三十五の節 働くと言う事。 その三




 古典様式の石造りの回廊は、多種多様の職種と人々が目的を持って輻輳ふくそうする。


 辺りは、すっかり夜が染め上げる空間となった。篝火かがりび眞導灯マドウトウが、動き回る彼らを照らす。


 その一方で、馬留うまとめに拘束される少年の周辺は、囲む者達が持ち寄るあかりによって照らされ、互いの姿を共有し合っていた。


「何、コイツ」


 アラーム達が立ち去り、璜準コウジュンが視線を動かした先にあった相手を差した。


「私の財布を盗もうとしたのです。すぐそこの、貧民街の少年らしいです」


 サルダン族の大豪商・カーダーが答える。大きな耳が前に垂れ表情が見えないが、犯罪に巻き込まれた割りに、口調からは少年に対する不快感は聞き取れない。


「う、うわあああ! 青い月アオイツキだ!」


 少年は、璜準コウジュンと目が合った瞬間、世間の流言飛語にならう嫌悪と恐怖を混ぜ感情を発露はつろした。


「おいおい。ここの救済院は、どんな教育を実施てるんだ? この俺が分からない上に、誰に断って口を開いてるんだコラ」


 璜準コウジュンは、拘束された少年の前に立ち、細い顎を上げ見下みくだす。


「俺を誰だと思ってるんだ。泣く子がもっと泣いて引きつけを起こす、セイシャンナ正教国セイキョウコク八聖璜準ハッセイコウジュン。北壁戦線の青鬼ヴラーオ・ディモネ様だぞ」


 尊影崇拝そんえいすうはいを禁じられているセイシャンナ正教国セイキョウコクでは、八聖璜準ハッセイコウジュンの姿形など伝わらない。せいぜい、特徴に尾ひれが付いて広がる程度だ。


うやまってへつらえ」


 尊大に名乗る璜準コウジュンに、周辺の視線が嫌でも集まる。マリサやカーダーを始め、この場にいる数人は名乗った肩書きと本人が合致している事を知っている。伏せている事実も知っていた。


 なのに、この有様だ。璜準コウジュンの意図を量りかね、知る者は押し黙り、知らない者は好奇と怪訝けげんの態度を注ぐ。


 膠着こうちゃくしそうだった空間の中。璜準コウジュンの耳に、聞き慣れた通りの良い声が届いた。反応し、見えない音源に顔を向ける。


 その様子に気付いたマリサが、勘を働かせた言葉を伝えた。


「息子から事情を聞いた、メイケイとウンケイ。それに、とんがり帽子の坊ちゃんが、追加物資と一緒に来てくれたのよ。負傷者の搬送と、治療を手伝ってくれているの」


「俺にも、協力支援の腕章を貸してくれないか」


有難ありがとう、助かるわ。それと」


 マリサは、璜準コウジュンに腕章と、目元がしゃで隠れる聖職帽を渡した。


「気を悪くするかもしれないけれど、今夜が今夜だけに皆、過敏になっているからね」


「そんな事は、生まれた時から分かってるよ。アイツらがいるなら動くしかないだろうがよ。アンタに、タダ飯喰らいとか言われたくねぇし」


 苦笑するマリサから腕章と聖職帽を受け取り、璜準コウジュンは先程の気配が立った方へと移動した。


「それにしても、都合良く聖職帽なんてありましたね?」


 歯並びが良い健康的な笑みを浮かべ、カーダーがマリサに問う。


「ここは救済院よ。予備の法衣くらい、たくさんあるわ」


 目尻のしわに、可愛かわいいお婆さんの気配と、璜準コウジュンの変化を見守る余裕を浮かべる。そのマリサは、若葉色の瞳を小さな犯罪者に戻した。


 昼間とは違う明度に、少年の顔色の悪化が見て取れる。骨折による貧血と目眩めまい。脂汗が、汚れた顔を湿らせている。


「仕方ない。ほら、水と薬だ。全く、あのアラームに殺されなかっただけ、マシだと思え」


 不調を抱え、顔を上げた少年が視界に入れた姿は、茶色い短毛種。犬の頭を持つ半獣人、ニンゲン属ビヨ種モモト・オト族のワルテル・レッセ・クトロが、鍛えられた大柄な身体をかがめた。

 少年の口をこじ開け、少々乱暴な方法で水と薬を放り込み、嚥下えんかさせた。


「に、苦いっ。ゴッホ、ゲホホッ」


「さぁて。どうしましょう」


 少年がむせる声に、マリサの酒焼け声が重なる。


では、牛裂きの刑ですね。こう、首と両手足を縛った先に雄牛おうしに繋ぐんです。発情期の雌牛めうしを目指して走らせます。時期が限られるので、まとめて執行されますね」


 自国の刑罰を軽く説明するカーダーだったが、事情を知る面々は、驚愕の表情を向ける。


「カーダー、自国の事を他国で話しをするのは御法度じゃなかったの?」


 代表してマリサが尋ねるが、当のカーダーは大きな耳のせいで、奥にある表情は見えない。


「では、聞かなかった事にして下さい。軽く言い放った自身の言葉が、どれ程に愚かだったのか。この少年に伝わるのなら、ゆるしてもらえるでしょう」


 宝飾品が重なる音をさせながら、カーダーは危機感が薄い態度を取る。


 カーダーの思いを腑に落としたらしく、カーダーに対してこれ以上の質問は重ねなかった。その代わり、マリサは改めて泥棒少年に問い掛ける。


「貴方、名前は?」


「シイナ」


「素敵な名前ね。響きが、カヤナ大陸だけど、お父さんか、お母さんの国なのかしら」


「知らない。父さんなんか見た事ないし、母さんはずっと前に死んだ」


「そう。気の毒だったわね」


「じゃあ、今すぐ離せよ! ついでに、そのが着けてる宝石を寄越よこせ!」


 少年の暴言は、歴史を重ねた壮麗な回廊の一帯に響き渡った。





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