十四の節 再会の白薔薇。 その二




 言われると、見てしまうのが人の性分。丁度、ハドの視界に入ってしまった。

 地面に連なって進行していた物体が、乾いた音と、粘質を込めた音を立て破裂し、同時に中身を撒き散らす。


「クラーディア教師の、自動給水・栄養補給袋を持つ人造生命体です。この有様なので、ここには誰も近寄りません」


 適当に視界を動かした、ハドが再び余す事なく見てしまった。


 見れば愛嬌あいきょうのある姿。ゆるやかに宙を漂っていた半透生物の、頭部と思われる器官が割れた。赤い触手が素早く蝿を補食し、繋ぎ目もなく元の形状に戻ると、再び優雅に漂い出した。


「た、確かに、見慣れない風景ではあるかな。でも、生命には変わりないよね」


 ハドは驚きながらも、シャンナ式の哀悼を捧げる仕草を送る。その姿を見たユタカは、やや目尻が上がる瞳に苦渋を浮かべ視線を反らした。

 だが、間もなく息を整えると、ユタカは姿勢を改める。


「坊ちゃん、お聞き下さい。これから、何が起きるか分かりません。嫌な感じがします。まるで、ケダモノの腹の内にいるような気がします」


 突然の内容とユタカの緊迫を張った声に、ハドも姿勢を正す。


「俺とマサメは、フィーツ・ワイテ帝国に雇われる事になりました。期限は、知らされていません」


 ユタカの父親違いの弟・マサメは、実は近くにいた。黄色の薔薇区画で、高芯の巻き方を興味深く眺めている。しかし、ハドの死角に当たり認識していなかった。


 昔から、ハドは距離を縮めたがっているが、マサメが一方的にハドを避けている。お互い、理由を察しているために適切な距離が出来上がってしまっていた。


 今、その現状には触れずにユタカは続ける。


「こんな時なのに、坊ちゃんと離れる事になるなんて、断腸の思いです」


 ユタカの予感が、不穏な言葉に引き寄せられたのか。華やぐ庭園に、初夏の気配が立つ空気とは思えないくらい、別世界の冷気が風となって吹き抜けた。


「坊ちゃん、うすらデカい不気味な男と、大きな白い犬の組み合わせと会いましたか。丁度、坊ちゃんが交換会に参加された時期、シザーレ側に駆り出されていた、パシエと名乗る候補生です」


「知ってるよ! だって今、その人を探してたんだから!」


 旧知から出た意外な名前との符合に、ハドの昂揚こうようは押さえ切れなかったらしい。


「もし、もしも何かが起きたら、そのパシエの所に向かって下さい。無茶な話しだとは分かっています。でも、は、確実に坊ちゃんを守ってくれます」


「昔から、ユタカ兄さんのかんは当たるからね。信じるよ」


「坊ちゃんの直感には勝てません」


 ようやく緊張を解いたユタカの青い月アオイツキと同じ色をした瞳は、穏やかにハドを見据えていた。


 その時。シザーレ眞導都市マドウトシ、中央礼拝堂の大鐘楼だいしょうろうを伝い周辺の鐘楼がならって刻の鐘を鳴らした。音の連鎖が空気に波紋を作り、いくつもの音階を響かせる。


 陽は傾くが、落ちる頃合ではない。とは言え、建物の影は伸びる時間帯。人によっては夕食をる目安の時報でもあった。

 特に、ハドや官舎住まいの者は、まさに本日最後の食事が配膳される時刻だ。


「今日は、アウフラウフ、ボイシェル、黒パングランブロートです。坊ちゃんは、ビヒタ・ヴァースは大丈夫ですか?」


 ユタカが並べたのは、夕食の献立だった。アウフラウフは、卵・牛乳・小麦粉の生地に、果物・野菜・ハムを入れたスフレ。

 ボイシェルは、豚の心臓や肺を煮込んだ物。ビヒタ・シェヴァースは、西部ビヒタ地方の上面発酵の白ビールに果実酒を混ぜた飲み物だ。


ハーブ入りの清涼飲料水アルムドゥードラ黒パングランブロートだけにする」


「いけませんよ、坊ちゃん。慣れない食文化は分かりますが、それでは栄養が偏ります」


 六フース(約一八〇ひゃくはちじゅうセンチメートル)を少し下回るが、背の高いユタカを見ると、つい上目遣うわめづかいになってしまうハド。


 ユタカは、昔からこの視線に弱かった。


「分かったよ。子供じゃないんだから、そんなに心配そうにしないで」


 はにかむハドの目線を受ける。すると、ユタカは決まって吊りがちな瞳が困った形になる。お互い、昔からの流れをなぞる時間を惜しんでいるようだった。


「背が伸びましたね、坊ちゃん。そうですね、子供扱いも失礼でした」


「そんな」


 会話が途切れそうになった時、ハドは提案を思い付いたのか、黒い瞳をしばたたかせた。


「ユタカ兄さんに、セイシャンナのうたいをして良い?」


 実は、シザーレ眞導都市マドウトシにもセイシャンナの教義を信仰する者は多い。シザーレ眞導都市マドウトシは弾圧もせず、許容している。

 むしろ、都市内や周辺地域にも立派な大聖堂、救済院が建てられていた。


 ユタカもまた、かつて籍を置いていたセイシャンナの信仰を続けていた。


「いいえ、遠慮しておきます。ロシ、璜準コウジュンと、クリーガー兄弟のうたいを受けましたね。徳の高い八聖ハッセイの加護と祝福は、坊ちゃんに預けておきます」


 一瞬、名前を間違えそうになったユタカは、誤魔化すようにシザーレ式の一礼を添え、丁重にハドの申し出を断った。それとは別にしてもユタカのかんは、一縷いちるの望みにもすがるため費やされた。


「兄さん、時間だ」


 待たされる苛立ちを含む、神経質な若い男性の声がした。ユタカと同じ、黒の群狼クロノグンロウの制服姿のマサメが、ハドの視界に入った。


「マサメ、久し振りだね! 元気そう」


「兄さん、夕食前に評定委員会に顔を出すように言われていただろう。早く行こう」


 ハドの言葉を突き放すように、マサメはさえぎった。急かすようにユタカを促す。

 珍しい、赤毛と金髪が混ざる色ラズベリーブロンド。赤が強い茶色の瞳。

 ほぼ、ハドと同じ身長。繊細な硝子細工ガラスざいくのようなはかなさを持つ青年がマサメだった。


「坊ちゃん、済みません」


 マサメの〝ハドと僕のどちらを選ぶの?〟視線と先約に負け、ユタカは素直に謝罪した。


「大丈夫、気にしないで。気を付けてね、ユタカ兄さん、マサメ」


 兄は、深く頭を垂れ退出する礼を尽くす。弟は、乱暴に頭巾フーザ目深まぶかに被り、背を向けて大股で立ち去った。




 ◇◆◇




「相変わらず、当たりが強いな。いい加減、大人になれよ」


 マサメに追い着いたユタカは、先程の無作法を注意する。黒の群狼クロノグンロウ特有の歩みは、高級な靴底を貼っていても音が立たず、歩調も速い。

 二人は、中央運営区画に通じる大通りに達していた。


「アイツは、自覚がないから苛々いらいらする」


 夕食時とあって、外食派と自炊派の多国籍多民族の住民で人通りは増えていた。雑踏に掻き消されそうなマサメの声は、確実にユタカの聴覚に届く。


「兄さんを守るのは、僕の役目だよ。あんな奴の祝福なんて邪魔だ」


 妙な板挟みに遭っているユタカは、人々の喧騒を盾に溜め息をいた。商店がともし始めた照明が、今日を照らした役割を果たしつつある陽に代わる。


 やがて、住居区画や商店も途切れた先。灰色の石畳が、幾何学模様を描きながら導く大通りは、葉桜の並木が両脇を固めていた。


 芝生が青々と敷き詰められた一帯に差し掛かる。八本の堅牢な鐘楼を抱く、石造りの巨大な建造物がき止めた。


 シザーレ眞導都市マドウトシを運営し、跳梁跋扈ちょうりょうばっこする海千山千が棲まう万眞殿グランツァーク


 ユタカやマサメを始め、シザーレ眞導都市マドウトシ全ての生命がすがる居場所。夕暮れを背負いながら、その威風堂々たる中枢を映し出していた。


 



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