆◇




「こ、璜準コウジュン殿、メイケイ殿とウンケイ殿は、こんなにも巨大化する、のですか。オラっち、トの七号トノナナゴウ水準のデカさになる互換性改変種族ユール・ヴァルゲーンは、その、初めて拝見しました」


「おいおいおい、お、い。ウッソだろ、お前。俺だって知らねぇよ、こん、こんなデカさ!」


 ヴァリーと璜準コウジュンの会話が途切れているのは、小さな山を思わせる燻色いぶしいろ麦藁色むぎわらいろの巨大な熊が、陣を展開する前のラヴィン・トット族に悠然として向かう振動によるものだった。


 不自然な現象は、それだけにとどまらない。豪雨の中にあるはずの一帯は、一筋の雨粒も受けていなかった。


 反対に、装備から騎乗するウサギと言わず、全身を濡らしているのはカネル君主都市陣営の方だった。雷の束を彷彿とさせる未曽有の大咆哮により、作戦行動を取る前に逃亡者、気絶する者、粗相をする者、騎乗するウサギに振り落とされる者で統制は瓦解していた。


「くっ! な、何と言う事だ。立てる者は、周囲の仲間と引き上げよ! 撤退だ! 撤退する!」


 轟雷のような足音と煙る豪雨の天幕に向かい、カネル君主都市侵攻軍の第二波を率いていたニアミノフ騎士団長は、その職務を全うするための矜恃を声に乗せふるわせていた。


「あの兄弟の鬨の奮えウォークライにも肝を潰さず、部下を見捨てて逃げないとは尊敬申し上げる」


 激しい雨音を、その身の輪郭で抵抗させる気配とは別に、霞を思わせる男性の低音が言葉を奏でた。


「ニアミノフ騎士団長に間違いありません」


 名を当てられたニアミノフと近い位置から、報告に適した男性の声が立つ。


「フォービィ副参謀長も確保しました。交渉の材料としては十分でしょう」


 今度は、戦場には不釣り合いな清楚で品のある女性の声が、ニアミノフの聴覚に届けられた。

 その一言で、身の振り方を握られた事実を想像したのか、ニアミノフは覚悟を言葉にする。


「私はどうなっても良い。これ以上、部下を蹂躙しないでいただきたい」


 風雨に身も心も重く湿らせたらしいニアミノフは、毅然として懇願した。


「承知した。自決をせずに御同行願うなら、あの兄弟も引かせる」


 こうして、カネル君主都市の第二波は唐突に終幕を迎えた。巻き起こされた暴風雨は結果として驟雨しゅううとなり、元の快晴へと移り行く。


 この天候の通り、爽やかに晴れ渡る大空のような展望があるのかは誰も読めない事だった。


 それはまるで、天の気心のように。世界レーフの流れも決めかねて揺蕩たゆたうように。




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