三十六の節 働くと言う事。 その四




 少年・シイナの前方に陣取るマリサ達は空気を介し、カーダーの様子を探っているようだった。


 真珠と香辛料の国を代表するサルダン族は、確かに二足歩行の豚に見える。の国でしか生産不可能な特産品は、今や全世界の必需品だった。富と権力が集中し、を買う。


 だが、影でブタと揶揄やゆするのは、選民意識が強過ぎるヒト族だけだった。精一杯の、嫌がらせのつもりらしい。


「それは分かりましたので、一つ質問しても良いですか?」


 金持ち喧嘩せず。もしくは、言われ慣れているのか。カーダーは、後ろ手に拘束されるシイナと視線の位置を合わせるため、片膝を着いた。


「な、何だよ」


「私達は、下級眷属かきゅうけんぞくである豚を食べます。共食いだとわらわれますが、貴方々ヒト族も共食いをされる。私達は、豚を一つも無駄にしません。感謝を込め、肉も内臓も皮、骨、全てを頂戴します。ヒト族は違いますよね。同族を殺し、打ち捨て、見限り、しいたげ、貧民街へ押し込める。ヒト族は私達が生命懸けで運ぶ、真珠、香辛料、珈琲コーヒーむさぼるように買いあさり、抱え込み消費される。私達を豚のようだと蔑むが、私に言わせてもらうなら、ヒト族は人類以下です」


 カーダーの声は穏やかだが、耳で隠れ表情が見えない分、不気味さが増す。上向きの鼻が、目の代わりにシイナを凝視しているように見える。


 ほぼ一息で連ねられた、カーダー言葉の勢いと辛辣しんらつさに、シイナは固唾かたずを飲み込む音を立てた。


「質問は、ここからです。貴方は、奪うのは当然だとおっしゃった。持つ者から奪い、持たざる者からも奪い取る。奪い尽くした後、貴方は、どうするおつもりなのですか」


「奪う場所を変えるだけだ。俺は、たった一人で生きて来たんだ。俺だって、全部大人達に奪われたんだ! ゴミみたいな場所でしか生きられない。こんな所で、助けなんか求めても無駄なんだよ。だから俺には、一人で生きる道しか残されていないんだよ!」


「貴方、本気で言っているの? 何を言い出すの。ここに来るまでの間、石畳で頭でもぶつけて来たの?」


 シイナの身勝手な発言は、マリサの怒りに触れたらしい。石の床に、フローリオで有名な服飾職人・リビーヒお手製、深い紺色のピンヒールが音高く響いた。


「たった一人で生きて来た。ですって? 貴方が盗んだ物は、誰の物だったのかしら。貴方以外の、誰かの物だったでしょう。その時点で、貴方は一人で生きて行けない事が分からないの?」


 マリサの静かな剣幕に、周囲のカーダー達は音もなく数歩、後ろに下がった。


「せっかく世界レーフに生まれたのに、そんな滅茶苦茶な言い分で、これからの生き様を自分自身で潰すつもりなの?」


 シイナは、正論が苦痛だと言わんばかりに、薬の効果で麻痺し始めた動かない足を凝視した。


「奪う相手を間違えたら、こんな風に自由を奪われる。それでも、貴方は自身が持つ可能性を見付けようともせず、環境のせいにして」


 茶色の短毛に覆われた太い腕を組み、ワルテルが二人を見守る。


「貴方の行いが、善だろうと悪だとしても、誰かに感謝された? 誰かを救えたの? 何よりも、貴方自身が救われたのかしら」


 大きな耳が垂れているが、カーダーは真っ直ぐ二人を見ていた。


「今の生活から脱出したいなら、はっきりとした相手を思って働く必要があるの。何故だか分かる?」


 シイナがマリサの言葉に反応した。漫然とシイナが首を上げると、マリサ本人が放つ力強い視線と衝突した。


「日々得られる対価やかては、相手が求める明確な欲望を満たし、あるいは感謝され喜ばれた証明だからよ。それはやがて信頼に繋がり、世界を回していくもの。どんなに小さな善悪の行いでも、歯車のように連なった先で必ず誰かの言動を阻害していたり、役に立っているのよ」


 幼いシイナは情報過多に陥りながら、マリサの言葉を拾っているようだった。その証拠に、シイナの黒目がちな瞳に生気が宿りつつある。


「奪ったら、奪われるの。でもね、与えると、与えられるのよ。セイシャンナの聖法典セイホウテンうたっているわ」


 シイナの雰囲気から察し、マリサは優しくさとすように語った。


『力ある者は、力なき者を支えよ。力なき現状から脱した者は、力ある者を支えよ』


 若草色の視線を閉じたマリサは、聖法典セイホウテンの一説をそらんじた。


「そこに、善悪は書かれていないの。世界は、善悪では量れない。陽が照らす光と、月が照らす光。どちらが正しいのか、解答がない事と同じだからですって」


 すぐそばにある、慌ただしい生と死の気配。生と死を迎え送る、法士ホウシ眞導士マドウシうたう多々の声。

 この一帯だけが、シイナを救い出すために用意された舞台のようだった。


『払えない闇などない。生命の灯火ともしびが照らすから。閉じない光などない。安らぎを告げる手がとばりを降ろすから』


 うたいは、高い天井や夜空に響く。


「今の貴方が、みじめで誰にも相手にされないのなら、強制された善悪の中で這い上がって来なさい。貴方が、決意をもって変わらなければ、貴方自身も世間も国も世界は変わらないわ」


 一歩。マリサはヒールを着いて硬質な音を立て、シイナへと近付く。


「確固たる意識と決意を持って立ち上がりなさい。貴方は生きている。生きているだけで時間は進んでいる。それだけで意味がある。簡単に、諦めるんじゃないの。生命を張って、私達を守ってくれている兵隊さんに、申し訳ないでしょう?」


 マリサが差し伸べたてのひらの先には、城壁の外で暴走するケダモノ達を相手にし、被害を受けた兵士達の姿があった。屋内からあふれ、回廊に用意された大量の簡易寝台で治療を受けている。


 今夜だけは最小限の被害で済んだとは言え、今回も被害は甚大だった。


「人は、怠惰をわずらうと不衛生な環境も受け入れる。だから、あの貧民街から出て救済院に移って来なさい。それが嫌なら、白鈴楼私の所へいらっしゃい。ウサギちゃん達が急に辞めてしまったから、支配人がお仕着しきせ姿で現場に立っているくらいよ」


 マリサは、人差し指を一本立てる。加えて、年甲斐もなく片目を閉じて微笑ほほえんだ。

 すると眞素マソが動き出し、シイナを捕らえている拘束具の錠が外れた。


 空には青い月アオイツキ。地上には、生きる意味を探し始める小さな光明。今夜も変わらず、日常の一つとして静かに包まれ、時の流れへと運び出す。


 季節は応鐘オウショウの月。秋の中頃。世界レーフは、豊穣の実りは生命を癒し、育て、冬の厳しさを越すための蓄えを与えた。


 世界レーフの行き先をる者。知らぬ者を閉じながら。





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